(10)2011・3・27「言霊」

 
 昨日の言霊の続き。
 言霊を信じるというのは「ある言葉を口にすると、それが実現してしまう」という信仰である。それを逆にするとどうなるか? 「ある言葉を口にしなければ、それは存在しなくなる」である。「言葉狩り」というのはそれに由来するのだと思う。ある直面したくないことをなくそうと思えば、その言葉を口に出させないようにすればいいということになるわけだから。
 井沢元彦氏によれば、忌み言葉というのもそれに由来するという。受験生の前で「すべる」とか「落ちる」とか言うな、結婚式の挨拶で「切れる」とか「終わる」とか言うなという話である。そういうことを言うのは「縁起でもない」ことになっている。
 氏によれば、それが日本人が危機管理が苦手であることに通じるのだという。危機管理とは「起こってほしくはないけれども、起こり得ること」の対する策を講じること、である。しかし、口にすればそれがおきてしまうと考えるのであれば、そういう「起こってほしくはないけれども、起こり得ること」を議論するなどもってのほかである。
 口にださなければ、十分な対策を講じることなどできるはずはない。「たとえば、危険な新型インフルエンザが蔓延するとか、隣の国からミサイルが飛んでくるとか、阪神大震災クラスの地震に首都が見舞われるとか、起こってほしくないけれど、対策を講じておかなればならないことはたくさんあります。/ でも、そういう危機を予測するという最初の一歩で、それを口に出すことができない日本人は躓いてしまう」という。
 それでも「最近、自然災害については、さすがにかなりきちんとしたシミュレーションが行われ、対策も講じられるようになってきている」が、それは阪神淡路大震災の後のことなので、多くの人が死んだので、「不幸な死に方をした人は怨霊になるという信仰」をもつ日本では、その多くの死をムダにしたら、彼らが怨霊になってしまうとしたためであるという。なんだか凄い説明であるが、何も怨霊をもちださなくても、あれだけ多くの方がなくなったという事実そのものが対策を要求するということだけでも説明可能であるような気がする。
 しかし、多くの報道で、最悪の事態が言及されないのは、そのようなことを口にしたら、もしも本当にそうなった場合、何をいわれるかわからないという心理が働いていることは間違いがないように思う。井沢氏の言い方を用いれば、日本人は「希望的観測」と「論理的予測」の区別がつかない、ということになる。最近の報道での学者の説明は明らかに「論理的予測」ではなく「希望的観測」であるように思う。
 井沢氏の説で興味深いのは、癌の告知の問題にも「言霊」がかかわっているという見解である。癌であるということが言葉になったしまったら、癌が存在してしまう。だから告知しないのだと。
 しかし、わたくしが医者になってからのことを振り返ってみると、医者になった当時は、告知はほとんどされていなかったが、それは癌が不治の病とほとんど同義語であって、そんなことを言うのは残酷であるであるという認識からであったと思う。しかし癌が治療可能な病気となってきて、しかもその治療が相当な負担を患者さんに強いるものであることが多い場合、告知しないで治療をおこなうことはきわめて困難である。
 問題は病名の告知ではなく、予後の告知である。「病気は癌です」まではいい。「余命は2年はありません」とはっきりいうかということである。まず第一に現代の医学でそこまで確実なことが言えるのかということがある。それに中井久夫氏のいう「希望を処方する」ということもある。患者さんがある程度「希望を持って」病気にあたるほうが予後が実際にいいのではないかということである。そうであるなら、その患者さんにとって最大限によい予後を告知するのは合理的でもあることになる。
 そうすると、現在の報道で最悪の事態が口にされないのも、国民に「希望を処方」し、国民に力をあたえて、結果として危機への対応がいい方向にいくことを期待してのことなのだろうか? しかし、それは明らかに危機管理とは相いれない方向である。危機管理とはどのような努力をしても悪い事態になってしまった場合にどうするかを考えることなのだから。
 今回の地震とかなり類似した規模の地震が千年くらい前にあったことがすでに指摘されていたが、それへの対策がとられていなかったのだという報道がでてきている。進行癌がなにも治療しないのに自然に治ってしまうということが確かにあるらしい。しかし、それはきわめて稀であることも間違いない。きわめて稀なことをどうみつもるかということは学問の対象になるのだろうか? 千年に一度しかおきないことであるならば、大部分の人間にとっては一生の間に一度も経験しないことであるはずである。それでもそれに遭遇してしまったら? 運が悪かったのだ、といったら怒られるのであろうが。
 

学校では教えてくれない日本史の授業

学校では教えてくれない日本史の授業

臨床瑣談

臨床瑣談