(23)2011・5・8「被災地へ・補足」

 
 昨日書いた記事について「意外だったのが、原発の問題自体がほとんど話題にでなかった」という部分について、「これもまた問題ではないか」という指摘が友人からあった。表現が足りない部分があったと思うので、補足する。
 訪れた新地町は福島県内ではあるが、原発50キロ圏で、公表されている放射線量も問題ないレベルである。しかし、放射線被曝の問題などについて質問があるのではないかと予測してこの問題について、泥縄でにわか勉強をしていったのだが、そういう質問は一切なかった。今日とってきた野菜といったものが食事に供されたが、そういうものを食べて安全かといった話題も一切でなかった。唯一関連があるかなと思ったのが、沖出しというのだろうか、津波の前に船を港から沖にだして無事だった船が港にかなりあったが(はるか離れた陸地に乗りあげている船もたくさんあった)、出漁禁止令がでていたどうにもならないという嘆きをきいたくらいである。これがまだ余震があるかもしれないから禁止なのか、出漁してもとった魚が福島県のものだと売れないという風評の問題なのか、あるいは魚の放射線汚染の実態がはっきりするまでは禁止なのか、はっきりしなかったが、これだけであった。
 東京のようにごくわずかに基準値を超えると大問題になるという雰囲気はまったく感じなかった。目の前に、一面の荒野と化した景色があり、現実に避難所で生活しているひとがいるという状態では、遠い将来に生じるかもしれない健康上の問題とかは考慮する余裕がないということかもしれないし、原発が小康状態であってもまた爆発がおきたらという心配はしても仕方がないということなのかもしれないが(ごく短期間の滞在であり長くいればまた違った印象をもつ可能性もあるが)、今現在目の前に目にみえる大きな問題がある時に、目に見えないものによる遠い将来の健康不安といったことは話題にならないのだろうかという感想をもった。
 わたくしは現在の東京のほうが過剰な反応をしていると思っているので、新地町のほうが健全であると思ったのだが、新地町には火力発電所があるという特殊な事情があり(石炭を積載したタンカーが座礁し、石炭を運ぶコンベアも津波で破壊され使用できなくなって、現在は停止しているとのことであった)、そのことが影響している可能性はあるかもしれない。火力発電所を誘致する段階で、そういうものがもたらすリスクといったものがかなり議論されたのかもしれない。(以上は、まったく根拠のないわたくしの個人的な推測であるが。)