ソーントン不破直子「戸籍の謎と丸谷才一」 幕間 外山滋比古「乱読のセレンディピティ」(扶桑社 2014年4月)
外山氏のこの本は偶然書店でみつけたもの。外山氏の本を読むのははじめて。「修辞的残像」という本の名前はきいていたが、読んでいなかった。最近、急に読まれるようになっているということもきいていたが、それでもみていなかった。著者は90歳くらいであるかと思うが、お元気である。
本書は乱読をすすめた本。セレンディピティとは serendipity で「(とくに科学分野で)失敗が思わぬ大発見につながったときに使われる語で、思いがけないことを発見する能力」のことなのだそうである。もともとはイギリスの文人ホレス・ウォルポールが1754年に造語したものなのだそうである。そのころ「セレンディップの三人の王子」というおとぎ話がはやっていたのだそうで、その三王子たちはものをなくす名人。なくしたものをさがすがそれは出てこず、かわりに思いがけぬものが飛び出してくる、そういう話なのだという。ちなみにセレンディップというのはのちのセイロン、いまのスリランカのことだとか。
科学の分野では以前からよく使われていた言葉というが、わたくしは何となくきいていたが、正確な意味はしらなかった。フレミングのペニシリンの発見のようなことを指すものらしい。
この外山氏の本は読者論でもある。不破氏の丸谷才一論は同時にテキスト論でもある。読者論とテキスト論には重なる部分もあるであろうということで、不破氏の本の議論の箸休めに、この外山氏の本をみてみたい。
さて、ホレス・ウォルポールというとわたくしがすぐに想起するのが、吉田健一が「ヨオロツパの世紀末」で少し言及し、「ヨオロツパの人間」では1章を割いて描いた18世紀の文人としての像である。この吉田氏のネタ本がL・ストレイチーの「てのひらの肖像画」であることはあとから気がついた。こういう、ある本を読んでいて、昔読んだ別の本を思い出すというはセレンディピティとは違うのかもしれないが、まったく無関係でもないような気がする。
外山氏は乱読の効用を説くのであるが、乱読は化学反応をおこすという。精読することは理解にはつながるとしても発想の飛躍や発見にはつながりにくい。つまり進歩や進化がおきにくい。まったく異なる系統の本を読んでいると、そこからあらたな発見が生じることがあるのだ、と。不破氏の場合は、比較文学者・テキスト論者としての学問のためにしてきた読書と、自分の趣味(?)として読んできた丸谷氏の著作が化学反応をおこして、この「戸籍の謎と丸谷才一」をつくりだしたのであろう。学問は精読系で禁欲系である。禁欲を続けているとどこかで羽目をはずしたくなる。それが「戸籍の謎・・」となった。わたくしの場合はひたすら乱読であって、学問への志向はまったくないので、ここでいくらいい加減なことを書いてもいいのは、大変に気が楽である。
わたくしは丸谷氏の著作をつねに吉田健一の影響下で読んできた(丸谷氏も相当、吉田健一のことを意識していると思うが、最大の相違点が丸谷氏はジョイス派で、吉田氏が反=ジョイス派であることであろう)。こちらの見方が不破氏のものとは異なるのは当然で、丸谷才一の著作というテキストについて、いろいろな読み方ができるということを提示できれば、目的達成である。
外山氏の場合には、文学系以外に寺田寅彦の本を読んだことが大きかったという。文学のおもしろさはウエットで、理科系の本の面白さはドライであるという。
バラバラになったものが何かの力によって結びつくことを外山氏はアナロジーと呼ぶ。この場合、結びつくものはなるべくかけ離れたものであるほうが面白い結果が期待できるわけで(手術台の上のミシンとこうもり傘?)、文化系のひとは理科系の本も読んだほうが意想外の化学反応がおきる可能性が高いことになる(逆もまた真。けれども理科系のひとが文化系とくに文学を参照すると、意味のない厚化粧にしかならないことが多いように思う。無理してる感がしばしば強くただよう)。
アナロジーはたしかに面白い発想のもとにはなるとしても、それだけでは学問にはならない。私見によれば、丸谷氏が評論でしたことの多くはアナロジーどまりであって、学問的な検証はされていない。そして本書で不破氏が論じていることの多くもアナロジーの段階であろう。
アナロジーというとわたくしが思い出すのは養老孟司氏の最初期の著作「ヒトの見方」に収められた「剰余とアナロジー」という文で(最初「ゲームの臨界」という本に収められた。養老さんの文でわたくしが一番最初に読んだものだと思う)、そこで「コンラート・ローテンツはかれのノーベル賞受賞講演で、自分の方法は類比であり、類比のみである、と強調した」(筑摩書房版p100)とある。類比にはアナロジーというルビが振られている。
アナロジーでも学問になり、ノーベル賞がもらえたわけである。たしかにローレンツがノーベル賞をとったときにはみなびっくりした。試験管もふらずに、動物を観察しているだけでノーベル賞かと思った。それで養老さんもアナロジーをその方法として大量の文章を書きまくったのかもしれないが、柳の下にはそう何匹も泥鰌はいないわけで、養老氏は学者からは全然相手にされなかった。まあ、養老さんは観察さえしなかったわけだが・・(本の観察はした?)。
「剰余とアナロジー」の同じページにはこんな文章もある。岸田秀氏の説を援用して「ヒトの自己は幻想としての自己であり、ヒトの考える死は生物学的な死ではなく、[幻想としての自己]の死である」というものである。なんだか、いかにも文学的なわかったようなわからないような文章であるけれど、不破氏の「可死性」の問題にも援用できそうな話である。医療の考える死は生物学的な死である。しかし不破氏が「可死性」という場合の死は「幻想としての自己」の死に近い何かなのであろう。
だが「幻想としての」などと大袈裟なものいいをすることもないので、要するに「自分の死」である。自分からみれば世界の中心にいるのは自分であるが、世界からみれば自分はどうでもいいとるにたりないただのワンノブゼムであるというだけのことである。
岸田秀氏の論も一時は面白がって読んだものだった。「ヒトは本能の壊れた動物」であるという話は、丸山圭三郎氏のソシュール論などとともに一時は信奉していた。それで恥ずかしながら、精神分析については伊丹十三氏と岸田秀氏の著作によってわかったことにしてすませてしまった。ちょうど、子供が小さかった頃で、子供の発育期には親は精神分析的なものに魅力を感じるということがあるのかもしれない。伊丹十三氏だって、子供を育てていて精神分析にはまったのではないかと思う。奥さんの宮本信子さんがどこかでいっていた。「子供なんでいらないなといっていたくせに、いざ子供ができるとあんなになってしまうのだから、もう、まったく」と。本当に「まったく、もう」である。一時の伊丹氏は育児の専門家のごとくであった。こういう話だって、氏か育ちか、人間は白紙の状態で生まれてくるのか、という生物学の学問的論の系にすぎないと今では思うようになった。それで、こういう「人間=本能がこわれた動物説」も、キリスト教の「人間=魂をもった崇高な動物説」を裏返しにした、人間は特別な別格の動物という視点であると思うようになってきて、今では眉唾と思うようになっている。
というようなことがあるので、「可死性」ということを論じるのであれば「理科系」の文献にもあたったほうが議論の幅がひろがるのではないかと思う。不破氏の論はウエットに傾いているので、理科系のドライという薬味もほしい。その流れからいうと、ドーキンスの「ミーム」論などは絶対に外せないはずと思うが、このあたりはまた別に論じたい。
さて、文学は作者と作品と読者からなりたつということを外山氏はいう。「読者のいないものは、果たして、作品といえるのか。」「読者のないものは、文書記録ではあっても、文学作品とはいえない」と氏はいう。ポパーは、誰にも読まれない本はインクのしみのついた紙の束かとい疑問をだし、読まれる可能性のあるものは本であるといっていた。これは現代音楽では常に問題となるところである。佐村河内氏の問題の本当に大事な部分はそこにあるはずである。丸谷氏は「すれっからし」の読者ということをいう。しかし最先端の現代音楽は「すれっからし」の聴衆にとってさえ少しも興味をひかないものなのかもしれない、という問題である。(音楽がさらにやっかいなのは、作品と享受者のあいだに演奏家というものがはいってくることである。楽譜をみて頭に音がなるというひとを除いては。あるいはゲートーベン以後の作品は素人が自分で弾いて楽しむことがほとんど困難なものになってきていて、専門の演奏家を必要とするということである。文学の世界ではさすがに専門家に解説してもらわなければ理解できない小説などというのはあまりない。)
外山氏はまた「近代読者」ということをいう。受身一方ではなく、自分の個性にもとづいて、解釈を加え、かすかでも作品の生命に影響を与えることのできるアクティブな読者のことをいう。丸谷氏が「宮廷文化」と呼ぶのはこういう「近代読者」がたくさんいる世界である。とすれば古今・新古今の時代は「近代」であったということになる。
ここで外山氏が想定している読者の問題と、不破氏が丸谷氏の著作を論じる視点には微妙に異なる点があるように思う。外山氏の「近代読者」は作者がどのように考えて書いたかということとは無関係にテキストに自由な解釈を加えていくひとのように思える。一方、不破氏は自分の読みの正当性を丸谷氏の個人的な履歴といったほうから検証しようとしていく。自分は勝手な読みをしているのではなく、自分がそのように感じるということは(無意識にでも)丸谷氏自身も自分と同じような感じ方をしたからで、それは丸谷氏の履歴を子細に検討すればわかるという論法である。そして、その背景には自分がそのような読みをするのは自分の履歴も関係しているということが伏在している。自分と著者をそれぞれ深く掘っていく方向で(村上春樹の「井戸」?)、自分を広げていく方向ではないように思える。
昔、どこかで読んだ平野謙説だったと思うが、小説には我を忘れるものと身につまされるものの両方があるというのがあって妙に記憶に残っている。丸谷氏はどちらの方向の小説を書きたかったのだろう。少なくとも身につまされる方向ではなかったような気がする。それを不破氏はあえて身につまされる方向で読もうとしているように思える。それが小説の読みかたとして正統的なものであるのか、それがわからないところである。
イーヴリン・ウォーの「ピンフォールドの試練」(集英社版「世界の文学15」所収。吉田健一訳)にはこんなところがある。「ピンフォールド氏の考えでは、たいがいの小説家は一つか二つの本の材料を持って生まれてくるだけで、後はすべて手品を使っているのだった。」 小説家にしても全くの無から何かを生み出すだすわけにはいかないわけだから、何らかの手持ちの材料を使うことになる。文学部における論文というのはそういう手持ちの材料探しというようなものが多いのかもしれない。こんなところもある。「それ(ピンフォールド氏の小説)を外国の学生が論文の題目に選ぶこともあった。しかしピンフォールド氏の作品に宇宙の秘密が隠されているような論陣を張ったり、それを哲学界での流行や、社会問題や、精神病理学と結びつけたりしたくても、ピンフォールド氏に送る質問書に対する彼の無愛想で飾り気がない答えには当惑するほかなかった。・・彼は自分の本を自分が作ったもので、自分の外にあって他人が用い、また、評価するものと考えていた。」 小説というのは自由に読めばいいもので、無理に作者の秘密に帰っていくことはないのであり、また自分の問題と結びつけることもないのではないかと思う。小林秀雄も若い頃、批評とは「他人の作品をダシにして己を語ること」といったようなことをいったことがあったのかもしれないが、それは若気の至りとでもいうようなもので、後々、それをのりこえるために、いろいろと苦労を重ねたのではないかと思う。
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