本棚の整理(4) 倉橋由美子

 倉橋由美子はもう忘れられた作家、今となってはほとんど読む人のいない作家なのではないかと思う。まだ一部、倉橋ファンというのがいるのかもしれないが、それは倉橋初期の「聖少女」あたりのファンであって、わたくしのように後期の倉橋に専ら関心があるという人間はあまり多くはないように思う。
 まだわたくしが教養学部の学生のころ、わたくしなどの何倍も本を読んでいた友人が、その頃、確か「海」に連載が開始されたところだった「夢の浮橋」を読んで、「倉橋がおかしくなっているぞ」というようなことを教えてくれたのが、倉橋の名を耳にした最初だったかもしれない。何だかスワッピングの話だったのである。
 この「夢の浮橋」から次の「城の中の城」あたりの10年あたりが倉橋の転換期であったのだと思う。「夢の浮橋」連載開始ごろに「ヴァージニア」が刊行されていて、「夢の浮橋」刊行時(1971年)に「反悲劇」が刊行されているが、その後、約10年後の「城の中の城」(1980年)まで小説は発表されていない。どうも1970年というのが問題で、三島由紀夫が死んだのが1970年11月、その同じ月に吉田健一の「瓦礫の中」が刊行されていて、翌71年には「絵空事」が刊行されている。
 「シャトー・ヨシダの逸品ワイン」(「最後から二番目の毒想」所収)に倉橋氏は以下のようなことを書いている。「一九七〇年産の『瓦礫の中』、一九七一年産の『絵空ごと』、それに一九七三年産の『金沢』。いずれも吉田氏自身が推奨していたシャトー・ディケムを思われる逸品で、これを読んだあとは小説を読むのも書くのもいやになってしまった。」 これは本当なのだろうと思う。それで、10年の沈黙があり、「夢の浮橋」からの微妙な転換が図られる。「夢の浮橋」では桂子と呼ばれていた主人公は、「城の中の城」では桂子さんと呼ばれることになる。
 倉橋由美子が敵としたものは文学青年・文学少女的な何かとでもいったもので、三島の死に際しては「英雄の死」という三島を神とたたえるようなオマージュを捧げたものの、吉田健一がその死を事故死と呼んだのをみて転向、三島の中にも文学青年の残渣をみるようになり、以後、吉田健一一筋の路線でいくことにしたのだと思う。
 倉橋が後期の小説で描こうとしたのは貴族たち(すなわち文学青年の対極にあるもの)の肖像だったのだろうと思う(書き方の直接のモデルは「絵空ごと」だったのではないかと思う)。しかし、氏の後期の小説では、この貴族たちが日本の上流階級であるとともに同時に支配階級でもある設定になっていたのがいささか困ったところで、いくら倉橋氏の筆力をもってしても、現実感が希薄なのである。「三島君はいい子だったけど、一つだけとんでもない誤解をしていた。日本に上流階級があると思っていた」と吉田氏がどこかで書いていた。存在しないものをペンの力で作り出すというのが小説の基本であるとしても、一個人ならいざしらず、一階級ということになると、いささかつらいものがあったのではないかという気がする。しかし、倉橋氏はまず自分が読みたいと思う話を書いていたのであって、自分としては満足してのではないかと思う。
 倉橋氏ほど露骨なくらいに吉田健一へのオマージュを捧げ続けたひとはほかにいないと思うので、健一ファンのわたくしとしては、倉橋氏への関心はつきることはない。本棚には三十冊くらいの倉橋本があった。わたくしが選ぶとすると、ベストは「ヴァージニア」? あるいは「城の中の城」。後は「偏愛文学館」といった後期のエッセイだろうか。第一エッセイ集である「わたしのなかのかれへ」の巻末のおさめられた「文学的人間を排す」も素敵で、「「しかし蠅というものは一匹いても不愉快だ。これは精神衛生上の問題ですからね。ほら、あそこにも蠅がいる。」 そういって彼が指さしたところをみると、長髪で顔色のよくない若い男たちが、「日常性に埋没することを拒否して・・・」といったことを話あっていた。そのとき新手の数人連れが店にはいってきたのをみれば、初老の、一見温厚で知的な大学教授風の紳士、しかもそのなかの二人まではベレーをかぶっている。出ましょう。進歩的文化人だ」と友人はいい、そこで私たちは他日を期してその日は別れたのであった。・・要するにひげをふくむ長髪は、新左翼のみならずその周辺のあらゆる文学青年的精神のシンボルなのである。」 ということでもういいたい放題である。大変失礼ながら、わたくしはここのところを読むたびに何故か池澤夏樹氏の顔が浮かんでくるのである。
 「城の中の城」を書いた倉橋氏は宗教が嫌いであって、氏にとっては宗教もまた文学青年的な何かの延長線上にある。たしかに大部分の人間にとっての信仰は飾り物あるいは偽物であるとしても、まれには本物の信仰というものも存在するのであって、しかし、倉橋氏はそれを認めることに抵抗する。「ピンフォールドの試練」には満腔の賛辞を呈する倉橋氏も同じウォーのカトリック小説「ブライズヘッドふたたび」については歯切れが悪い。そしてこれは吉田健一の翻訳のなかでもとびきりの名訳の一つであり、吉田氏もこの小説を愛読していたことは、倉橋に葛藤を生じさせたのではないかと思う。
 後期の倉橋氏は文学青年的人物はいっさいでてこない清浄な世界をひたすら書き続けた。だが、そういう葛藤のない世界というのが小説に適するかというのは問題で、吉田氏が「瓦礫の中」や「絵空ごと」でやってみせたのは、一回かぎりの奇蹟のようなものだったかもしれないのである。

夢の浮橋 (1971年)

夢の浮橋 (1971年)

城の中の城 (1980年)

城の中の城 (1980年)

ヴァージニア (1970年)

ヴァージニア (1970年)

偏愛文学館 (講談社文庫)

偏愛文学館 (講談社文庫)

わたしのなかのかれへ―全エッセイ集 (1970年)

わたしのなかのかれへ―全エッセイ集 (1970年)