井上章一 「アダルト・ピアノ おじさん、ジャズにいどむ」

   [PHP新書 2004年7月2日初版]


 「美人論」「パンツが見える」の井上章一氏が中年にしてピアノにいどんだ奮戦記である。
 現在49歳の井上氏は41歳からピアノをはじめた。理由はもてたいからなのだそうである。
 ピアノを弾くともてるのか? 井上氏の場合は、ナイトクラブでホステスさんの前でピアノを弾いて、アイドルになりたいとの一念からなのだそうである。ナイトクラブというところにはいったことがないが、お客さんがピアノを弾いたりするのかしら?
 とにかく猛練習の成果で、腕があがり、結構披露宴などで弾いたりしているらしい。ご同慶の至りである。
 要するに本書は、自分は40過ぎからピアノをはじめて、いっぱし弾けるようになったという自慢話がすべてなので、それ以外には内容がないようなものなのだけれど、氏の音楽環境がわたくしと似ているのが面白かった。中学生のとき、氏の家ピアノがはいった。妹さんがならうためと。これはわたくしとまったく同じである。ピアノなんか女の子がやるものと思っていたというのも、これまた同じ。
 で、少しわたくしのことを書いてみる。
 中学に入るとまわりに音楽にうるさい奴がたくさんいた。なにしろ見栄と虚栄心の絶頂期であるから、対抗のため親にせがんでステレオ(とか当時いった)を無理やり買ってもらい、乏しい小遣いをはたいてLPをすこしづつ買った。なにしろそれまでは、蓄音機にSPしかなく、トロイメライとかチゴイネルワイゼンとか数曲のクラシック以外には、広沢虎三の浪曲しかなかったのである。旅ゆけば駿河の国に茶の香り・・・。それでなんとか買いそろえた数曲の中に、ベートーベンの「熱情」なんていうのもあった。聴いていると、その第二楽章などなんかやさしそうで、はじめのほうなら俺でも弾けるんじゃないかなあという気がしてきた。それでいきなりバイエルも弾いたことがないのにベートーベンソナタ集などというのを買ってきた。ところが、これが何と変二長調、フラットが五つもある。もうなにがなんだかわからない。それでそれを一所懸命にハ長調に移調する。それをしてももちろん弾けない。それで今度は一部の音を間引いてみる。そうすると、抜いてもあまり雰囲気が変わらない音と、がらったと変わってしまう音があることがわかった(一番上と一番下の音は必須で抜けない。中間の音には抜いても大丈夫な音がある)。しかし、そんなことをしてももちろん弾けないから、悔しいので、こんどは自分で自分の弾ける範囲の技法(ほとんどゼロだが)でベートーベン風の曲を作ってみる・・・、なんてしているうちに、とにもかくにも、初心者向けの簡単な曲ならばなんとか音をあたれる程度にはなっていった。
 移調してみたり、一部音を省いてみたりというのは、とてもよい楽典の勉強にはなったと思う。井上氏もいうように独学あるいは高齢からやる場合には、面白くもないバイエルやチェルニーやハノンなんかはやらずに、やみくもに自分の弾きたい曲にとりかかって、なんとかそれらしくきこえるための工夫をいろいろしていくほうが、てっとり早いことは確かであると思う。
 ピアノは旋律と伴奏が一人でできるから、それ自体で完結した楽器である。しかし、張った金属弦をフェルトでひっぱたいて音を出すという野蛮かつ機械的な楽器でもある。どうかんがえても、20世紀前半で頂点をむかえた楽器である。これからは弦楽器の時代であろうと思う。
 わたくしとしてはどうせやるなら、ピアノに再挑戦するよりも、なんか弦楽器がいいなあと思っている。しかし弦楽器の初心者が他に被害を与えることピアノの比ではない。ところが最近弦楽器のサイレント楽器がでてきている。実はサイレントチェロというのをねらっている。弓で音をだすのは無理にしてもピチカートくらいはいけるのではないだろうか? 60歳になったらやってみようかな? 
 本書によれば、ピアノが弾けるおじいさんはもてるのだそうである。チェロでも弾けたらもっともてるのではないだろうか?