(6)2011・3・23「関東大震災」

 
 昨日、城東地区の15ほどの病院があつまって、救急医療の段階を脱しつつあるが、これから長期のサポートが必要になる疾患が中心になっていくであろう被災地の患者さんが、交通手段が回復するにつれ多数東京にも来るであろうことを想定して、お互いのベッドの状況などの情報を共有して少しでも多くの方を効率的に受け入れていくにはどうしたらいいのかを議論する場がもたれた。おそらく来週くらいから?それらの必要性が急激に高まってくるのではないだろうか?
 
 読み返している「昨日のごとく」に、川本隆史氏が「震災と倫理学に関するノート」という文を書いていた。関東大震災が日本の倫理学に何をもたらしたのかを考察したもので、和辻哲郎清水幾太郎長谷川如是閑林達夫などに関東大震災がどのような影響をもたらしたかが論じられている。
 和辻の場合には明確に個々人の人格を重視する立場から、人びとの間の信頼という方向に思想が転じていくのだそうである。
 清水幾太郎の場合は旧制中学3年の時に大震災にあい、医学の志向から社会学へと転じたのだそうである。氏に「流言蜚語」という著作があることはよく知られている(わたくしは読んでいない)。これは直接は2・26事件直後に流布したデマを論じたものなのだそうであるが、大震災における鮮人放火の流言などを強く意識したものであることは間違いないと、川本氏はいう。清水は「日本人の自然観 - 関東大震災」という本も書いているのだそうで、そこで氏は「関東大震災リスボン地震との比較において考えている」ことを明確に述べているという。リスボン地震は1万〜1万5千の死者をだし、当時のヨーロッパ知識人に神の摂理への疑いを生じさせ、ヴォルテールに「カンディード」を書かせたことはよく知られている。いわば啓蒙主義に道を拓いた災害であったわけである。神の力から人間の力への信頼へと転じる契機となった。しかし関東大震災の15万の死者は空しく死んでいる、と清水はいい、日本では「破滅がいかに悲惨な方向に進行しても、進行するたびに、自然の名において弁明される」ことを慨嘆しているのだそうである。そして後年の「倫理学ノート」にも、実は最終章に大地震を論じた章をおくつもりであったのだという。しかし清水は自分は地震を論じだすととまらなくなるので、それを放棄したと述べていて、清水が後年、強権の肯定へと転じた根っこには、近く東京近辺を襲うであろう大地震に備えるためには絶対的な強権が必要であると考えた点が大きいのではないかと、川本は推測している。
 長谷川如是閑は、震災後、子供たちの遊びの中に、「共同の稼業」が形成する秩序をみて、そこに権力というものの理想的な姿をみたのだとしているが、それはアーテントのいう「強制なきコミュニケーションにおいて自己を共同の行為に一致させる能力」こそが権力なのであるという見方と共通するものなのだと、川本氏はいう。
 林達夫については、大震災で自宅が全壊した避難生活で、わずかに残った本である「アッシジの聖フランチェスコ」を読み続けた体験が後年の林の思想の骨格になったのではないかと推測している。
 
 地震という自然と原子力発電という究極の人工の双方が同時に今回破綻した。もちろん、地震原発を破壊したのであり、根は一つではある。しかし、人間が狩猟採集から農耕に転じてからの営為の頂点が原子力発電であることは間違いない。それは反=自然の最たるものである。啓蒙思想が科学を生んだのであるかどうかは議論の尽きないところであろうが、それでもわれわれは今、電気、ガス、水道のない生活は考えられなくなっている。「カンディード」の最後は「ぼくたちの庭を耕さなければなりません」である。啓蒙主義は「個人」の尊重を押し進めてきた。「ぼくたちの庭」の尊重である。ガスも水道も電気も「ぼくたちの庭」のためにある。しかし、この地震をそういう個人志向の行き過ぎへの天誅であるなどいう方向で議論するひとがこれからたくさんでてきそうな気がする。
 
 わたくしが子供のころ、米国はビキニ環礁というところで多数の原水爆実験をおこなっていた。(ビキニという水着の名前の由来はそこだったのではないだろうか?) ソ連もまたシベリアあたりで頻回の核実験をおこなっていたはずである。それの影響は日本にも及んでいたはずで、死の灰などという言葉があったように記憶している。ガイガーカウンターというものがあって、そのガーガーいう音が被曝を意味していた。われわれの世代はその当時、どのくらいの放射能を浴びていたのだろうか?
 

昨日のごとく―災厄の年の記録

昨日のごとく―災厄の年の記録