倉橋由美子「最後の祝宴」

最後の祝宴

最後の祝宴

 古屋美登里というかたが、倉橋氏の単行本未収録の文を集め、「倉橋由美子全作品」の自作解題「作品ノート」をも併せて収録したものらしい。
 倉橋氏は現在ではほとんど忘れられた作家という感じで、旧作が文庫化されるなどということもあまりないようである。
 氏は24・5歳で「パルタイ」が評判になったころに数年多くの小説を書いた後、29歳で結婚し、31歳でアイオワに留学、33歳で出産のあたりで、「反悲劇」連作「ヴァージニア」「スミヤキストQの冒険」などを書いて作風が大きく変わり、35歳の「夢の浮橋」以降はその作風はほぼ一定したように思うが、その後は寡作となり、次の「城の中の城」まで約10年の間がある。
 かなりの倉橋ファンは「パルタイ」以後数年に書かれた作を好むらしい。つまり文学少女風時代の倉橋氏の作である。しかし倉橋氏自身は、そういう作風から脱することを一生の課題とし続けたひとのように思うので、そういう氏を救ったのは結婚であり、出産であったのだと思う。それによって氏は普通の女(文学少女の反対概念)になれたと感じたはずである。そして「夢の浮橋」以降の作品は何かに対するアンチであることをもっぱら眼目にしていたように思うので、何に対するアンチかといえば、文学あるいは小説へのアンチなのである。通常「文学」という言葉から連想される様々なものへのアンチ。とすれば、後期?の倉橋の作が読者を選ぶものになるのは当然で、氏が忘れられた作家になりつつあるのは当然なのかもしれない。そして倉橋氏もそれを悔やんでいたとも思えないので、おそらく吉田健一の「瓦礫の中」や「絵空ごと」を読んだ後では、本気で小説を書くのがいやになっていただろうと思うので、「城の中の城」以降の作品はすべて吉田健一へのオマージュであって、自分が小説を書くことなどどうでもいいと思っていたのではないかと思う。
 わたくしは吉田健一信者なので、倉橋由美子への吉田氏の影響という関心からもっぱら倉橋氏のものを読んでいる。「作品ノート8の 夢の浮橋」で自分を「保守反動」といって、だが「右翼」でも「左翼」でもなく、古典主義者でクラス主義者で階級主義者であるといっているが、要は貴族主義者ということなのだと思う。そして、吉田健一は貴族主義者ではなかったなあと思う。自己をクラス主義者と規定してしまったところで、倉橋氏からある種の自由が失われたのではないかと思う。一流を嗅ぎ分ける能力にとても秀でた一流半のひと、あるいは偽物についての嗅覚がとても発達していて楽しめるものがとても限られてしまったひとであったように思うが、氏としては一流のものさえ楽しめればそれでいいと思っていたのであろう。倉橋氏には「狂」的なところがほとんど欠けていたように思う。そして吉田健一にはどこかに「狂」的なところがあったように思う。デモーニッシュな何かを欠いて一流になれるのかということははなはだ難しい問題のように思える。