橋本治 「貧乏は正しい! 5 ぼくらの未来計画」

  [小学館文庫 1996年5月初版]


 イーグルトンの社会主義についての議論を読んでいたら、橋本治の「貧乏は正しい!」シリーズを読み返してみたくなった。
 「17歳のための超絶社会主義読本」と副題された「貧乏は正しい!」シリーズは、「ヤングサンデー」誌に1991年7月から1995年12月まで連載され、「貧乏は正しい!」が93年12月、「貧乏は正しい! ぼくらの最終戦争」が95年10月、「貧乏は正しい! ぼくらの東京物語」が96年1月、「貧乏は正しい! ぼくらの資本論」96年3月、本巻「「貧乏は正しい! ぼくらの未来計画」が96年5月に刊行されている。
 「17歳のための」と題された本を50歳を過ぎたおっさんが読むのは恥ずかしいが(なお、「17歳のための」というのは、これから社会に出るひとのためのという意味なのだそうで、社会人のような顔をしてもう30年以上やってきている人間が読むものまた恥ずかしい)、なにしろひどい経済学音痴として生きてきて、インフレとデフレの違いもよくわからないような人間であったので、96年ごろ本書を読んで随分と勉強になった。
 本書は今から10年近く前に、つまり、ちょうどバブルが崩壊してみな呆然自失としていたころに書かれたわけである。10年たっても少しも古びていないのは驚くばかりである。それは原理論が書かれているからなのであろうが、「あなたの言うことはなるほど正しいが、しかし現実には・・・」と言い続けて10年がたってしまったわけである。
 最初の巻の「貧乏は正しい!」は若者への自立の勧め。親が金持ちであっても自立して、親に頼らずに自分の力で生きろ!。親から離れて一から出発すれば若者はみな貧しい。でも、そこから出発しろ、という自立へのアジテーション。「ぼくらの最終戦争」は阪神大震災オウム真理教事件をあつかった一種の宗教論。「いつ自分人生がチャラになってもいいような覚悟で生きろ、その日その日を悔いのないように生きろ」というかってはどの人間にも当たり前であった生き方の勧め。「ぼくらの東京物語」は、題名とは裏腹に「地方論、田舎論」。その議論が、なぜバブルがおきたのか? それは日本がとんでもないイナカであったからだ、という議論につながっていく。「ぼくらの資本論」はむしろ家と会社を論じたものであるが、橋本治自身がバブルの中でマンションを買って大借金を抱える話もでてくる。それらの先行する議論を踏まえて、この「ぼくらの未来計画」が経済の問題を集中的に論じたものとなっている。
 
 資本主義は借金を前提とする。金があるが仕事をする力がない人間が、金はないが仕事をする力がある人間に金を貸して利子をとる、それが資本主義の仕組みである。金を出すのが投資であるが、この投資は株券という形をとり、投資家(貸し手)は一般の借金の場合とは異なりその返済を求めず、利子すなわち配当だけをもとめる。その借金の返済が求められるのは会社が倒産した場合だけである。会社が存続している限り貸し手は返済を求めない。
 以上は会社創設時の資本金であるが、会社が平常の事業運営で金が必要になった場合には銀行から借りる。しかし、会社が儲かって、そのお金を元手にして次の事業を始められるようになれば、銀行から金を借りる必要がなくなる。いつのころからか日本はそうなった。金余りである。銀行にとって世間が豊かで金があるというのはいい状態ではない。だから企業にではなく、個人に金を貸すようになった。しかし住専破綻でわかるように、それはロクでもないところにしか金を貸す先がないということであり、金を借りてまともな事業を設立したり拡大しようというひとがあまりいなくなっていたということである。資本主義には「金はないが、事業や商売をしたい人」と「金はあるが、そんなに商売や事業をしたくない人」の両方が必要である。前者があまりいなくなり、後者ばかりとなったら資本主義はたちいかなくなるのである。
 借金には担保が必要という原則を律儀に守っているのが質屋である。しかしサラ金は担保なしで金を貸す。サラリーマンは、今は金がなくても来月には金が入ってくる。あるいは学生は金をもっていなくても親は金をもっている。誰でも借金できるようになった。ローンで買い、カードで買うようになった。
 「金はないが、事業や商売をしたい人」と「金はあるが、そんなに商売は事業をしたくない人」というのは、「金をもっていないが働ける若者」と「金はもっているが働けない老人」ということでもある。日本は金をもっている寝たきり老人ばかりの国になったということである。
 金余りの時代には、普通に投資できる先がなくなり、金に投資したのである。金を使って金を買った。土地や株や商品相場である。余った金で株を買えば株は上がる。土地を買えば土地の値段は上がる。理の当然である。もしも無限につぎ込む金があるのならば、これは永遠に続く。しかし金は無限にはない。だからバブルは当然のこととして崩壊した。どこで間違ったのか? やるべきことは「金で金を買う」ことではなく、「まともな仕事を発見する」であったのである。それを仕事=金儲けと勘違いしたのである。
 もっと大きな目で見てみよう。そのころの欧米は「金はあるが、そんなに商売は事業をしたくない人」であり、日本が「金はないが、事業や商売をしたい人」であったのである。その日本は「働いて金儲けをする」こと以外に重要なことを発見できなかったのである。とすれば、日本が「金はあるが、そんなに商売や事業をしたくない人」になってしまったわけで、欧米先進国の金持ち老人たちは困ってしまうことになる。だから中国を先頭にしたアジアに目を向けるのであるが。
 日本人は貯金したがることで有名である。これは日本人は金の使い方を知らないということでもある。これは自分には何が必要か?自分は何が欲しいかがわからないということでもある。本当は《自分に金を使えばよかった!》のである。《必要なものを必要なだけ“自分”というものに投資して、いざという時になって平気でいられるような強い自分を作る》ことをすればよかったのである。人間にとって自分というのは一番贅沢なものなのである。この一年から二年に間(1995年ごろのである!)に日本におきているやっかいな事件のほとんどは、現場の責任者が責任のがれをすることに起因している。自分がこの件の責任者である、ということを認められないのである。自分は人並みに順送りで年功序列でこの地位にいるだけなのだから、そんな難しいことはどうしていいかわからなくても当然だ。なんで責任をとるなんて難しいことを俺に求めるのだ、そんなことはわたくしは知りませんよ、という態度にでる。
 金余りということは余裕ということなのであり、これは時間が与えられるということでもある。「自分に投資する」というのは「自分の責任で“自分”というものをちゃんとさせる」ということである。しかし、バブル時代に金は日本人をまともにするためにではなく、若い女を狂わせるために使われた。若い女は男から貢がれて当たり前だと思うようになった。
 自分のために金を使うためには、まず自分というものがなければならない。文化とは結局、「金の使い方」なのだ。金がなければ手間をかける、それも文化だ。文化とは蓄積されてしまった豊かさをどう使うかである。
 現代において“自分のやりたい仕事”をできるのは特権階級だけである。特権階級は忙しい。中流は暇をもてあまし、余暇の利用法に悩む。しかし特権階級は仕事で自己表現ができるので、いくらでも仕事を増やせる。どんどん忙しくなる。
 資本主義経済が資本家と労働者でなりたつというのは嘘である。資本家にとって労働者とは半人前の使用人にすぎない。労働運動とは俺たちも一人前にあつかえ、経済の仕組みの中に参加させろという要求であったのである。人権とか民主主義とかいうのは、みんな参加から排除された人間の参加への要求であった。資本主義には金儲けの喜びはあっても、労働の喜びなどというものはない。経営者にとって労働者とは文句ばかりいう機械である。
 投資家と経営者以外もう一つ資本主義に必要なものは労働者ではなく、お客さんである。
 かつてホワイトカラーは幹部候補生であった。それがホワイトカラーの数が増え、ブルーカラーとの差がなくなり、幹部候補生ではなく、会社をただ通り過ぎるだけの人となった。そこで失われたのがエリートとしての責任感である。しかし、このことは逆にすべての会社員が幹部候補生であり、会社のことを考える責任があるということでもあるのである。もちろん、それは理想論であり本質論である。しかし理想論が理想論であり、本質論が本質論であったのは、日本が貧しかったからである。日本は金余りになるほど豊かになった。とすれば、理想論や本質論が通る時代になってきているのかもしれないのである。では、会社をよくするためにできることは何か? 「少し金儲けのことを考えるのをやめる」である。しかし、会社の目的は金儲けをすることである。会社は自分自身にブレーキをかけられない。資本主義は永遠に“大きくなる”という方向しかとれない仕組みでできあがっている。しかし、資本主義が“大きく”なるという方向に動いて有効であったのは、モノが足りなかったからである。欲しいものがたくさんあったからである。しかし、もういいのではないか? 欲しいもの必要なものは、そんなにはなくなってきているのではないか? そうであれば、会社にブレーキをかけなければ、もうどうにもならないところに、時代はきているのである。
 とすれば、資本主義の問題点は、《ものが足りない、もっとたくさん作ろう》の産業革命に起因するのであるが、われわれが抱えている問題は、それだけではない。われわれの社会が、とっくに片付いたはずの家や家族の問題をひきづっていることが問題を複雑にしている。昔の“家”は現在の会社に近いものだったし、戦前の日本の「家」という制度は現在の「会社」という制度に似ているということがあるからである。ワンマン社長などというのは、大昔からの家長制度そのものなのである。会社という制度には「家」社会からは追放されてしまった男社会が色濃く残っている。旧民法で「家」という制度ができた時代と会社というものができた時代はそんなのは違っていない。もしも「家」という制度が古くなってしまったのであれば、「会社」という制度だって古くなってしまうかもしれない。
 戦前の「家」制度では、家長は「家という会社の経営者」であったし、家督というのは「家という会社の資産であり、経営権」であった。「会社」というのは資本主義成立以前に成立していた「家」というものを、資本主義の原則に合わせて作り直しただけのものである。ところで「家」という制度は「自給自足」を前提としている。その「自給自足」体制を壊したのが産業革命なのである。
 今はイナカよりトカイのほうが豊かであるが、かつてはトカイというのはイナカで食い詰めたものが集まる場所であった。その食い詰め者がやがて市民となっていく。かれらの市民革命とは、参加の要求である。農業という自給自足をできなかった都会の市民は産業によって金儲けをするしかなかった。近代とは自給自足の終りである。産業革命とは市民がおこなった比喩ではない文字通りの本当の革命なのである。
 産業革命以前はお客さんは金持ちであったが、以後は貧乏人がお客さんになった。ここに企業の従業員がまたお客さんであるという奇妙な構造が生まれることになる。
 農民とは基本的にはこのままでいい、と思っている人であった。面倒くさいことは領主様にしてもらえばいいと思っていた。この農民の姿勢は現在のサラリーマンの姿と似ている。
 仕事とは他人の需要に応えることである。他人の必要に応じるものである。これは自給自足とは正反対のものである。自給自足の世界では仕事とは自分のためにするものである。《自分のことは自分でする》のは悪いことではない。しかし、そこでは他人のことが忘れられがちである。
 ところで清貧の思想とか晴耕雨読という考えとかはみんな自給自足を前提としている。すなわち、自分の食べるものは自分でつくって余計なものは作らない、すなわち農業の思想である。農業とは自給自足を前提にしている。自給自足は豊かになったらおしまいである。すなわち、自給自足とは貧しさを維持することをめざす。そこでは他人がでてこないから、排他的になる。イナカの貧しさとは、自給自足を善として、欲望を否定することに由来する。自給自足には自足はあっても自由がない。なぜかつての多数派であった農民が革命の主体になることがなかったのかという理由がそこにある。黙々として働いていて、世の中の動きにはコミットしない、自給自足とはそういうものである。農民たちは、基本的にはこのままでいいと思っていたのである。これは現代のサラリーマンの姿に似ているのではないか。働くことだけをしていたい。面倒くさいことは誰かにやってもらいたいと思っている。今の日本をだめにしているのは、考えない“上のほう”の旧態依然と、自信のない“現場”のためらい、である。現代に自立は必須の条件であり、「自給自足」「自分のことは自分でする」は少しも間違ってはいない。しかし、自立とは精神の「自給自足状態」のことである。自分の頭で考えるということである。
 亭主がそとで稼いできて、女房は亭主に養ってもらうという閉鎖的な家庭もまた貨幣経済の侵入をきらう自給自足の農村と同じ構造である。家というのは、そこに帰ってくるとホッとする場所というだけのものである。そういう場所が結婚という形からのみしか得られないということはない。結婚は性交渉を前提をする制度である。しかし、家というシステムと性交渉はどう関係するのだろう。男同士の家、女同士の家があってなぜいけないのだろう。夫婦にはなりたくないが、家族にはなりたいという考えだってあっていい。
 産業革命以来の資本主義はつねに「製品の作り過ぎ」という問題を抱えてきた。会社は「利潤を追求する」という以外の目的をもてなかった。しかし、必要なものが何だかわからなくなり、必要もないものを無理におしつけるということには限界がきている。会社は必要なものだけを作って、社会の必要に応えるということではなぜいけないのだろう。
 そうなったら、作るものが減るのだから、人員整理、人減らしという話にすぐになってしまう。どうしてなのだろう。機械が導入されたのはたくさんつくる必要がでてきたからではないか。たくさん作らなくてもいいのならば、工場制手工業のマニファクチュアに戻ればいいだけではないか。工場でみんなで一緒に働けば、仲間ができる。人間が仲良くなるために一番よい方法は共同作業をすることである。
 今までの家族のあり方が終りになっても、どうということはない。別の形の家族を始めればいいだけだ。自給自足を善しとし、家族という形に閉じこもるのは、他人を信じられないからだ。いま明らかになってきているのは“もう他人を信じてもいい”ということなのである。「未来」というのは、自分が信じたいと思う方向に自分でつくりあげていくものなのだ。無能を克服するためには、まず自分の無能を自覚しなくてはならない。そこからはじめるしかない。
 
 今から10年近く前にこれを読んだときの印象は、なるほど言っていることは正しいけれど、現実はなあ・・・、というものであった。まだ失われた10年の真ん中あたりであり、これほどの事態になるとは思っていなかったということもあるかもしれない。
 今でも、工場制手工業のマニファクチュアに戻れなんていわれると、さすがに、うーんと思うけれども(なんだかこれも一種の清貧の思想のヴァリエーションではないかと思えてしまうのである)、ここでいわれていることの骨子、金余りとなった時点において、日本は文化の方向に向かうべきであったのだということはまったくその通りなのであろうと思う。その時に文化のほうにいっていれば、現在のわれわれはもう少し自信を持てているのだろうと思う。
 バブルのころの日本人はとんでもない自信をもっていた。経営者などは、世界の経営者よ自分のところに日本的経営を勉強に来いなどと嘯いていた。年功序列終身雇用体制は社員の会社への忠誠心を高め、会社の成長をささえるが、それに引き換え、会社に時間を売っているアメリカの労働者などは忠誠心ゼロではないか、などといっていた。日本は「坂の上の雲」を目指す自信がない時代はうまくいくが、いったん自信をもってしまうと夜郎自大となり坂の下の沼に転がり落ちてしまうという説が天谷直弘氏の「ノブリス・オブリージ」(1997年 PHP)にあった。天谷氏がこの論を書いたのは1977年であり、明治の坂の上の雲から昭和の坂の下の沼への転落を敗戦後の再び坂の上の雲をめざした発展のあとに繰り返さなければいいがという警告であったわけであるが、見事にまた沼に転落してしまった。要するに金余りの時代には誰が経営者であってもうまくいったのに、それを己の功績であると錯覚したわけである。もともと日本はトップが無能で現場が優秀ということになっていたのに、現場の功績を自分の能力と勘違いしてしまったわけである。自分が有能であると勘違いすれば、自分を磨くとか自分に投資するとかいう発想がでてくるわけがない。呆けて何もしないでいたので何の蓄積もないから、失われた10年(あるいは20年になるのだろうか?)になると茫然自失、自信のかけらもなく、ひたすら地価が再上昇するのを待ち、後は大過なく自分の時代が過ぎるのを待つだけとなる。
 まあ、トップは以前から無能であったのだから仕方がないのかもしれない。問題は現場がどんどんと疲弊してきているように見える点である。自分が本当に必要なものを作っているという自負があれば意欲もでる。しかし、こんなもの本当に必要なのかなあというものを作っていたのでは張り合いがでてくるはずがない。そして、仕事に張り合いがなくなれば、後は地位とかいうものにしか関心がなくなり、物言えば唇寒しというようなことになるのかもしれない。最近のNHKとか朝日新聞の事態あるいは、JRの事故とかを見ても、トップ態度のひどさもさることながら、そういうことに対して誰も何もいっていないように見える現場というのもまた理解できない。骨のある人間というのはいなくなってしまったのであろうか? そんなものはトップの考えることであって、これぽっちの給料しかもらっていない自分にはかかわりのないことであるということなのかもしれないが。責任感などという言葉は、あるいは志などという言葉は死語になってしまったのであろうか。
 ということで10年後に読んでも現在のことが書いてあるような新鮮さを失っていない本であるが、もともとは超絶社会主義読本なのであった。
 それで第一巻に少し戻る。
 社会主義以前には、思想とは高級なものであった。貧乏などというのは二流の問題であった。それにもかかわらず、社会主義は貧乏という問題をとりあげた。それは二流であるかもしれないが一番切実な問題でもあるのだから。社会主義は貧乏そのものではなく、貧乏であるとは人間にとって情けない惨めな状態なのであるという形で問題をとりあげた。情けないという人間存在のありかたとしての貧乏である。しかし、貧乏には二種類ある。最低レベルの貧乏、食べられるかどうかというレベルの貧乏と、もう一歩上がどうしても達成できないという意味での貧乏がある。「パンがないから食えない」と「まずいパンなんか食べたくない」である。量の貧乏と質の貧乏である。質の貧乏を《ダサい》という。社会主義は量の貧乏を克服できたけれども、質の貧乏を克服できなかった。《ダサい》ままであったのである。
 橋本治のいうように、社会主義は確かにそれまで思想の中で正面から取り上げられることのなかった貧困の問題をとりあげた。問題は、その問題を解決したのが、社会主義であったのか、資本主義であったのかである。社会主義は量の貧乏をなんとかしたかもしれないが、質の貧乏を克服することはできなかった。一方、資本主義は質の貧乏も量の貧乏も解決したかもしれないが、解決しすぎたのである。作り過ぎるというという欠陥を克服できなかった。作り過ぎの問題は過去においては、軍隊を背景とする商売の拡大という植民地主義帝国主義と不可分であった。この点において過去の社会主義による資本主義批判は正鵠をえていたのである。現在においては軍隊を背後に控えさせた商売という露骨な形態はなくなってきているが、橋本のいうように商売というのがつねに侵略という側面をもっていることは間違いない。つい最近もトヨタが絶好調であるのに対して、GMとかフォードが沈没しつつあることが報じられていた。これだって一種の侵略である。しかしトヨタは人が欲しがっているものを一番十全な形で提供しているだけであるといえば、それもその通りである。商売が侵略にならないためには敢えて作らないという選択も必要になるが、それは資本主義とは別の方向から出てくる話である。
 今の朝日新聞社の問題を見ていても、あるいはJRの事故の報道を見ていても、金を儲けるという以外の価値観はないように見える。そして橋本もいうように資本主義の建前から言えば、株主の付託に応えて少しでも多く儲けて、少しでも多くの配当をすることが経営者に課せられた義務なのである。しかし、最新の「広告批評」の「ああでもなくこうでもなく」で、橋本は「会社の経営者がよっぽどひどいやつじゃなかったら、株主は“自分の利益”なんてことを口にしない方がいいんだよ」「株主の利益だけを考えて会社が突っ走ったら、会社は暴走する戦車のようなろくでもないものにしかならない」「「社会の中での企業」というあり方を考えたら、経営にタッチしているわけでもない株主は「自分の利益」なんて口にしない方がいい。それが「持てる者」の慎みでしょう」といっている。自分でもとんでもない考えであるといっているが、「経済を語る上での常識なんてなんにもない方が、これからの経済のあり方を考える上では都合がいいんじゃないか」などとさらにとんでもないことも言っている。資本主義のほとんど全否定である。
 しばらく前までの経営者は、橋本のいうように考え行動していたのであろう。株主のことなどほとんど考えずに、社会での自分の会社の役割を考え、あとはもっぱら従業員のことばかり考えていたのであろう。おそらく某銀行の頭取が、行員の向こう傷は問わないなんてことを言い出し、地上げなどということに銀行がかかわりだしてからおかしくなったのであろう。このころの銀行は別に株主のためを考えていたわけではなくて、そうしなければ銀行が傾くということしか考えていなかったのであろう。つまりそういうことを言い出す人が頭取になるような仕組みがもうすでにできあがっていたわけである。
 最近は資本主義などという言葉もあまり使わない。市場主義経済体制などという。資本主義というと一定の主義主張から作られているようなニュアンスがあるが、市場経済といえば、ほとんど、人間が必要なものを効率よく流通させるための自然現象に近いような制度のように思えてしまう。人間にはある種の過剰が自然に備わっており、その過剰が必然的に市場経済を作り出すのであろうか? 都市も過剰の産物である。文明は都市から生まれる。知識人も都市から生まれる。思想も都市から生まれる。しかし資本主義は都市の高級な思想から生まれたものではない。食い詰めた都会の下層民から生まれた。その猥雑なエネルギーが植民地から帝国主義への悪を産んでいった。それは貧乏な若者の運動であった。明らかにその当時の西欧はイスラムや東洋に較べて野蛮であった。しかし、西洋以外で食い詰めた若者が歴史の主役になった場所はないのである。つまり、西洋以外の地では、ついに自給自足を大原則とする農業中心の思想が崩れることがなかった。それ以前の膨張主義はみな農耕ではなく、遊牧の民がもたらしたものであった。商売による拡張主義というのは、それまでにはなかったのではないだろうか? そもそも過剰な生産物などがなかったのだから。
 資本主義の悪は過剰な生産に由来する。その正反対に自給自足の農業体制がある。資本主義の悪は間違いなく存在する。しかしそれを批判するが故に自給自足にもどろうという考えは否定されなければならない。それが橋本の主張の根本である。他人の要求に応えることは善なのである。農業中心の自給自足体制は“他人という存在”をおろそかにするが故に、他人を前提とする商業の体制に劣るのである。商業を否定せずに過剰な生産をしない方法が工場制手工業のマニファクチュアなのである。問題はいったん作られてしまった過大な生産体制を縮小することができるだろうかということである。ラッダイト運動は明らかに反動であり、時代錯誤であることは間違いない。
 橋本原理論は、確かに言っていることはよくわかるがしかしという印象を引き起こす。というのは世界にはまだまだ若い国があり、投資さえあればモノを生産する意欲のあるワカモノがたくさん控えているからである。それらのワカモノたちもまたいずれ西欧と同じように、あるいはわれわれと同じように老成してしまうであろう。そのときに、橋本の論がはじめて現実のものとなるのかもしれない。しかし、彼らが老成するまでの間に、過剰に産生されたものがどのような悲惨をひきおこしていくか、想像もできないけれども。
 それと、アメリカという国がはたして老成することがあるのか、というのがもう一つの疑問である。あの国はひょっとして永遠に野蛮なワカモノのままでいくのではないだろうか? 移民の国というのは常に貧乏なワカモノが入り込んでくるということであるから。そしてアメリカと正反対に、日本くらい移民の受け入れに拒否的な国はないであろうから、日本の老成は必至ということになる。
 資本主義体制において労働者には出番がない、というようなことを言い切ってしまうところが橋本の論の過激なところである。正統社会主義者がきいたら目を剥きそうな論である。資本家(これが投資家を意味するのか、会社の経営者を意味するのかそれが問題であり、橋本の論はこれをはっきりと分けたところが特徴である)は過剰な生産をするために労働者を酷使した。マルクスによれば、労働者の犠牲の上に資本家は利益を蓄積するのであるが、橋本は労働者は機械の代用にすぎないという。これは、会社の所有者は株主であり、その委託を受けて取締役が会社を運営するが、会社員というのは会社にとってなんら本質的な構成要因ではない、という議論とパラレルであるように思われる。橋本の論によれば、労働者が会社の運営に参加するようになればはじめて資本主義に参加したことになるのであるが、実際には経営者としてではなく消費者として資本主義に参加するようになっているのだという。つまり経営者にとって労働者は労働力としてよりも消費する人として重要である、その消費をしてもらうための原資として給料をだしているのだというのに近い議論である。マルクスの絶対窮乏論にしたがえば、消費をするひとがいなくなってしまう。商売の対象が金持ちから貧乏人へと変わった時点で、マルクスの論は破綻するというのである。
 日本の資本主義が自給自足的なものであるのかという点が、この橋本の論での最大の問題である。日本という国が自給自足的であり、日本の会社もまた自給自足的であるのではないかということである。たとえば、アメリカに車が売れているとしても、何台売れていてどのくらいの収益があるかということは問題になっても、アメリカという車を買っている他人がどのくらい見えているのだろうかということである。あるいは日本の会社は、自分の会社のものを買っている他人の姿がどのくらい見えているのだろうかということである。自分の会社の中のことしか見えていなくて、そこにあるのは数字だけなのではないのだろうかという疑問である。この自給自足的な思考が将来変わることがあるのだろうか? お家大事、お家第一なんていうと大時代であるが、西武という会社の問題ででてくるのが堤家の家訓である。そういう会社でありながら、多くの社員にとってそここそが自己を燃焼させる場であり、そこにいくとほっとする家庭のような場所なのである。なんだか変である。おそらく1990年ごろから多くの人がそう感じていて、結局変われなかったのである。人がなんといおうと自分は自分というものを作ることができなかった。だから価値は自分の外にある。自分はただ働いていればいい、難しいことは誰か別の人が考えてくれる、としているから、問題がおきるとただ右往左往するだけになる。村上龍が「半島を出よ」で描いている日本人像である。そこでも何人かはまともな人がでてくるのではあるが。
 要するに“自立”であり、“自分の頭で考える”ということである。敗戦のあとがむしゃらに働いてきて、飢えの問題は目の前からはなくなった。村上龍は近代化が終わるということは、国家が国民の生きる目標を提示する時代が終わったということであるという。1990年ごろに(あるいはそのもっと前の1980年ごろ?)に近代化は終わったのである。それにもかかわらず、自分はまだまだ貧乏と思い続けてここまできてしまったわけである。貧乏だから、まだまだ身を粉にして働かなければいけない。難しいことなど考える余裕はない。誰かが考えてくれ! ということになる。なにしろ、バブルの崩壊後ずっと不景気なのであるから、まだまだ貧乏という思いはいたって正当なものと思えてしまう。そしてかつての高度成長のような時代はもう二度とこないことは確実であるから、自分は貧乏という思い込みはこれからも消えないままである。しかし、本当に欲しいものはもうあまり無いということなのであれば、それは豊かということなのである。豊かになったときにただ一つ必要なことは自分に投資することと橋本治はいう。もし資本主義にブレーキをかけることが必要なのであるとしたら、その必要を各人が自分の頭で考えて納得することからしかそれは動き出さない。まだまだ貧乏だ。必要であろうとなかろうと何か作ってとにかくそれを売らなければいけない、という思いが果たして本当なのか、各人が問い直さなければいけないのである。
 とはいっても、日本人が幸福なのは貧乏なときなのではないか、貧乏でさあ頑張らねばと思うときのほうが幸福なのではないだろうか?という疑問がわく。要するに、何をしなかればならないか考える必要もない。とにかくしなければいけないことが目の前にある、そういう状況のほうが幸福なのではないだろうか? こういうのを貧乏性というのだろうか? もうお金はある、何をしたらいいかは自分で考えなさいといわれると困ってしまう。
 日本人は昔から模倣においてその才を発揮するといわれている。ある目標があって、それを達成することは得意なのである。明治には西欧という目標が、戦後にはアメリカという目標があった。種子島に鉄砲が来てから一年以内に自作していたといった話もある。トップが駄目で現場が優秀というのもそれに関連するのであろう。トップが大きな方向を示すことがいたって下手であるにもかかわらず、現場が創意工夫でなんとかしてしまう。小さな目標は得意なのである。
 しかし小さな創意工夫では乗り越えられらない壁にぶつかってしまった。というか、どういう方向に工夫をしたらいいかがわからなくなってしまったわけである。主観的には貧乏である。でももっと金持ちになったとしたら、自分には何か欲しいものがあるか、それがわからない、ということは何が何でも欲しいというものがないということである。消費者としての自分と生産者としての自分が分裂してしまったわけである。生産者としては何か作らねばとあせる。何しろものが売れない、何をつくったらいいだろう、と悩む。しかし、自分が買いたいものがないのである。自分は特に買いたいものはないけれども、とにかく何か売りたいというのは本当は変なのである。自分がたくさん売って、それで稼いで、あれを買いたいこれを買いたいということでなければ嘘なのである。とにかく何かを売る、売らなければならない、その動機がそうしないと自分がリストラされるからというのは変なのである。しかし、とにかく何かを売らなければいけない。それで今まで消費者でなかったものを消費者にしようとする。たとえば子どもである。子どももみな携帯電話をもつようになった。携帯電話は最後の大型の売れ筋商品なのだそうである。しかし、そんなもの一人で何台ももつわけがないから、あとは付加価値である。写真がとれるとか音楽がきけるとか。そしてそれでも飽和したら、まだ携帯電話が普及していないところに売りにいく。あるいは隙間産業である。形態電話のストラップが最近のヒット商品であるというよう記事を見て、そんなのは資本主義の断末魔であるとどこかで橋本治が笑っていた。いくら日本が“根付の国”であるといってもである。しかし、そういう方向に頭を使うほうが楽なのである。これは今までの路線の継承であり、根本を考えないで済むから。
 とすれば、もう資本主義は終わっているのではないか、などという方向に考えがいくとはとても思えない。というか10年ほど前に橋本治がこういう本を書いて、そんなことをしているとこうなるよと予言していた方向に日本は着々と進んできているいるわけである。社会主義という思想が現役であった時代のほうがまだ緊張感があったような気がする。とにかく、社会主義は資本主義という状況の全否定の思想である。そういう大局を否定する思想がなくなってしまうと、日本の弱点が極端な形で露呈してくるのかもしれない。
 しかし、そういう日本も悪い点ばかりではないと橋本治はいう。たとえば、阪神大震災のときに日本人は実に冷静に対応した。ほとんど略奪といったことがおきなかった。それは日本が豊かになったことによるのであり、教育の普及により日本人が知性的になったことを示しているという。若者たちも立派に行動をした。自分が何をしなければいけないかがわかってきる状況では、若者たちも端倪すべからざる行動をする。ああいう大震災の場では各人のもつ固有名詞は問われない。しなければいけないことがあり、それをできる人間がいるかが問われるだけである。今の日本に必要とされていることは若者たちに君たちも必要とされているということが感じられる場を提供することである。ということで、話はさらに発展していくのであるが、この文章が長くなりすぎたので、この点を論じた「貧乏は正しい ぼくらの最終戦争」については、次に別に項を改めて論じることとしたい。
 

(2006年4月16日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植)