湯川豊「丸谷才一を読む」

丸谷才一を読む (朝日選書)

丸谷才一を読む (朝日選書)

 
 「はじめに」に「丸谷才一は、本を読むのは楽しむのが第一、楽しくなければ読むのはやめたほうがいい、といった」が「はたしてそれだけでいいのか、という問いかけが、自分の内に生じてくるのもまたいつわらざるところなのである」とある。本書はそういう本、ただ読んで楽しいなというのではなく、もっと深読みをしようという本なのである。
 丸谷さんは晩年大家風になったけれども、本来はマイナーポエットという立ち位置がふさわしいひとだったのではないかと思う。
 丸谷氏の最初の評論集「梨のつぶて」に、「日本文学のなかの世界文学」というのがあって、「ロリータ」の最初の翻訳をめった切りにしている。要するに「ロリータ」というのがどういう作なのかを訳者は全然わかっていないというのである。「こう言えば、読者は、ぼくが些末なことにこだわっていると思うかもしれない。しかしぼくは、この『ロリータ』という作品にとっての本質的な事柄を問題にしているのだ。また、あるいは読者は、ぼくが文学趣味に淫していると考えるかもしれない。しかしこの長編小説はそれ自体、文学趣味に淫した作品、つまり、この詩を読んですぐ初期のエリオットの詩のパロディだと判る読者を対象にして書かれた作品なのである。」 もちろん、丸谷氏は「すぐ初期のエリオットの詩のパロディだと判る」ひと、つまり「文学趣味に淫した」ひとなのである。同書の「西の国の伊達男たち」におけるエリオット「荒地」の読みなど、本当に文学に淫するとはこういうことなのかという範例のような感じである。丸谷氏はこういう読み方をジェイムズ・ジョイスから教わったという。
 しかし文学に淫するひとはただそれだけでは世の中の役にはまったくたたないひとである。しかし、そういう自分であっても、世の片隅でそういう楽しみふけることを許してもらいたいというのが初期の丸谷氏に可能であった唯一の小説のテーマであったのではないかと思う。社会あるいは政治からの逃避である。「エホバの顔を避けて」「笹まくら」である。「笹まくら」の徴兵忌避者という主人公の設定が象徴的である。「たった一人の反乱」にしても「裏声で歌へ君が代」にしても、そう言えないことはないのだが、「たった一人・・」から変わってきたのは、そういう逃避が「反乱」とか「面従腹背」とかいった形で肯定的に捉えられはじめたことである。これは丸谷氏が日本の文学世界(文壇)で、少数派の側のひとではなくなっていったということが関係しているのではないかと思う。自分は世界の文学の正統に繋がるものではあるが、自然主義私小説が主流の日本ではずっとマイナー足らざるとえないという覚悟がもたらしていた緊張が消えてしまい、俺はメジャーになったという弛緩が後期の氏の作品には色濃く漂っているようにわたくしには感じられる。「偉そう」感というか、鹿島茂さんいうところの「ドーダ」感である。わたくしには後期の丸谷氏は徒党を組んでいる人に見え、なんだかなあ、と思っていた。
 「たった一人・・」以降、市民とか国家といったことがテーマとして伏在しているようにも見える小説を書くようになったが、そういう外在する問題を取り込まないと小説が持たなくなっていったのではないかと思う。
 丸谷氏の師匠はジョイスなので、神話的なやり方が、矮小な一個人を描くことに汲々としている日本の小説の限界を乗り越えていく方向であることを氏に教えたのではないかと思う。しかし丸谷氏は最初の「エホバの顔を避けて」を除いては神話的世界を書くことはなかったし(「笹まくら」の浜田庄吉がまだ一番神話性を持つかもしれない)、文士というような貧乏人を主人公とするのではない小説(それを「市民小説」という?)、通産省のキャリア官僚であったり、画商であったり、最後は経団連会長までが主人公であり、そこに総理大臣が出てきたりする小説を書くにとどまった。それは単に丸谷氏の社会的上昇を反映しているだけという気もする。
 湯川氏によれば、これらは市民小説ではなく、「市民社会というものができていない」日本を描いたものなのだという。湯川氏の考える「市民」というのは「自分の主張をもつ個人」というようなものらしい。「市民」というのは日本語としてまったく熟していない西洋語の翻訳と感じるのだが、「徒党を組まない人間」がでてくることが向こうの小説の魅力とわたくしは思っている。どうも丸谷氏は晩年、徒党を組むひとになっていたように思うので、その点いかがなものかという気がしないでもない(湯川氏もその徒党の一員である嫌疑もまったくないとはいえないのかしれない)。丸谷氏の晩年、出る小説、出る小説、みな絶賛なのが不思議であった。「女ざかり」にしても「輝く日の宮」や「持て重りする薔薇の花」にしても、わたくしにはとくに面白いとも思えなかった。とにかく魅力的な人間がまったくでてこないので、再読しようという気持ちになれなかった。
 ジョイスを師匠にしながら、小説のなかに神話性とか祝祭的なものを持ち込むことができなかったことが、丸谷氏を「御霊信仰」説に走らせたのではないかと思う。「忠臣蔵とは何か」など随分とこだわりを持っていたようであるが、ジョイスがああいう作を書けたのは(あるいはエリオットにしても)、西洋におけるキリスト教信仰の強さということが背景にあるからで、江戸時代に完全に超越的なものへの感受性を失った日本でそれを主張するのは無理がある。怨みを残して死んだ人間の祟りなどというのが真剣に信じられているのでなければ、そのような説はなりたつはずもない。
 吉田健一の「文学の楽しみ」の最初の章「大学の文学科の文学」はエリオット批判の章のようなものであるが、「問題は、文学を恐ろしく真面目に取れば、どいういうことになるか」「エリオットも、何か言葉の他に欲しくなったのだと結論しないではいられない。彼も文学だけでは満足できなくなって、神を彼の場合は求め、言葉の伝統から宗教の正統へと向い、キリスト教を文明の中心に置き、勿論、それで彼が幸福になったのならば文句を言う筋合いはない」「それならば、文学は一種の宗教で、生憎、文学はそんなに有難いものではない」「併し文学だけでは満足出来ないというのは、初めから文学に文学以外のものを求めていたということで、これは文学が凡てであると考えることから発している」ということになる。
 文学に淫したひとであった丸谷氏は「文学が凡てである」というひととしてスタートしたのであろうが、文学が神とつながることのない日本では、それだけでは救いがもたらされることがなく、一方では文壇のボスとなること、他方では学問の世界においても何か爪痕を残すことといった文学以外のいくつかの方向を探ることになったのかもしれない。しかし、それは丸谷氏の個人的な事情ではあっても、「本を読むのは楽しむのが第一、楽しくなければ読むのはやめたほうがいい、といった」と丸谷氏自身がいっているのであるから、「はたしてそれだけでいいのか」などと考えるのは「文学を真面目に取りすぎる」やりかたで、余計なことであり、結局は、作品自体を楽しめなくしていくだけなのではないかと思う。