(24)2011・5・9
カレンダー通りの運営なので、5月は2日に続いて6日が外来なのだが、福島にいっていて休診にしたので、今日が一週間ぶりの外来となった。それであらためて感じたのが、内科の外来にくる患者さんには圧倒的に症状のないひとが多いということである。高血圧、糖尿病、脂質異常症(いまはこう呼ぶ。かつての高脂血症)などほとんど症状がない。医療の原点は苦しいことやつらいことがあるひとに対応することである。もちろん症状があるひとも来る。しかし、その大部分はそんなこと気にしなくてもいいのに、抛っておいてもそのうちに自然に治るのにというようなひとである。今度の東北の被災地にあれだけ多くの医療者がさまざまな形でかかわっているのは、そこに症状があって医療を必要としているひとが多くいるためではないだろうか?
医療はうまくいって当たり前、うまくいかなければ訴えられる、などという状況で仕事をしていると、自分はいったい何をしているのだろうと感じてしまう医療者も多いであろう。その中で、被災地では自分が必要とされ、自分の行為に素直に感謝されるとすれば、その経験から何かがでてくるかもしれない。
そして被災地でも、医療行為では、それぞれの症状への対応もさることながら、自分たちが孤立していない、誰かとつながっていると感じられることが本当は大きいのかもしれない。そしてわれわれの日常である外来に来ているひとたちも、症状があるから来ているというよりも何かのつながりをもとめてきている場合のほうが本当は多いのかもしれない。そこで問題になるのが、“つながり”の提供ということは特に医療者でなければできないことではないし、医療者はそのための特別な訓練をうけてもいないということである。
現地が段々と復興してくると、医療にかんしても少しづつ“自立”の方向が求められるようになっていくと思われる。“自立”と“つながり”は相反する。仮設住宅が多く提供されるようになり、避難所で生活するひとがなくなってくるころに、この問題が顕在化してくるのではないだろうか?