(25)2011・5・11「手本は二宮金次郎?」

 
 今日で2ヶ月である。
 8日の朝日新聞の震災にかんする記事に、震災からの復興には「立て直し」と「世直し」の二つの方向があり、そのことを論じた本の一つとして中井久夫氏の「分裂症と人類」が挙げられていた。それで、読み返してみた。
 この本は1982年に刊行されており、そのタイトルの通りの壮大な見取り図を示した本である。中井氏によれば、分裂症(現在の統合失調症)は狩猟民に親和的であり、うつ病は農耕民に親和的である。親和的というのは有利に働くことがあるということである。狩猟民は微細な兆候の変化を敏感に関知する能力をもつ。一方、農耕民は強迫的である。「要するに狩猟採集民は自然の一部であるが、農耕民はすでに自然から外化され、、自然と対立している。」 あるいは西洋の森の文化と平野の文化の対立である。中井氏によれば、教育とは「強迫性」を身につけさせるためのものである。整列、点呼、忘れ物調べ・・。そして分裂症親和的なもの(本書のいい方ではS親和者)は「世直し」を唱え、強迫的なもの(メランコリー親和者)は「立て直し」路線にたつ。
 もしも、世の中が強迫的なひとばかりでなりたっていたらと、中井氏はいう。彼らは大問題を認識できない。それは事後的(あとの祭的)な構えが特徴であるので、思わぬ破局に足を踏み入れていても、そうとは気づかず、彼らが得意である小破局の再建を「七転び八起き」的にくりかえしていくのがが、「大破局は目に見えない」。
 ここまで読んできて感じるのは、今度の震災で「想定外」というようなことを多くの人がいって非難されているが、彼らが想定できるのは小破局までなのであって、大破局は思いも及ばない、あるいは考えても仕方がない、考えられもしないものとなっていたのではないかということである。小破局は立て直していけばいい。しかし大破局に対してはどうしていいのかわからない。だから起きるまでは考えてもしかたがない、というようなことだったのではないだろうか? 無責任、と非難されるであろう。しかし(彼らにいわせれば?)責任がもてないような事態だからこそ大破局なのである。彼らは日常性の中で生きているひとなのであるから、日常性を逸脱したものについては責任の持ちようがないことになる。
 中井氏がいうように、執着気質(メランコリー型)の特徴は、その症状のほとんどが、仕事のすすめかた、仕事へのかかわりかた、職場での対人関係にかんすることによって占められることである。彼らは高度成長期には、模範青年、模範社員であるとされた。しかし、これは日本と(そしてドイツ?)では高く評価されたが、超文化的なものではなく、イギリスでは「下士官道徳」とさげすまれたし、古典ギリシャにおいては労働自体が卑しむべきこととされた。
 そして日本においても、これが肯定的にあつかわれるようになったのは江戸中期以後、おそらく18世紀後半以降であると、中井氏はいう。安丸氏という研究者はこれを「通俗道徳」と呼んでいるそうだが、それ以降、飲酒や賭博、踊り、芝居、音曲などの制限、婚礼や葬式や節句などの簡素化、若連中や娘宿、講、夜這いの禁止など、総じて「この世の楽しみ」が抑制され、禁欲、勤勉、倹約、孝行、忍従、正直、早起き、粗食などが推奨されることになった。現在でもジャーリズムの政治家批判は政治家の能力よりも、これらの徳目に対してなされることが多い、そう中井氏はいう。
 そしてこのような執着気質の人間による「立て直し」の代表的なイデオローグとして、中井氏があげるのが二宮尊徳であり、その仕法なのである。尊徳によれば、人間のつくったものは放置すればかならず崩壊する傾向にある。これは「天道」であるが、自然法則でもあって、人間の都合などにはおかまいなしである。弱い人間はむき出しの「天道」には耐えられないから、「人道」として田をつくり稲を植える。しかし人道は自然ではない。「人道は田を興し、天道は田を廃す。」「やかましくうるさく世話をやきて、漸く人道は立つなり。」 今なら「世界は放置すればエントロピーが増大する一方なので、そこに負のエントロピーを注入して秩序を再建しつづけることが必要なのだ」とでもいうところか、と中井氏はいう。
 大事なのは尊徳にとって「天道」は盲目的・恣意的な暴威ではなく、自然法則なのであるということで、それは恒常的・法則的で、したがって計算可能なのであると捉えられていることであると中井氏は指摘する。「こまごまと世話をやいてこそ人道は立つもの」とする尊徳には「大変化」「カタストロフ」への対応が最大の不得意である、それに対しても今まで通りの「こまごまとした」やりかたで対応していくしかない。中井氏によれば、尊徳のような世界観は「縁辺的なもの」「マージナルなもの」への感覚がひどく乏しい、そこが盲点である、と。マージナルなものへのセンスの持ち主だけが大変化を予知でき、対処できるのだ、と。(中井氏はまた、このマージナルへの感覚をもたないものは芸術の生産も享受も難しい、という。)
 尊徳は当時の水戸藩の大問題であった海防問題にはまったく動かされなかったという。寺鐘を大砲に改鋳する動きに「そのような砲にて戦える相手ならば、相手が現れてからでも遅くなく、戦えぬ相手ならば、いたずらに人心を不安にさせるだけのことだ」と批判したという。なんだかこれは現在でもいわれそうな話で、原子力の安全にかかわってきたひとが考えてきたことでもあるような気がする。何とか対応できるような事態ならば、ことがおきてからでも対応はまにあう。どうにも対応できないような事態がもしおきるとしても、それへの対応はもともと不可能なのだから、それをどうしようかとあらかじめ議論することは、人心を惑わすだけである、と。
 このような対応、すべてを立て直しととらえる行き方はわれわれがこれまでもつねにおこなってきたことでもあり、今次の敗戦のあとでも、軍艦をつくっていたものはタンカーをつくるようになった(敗戦直後には鍋釜もつくった)だけで、その価値観はまったくかわらなかった、と。総じて、「立て直し」の論理あるいは倫理はテクノロジーを背後で支えるメタテクノロジーとして有効である、と中井氏はいう。
 一方、「世直し」への志向もまたつねにあった。半ば伝説である佐倉惣五郎からミロクの舟、尊皇攘夷の倒幕から、自由民権運動大陸浪人からマルクス主義へ。これらはカタストロフへの待望とカタストロフへの恐怖がない交ぜになったものであった、という。「立て直し」が手近な具体的なものから出発するのに対して、「世直し」は範例への指向性を欠く。かすかに感じられる兆候、実現性の遠い可能性を、強烈な現前感をもって感じ、恐怖しつつ憧憬するものなのであるから、それは幻想的でありひよわである。「二・二六事件」の将校たちはクーデター後の計画をまったくもっていなかった。今次大戦にしても、大戦終結への見通しをもたなかったという以前に、最初の作戦の後の計画さえ何も持たなかった。
 一方、ヨーロッパでは、16世紀ルネッサンス宮廷で、魔術師や錬金術師が世界を統合し全体的にみる壮大ではあるが幻想的な解法を探求し、失敗していった。その統合主義的解決の探求の失敗による手詰まりを救ったのがカルヴィン的な予定救霊説にもとづく「ひとは神からあたえられた現世の天職にいそしむべき」との思想なのであるが、知識人はその代償として「無垢なる少女の神話」ともいうべきものをつくった。自分は現実にかかわって汚れていくが、無垢なるものがどこかに残されるという神話である。それはゲーテの「ファウスト」などに顕著であるが(あるいは「野バラ」?)、現実への回帰は、ゲーテの「ファウスト」の末尾からヴォルテールの「カンディード」、さらには、T・S・エリオットの「荒地」にまで木霊している。
 日本ではこのような壮大で総合主義的な解決の探求がほとんどみられなかったのは、織田信長比叡山の焼き討ちから檀家制度の確立にいたる「世俗化」のためであったと中井氏はする。そして西欧におけるプロテスタンティズムと同じ働きを日本でしたのが、浄土真宗であるとする。それは森の文化を根こぎにし、民話、伝説、怪異譚まで消滅させた。
 しかし、そうではあっても、M・ウェーバーのいう西欧の「職務忠実」はどちらかといえば「職人根性」に近く、わが国の執着気質的な職業倫理とは異なっている。それは個人的な職業人の倫理であって、「家」の復興、「村」の復興といった「ウチ」的な共同体の再建を目指すような色彩には乏しい。
 日本の執着気質的な職業倫理は高度成長期には、それを促進するエンジンになったとしても、仕事のほかには楽しみを見いだせず、趣味もない、全人格が仕事で占拠された人々を生み出した。こういう生き方を野暮とよび、その対局の「粋」を追及する世俗「倫理」も一方であったのだが、高度成長期には「粋」すらも強迫的に求められることになった。
 さて、二宮尊徳の倫理は農民の倫理であった。では武士においては? かれらは実に奇妙な存在であった。「武」に根拠をおいていたが、「武」を発揮する場は与えられなかった。「一朝有時」はおきなかった。城下町に集められて土地から切り離された。そのためにつねに薄氷感を抱き。去勢感情をもっていた。幕末の尊皇攘夷運動の殺し合いはその去勢感情がもたらした抑圧の反動であろうと中井氏はいう。
 ここで氏がもちだす武士の倫理の例は大石良雄である。彼は藩を運営し町人文化の洗練をうけた「粋」な人間であったろうとする(だからこそ祇園での豪遊が可能だった)。火消し装束での討ち入りという目的達成のための合理的な選択も可能であった(その170年後の神風連の神がかりと対比せよ!)。彼は経済テクノラートであった。そしてその系列につらなるものとして森鴎外を挙げる。そこにみられるもの自己規制の倫理である(行動の倫理ではなく)。
 
 随分と回り道をしたが、中井氏がここでいっていることは、日本では圧倒的に「立て直し」の論理が優位にあり、主流となってきたが、それはつねに日常性の延長に物事を発想する、ということである。その散文性が気に入らないものも常に存在する。かれらは「世直し」を夢想し、世界が根元的にあらたまることを希求する。だからかれらは日常性を根底から破壊するカタストロフをおそれつつも希求する。場合によれば、カタストロフをおこそうとさえする。しかし、かれらが考えるのはカタストロフをおこすまでであった。その後のことは何も考えていない。(こういうことを書いていて、わたくしの念頭にあるのが全共闘運動である。また三島由紀夫である。それは戦後の焼け野原から次第に秩序が回復してくるのにいらだち、その秩序を壊し、日常性を停止させ、祝祭空間がその代わりに現れるのを願ったが、その後の青写真は何ももたなかった。あるいはそれを持つことはすでに日常性への妥協であるとして、それを積極的に排した。村上龍の「コインロッカー・ベイビーズ」もまたその例であろうか? おそらく村上氏は、カタストロフを希求する「無責任」の立場から、現実を制御する方法を様々に学ぶ「治者」のほうへと自分の位置をうつそうとしているように思う。たとえば、「希望の国のソクソダス」。)
 
 今度の震災はカタストロフなのであろうか? それともこれまた日常性の延長の中でのできごとなのであろうか? 地震津波は天災であるが、原発の事故は人災であるというひとが多い。それは本来コントロールでき、おきずにすんだものが、ひとの判断ミスの重なりによって現在にいたったとする。もしもそれが人災であるのならば、それはかかわるひとが日常性の中にとどまって判断し続けたからということになるのだろう。このことを決める権限をもっているのは誰で、自分はその立場にあるのかないのかといったことである。しかし、もし誰かが自己の責任であることをおこない、結果として事故がおこらずにすんだとする。その場合、それをしなくても本当は大丈夫であったのか否かは検証不可能である。われわれが知っているのは原発で大きな事故がおきたということであって、もし誰かが何かをして、その結果何もおきなかったとすれば、いまわれわれはこうした議論はしていないわけである。ある人があることをした結果、確かに何事も事故はおこなかったが、原発は使用不可能となってしまい、そこで莫大な損害がおきたとすると、果たしてその処置が必要であったのか否かが果てしのない議論が続くことになったはずである。何しろ、何事も大きなことはおきなかったのであるから、日常性が続いているわけである。あるいは、あるひとが判断して、ある処置をおこない、その結果、ある量の放射性物質が外部に放出されてしまったが、原発は無事に停止できたという事態があった場合、その放出は本当に必要であったのか、それなくしても無事な収束が可能であったのかということについても延々と議論が続くことになったのではないかと思う。
 最近刊行された「復興の道なかばで」で中井氏はいう。「情報は必ず「時遅れ」である。特に公式の情報が甚だしくそうである。ボトムアップという日本方式が時遅れをさらに大きくする。」「想定外の事態は常にある。非常事態の際の過剰反応は譴責されないという暗黙の合意が必要である、特に公務員にはそうである。」 氏は神戸の震災の二か月後に「安全学」のワークショップに出たのだそうである。そこで「阪神間に3本の平行鉄道が近接して並走していたことが被害を大きくした。六甲山中に鉄道をひくべきだった」とかの意見がで、「完全防災都市」という要塞のような図面がまわってきたのだという。山の中の鉄道に誰が乗るか、こんな要塞に誰が住むか、と氏はいったそうである。しかしこういう突拍子もない意見がでるのはこの時期だからなのだそうで、今回もまたそのような意見もであるであろうが、あぶくのように消えていくであろう、と。また「しばらくは原子力発電所は作りにくいであろう。もう一度同様の事態が起こったらただではすまないからである。しかし、人間は代案を考えぬくよりも後戻りするほうを選ぶおそれがある」ともいう。
 おそらく現状に大きな不満を持ち、密かにカタストロフを待望していたひともいたのではないかと思う。テレビにでてきて、得々と「ほれみたことか。わたしがいった通りになったではないか」といっているひとは嬉しくて仕方がないように見えないこともない。
 これから原始に帰れから始まって様々な「世直し」論がでてくるのだろうと思う。しかし、それらは具体的な青写真を何ももっているわけではないから、論だけで終わり、「立て直し」派が水漏れを塞ぐことをしているうちに時間がたち、なし崩し的に現状が回復されていくのであろうか? そしてまた忘れた頃に災害がやってくるのだろうか? 江戸の町は火災を前提にしていて、燃えたらまた建てればいいという発想で長屋住まいをしていたのだそうである。
 
 ところで本書を読んでいて考えたのだが、われわれ医療者が何となく現実に面白くないものを感じているのは、自分では「武士」と思っているのに、「町人」あつかいされているように思えて、それが不面目なためなのだろうか? それで久しぶりに「武士」になれると思って、多くのものが被災地に向かったのだろうか?
 

分裂病と人類 (UP選書 221)

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復興の道なかばで――阪神淡路大震災一年の記録

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