クルト・マズア指揮 ショスタコーヴィッチ「交響曲第五番」

  [LPOー0001 輸入版]


 たまには本の感想以外も。
 昨年初旬、マズアがロンドン交響楽団を指揮した演奏会のライブ録音である。
 偶然にCD店でみつけたものであるが、「最終楽章の異様な遅さ!」というような宣伝文句につられて買ってきた。
 ショスタコーヴィッチの第五をはじめてきいたのは高校生のころであると思うが、誰でもが感じるであろうように、ベートーベンの「運命」にならった「苦悩から歓喜」へという構想に沿うものであることは明らかであるように思った。ただベートーベンのものにくらべて何か歯切れが悪いというか、肯定への意思が弱いというか、どことなくすっきりとしないものを感じた。これはスケルツォ楽章における独奏ヴァイオリンの使用といったことも関係しているかと思ったが、その最大の原因は終楽章での何かカタリシスに至らない終り方にあると感じた。行進曲調の主題で開始される派手な出だしが結局再現しないままで終ってしまうのである。聴いている側としては、どうも満足できない。何か落ち着かないものを感じる。それで、要するにシスタコーヴィッチはベートーベンほどの才能がないということなのだ、とその頃は思っていた。
 ショスタコーヴィッチの死後ヴォルコフ編の「証言」(いまだに偽書という噂が絶えないらしい)が出版され、ショスタコーヴィッチがこの終楽章について驚くべきことを言っていたこと明らかになった。これは「強いられた歓喜」を表したものだというのである。権力に鞭打たれながら「喜べ! 喜んだふりをしろ!」といわれているさまを描いたものだというのである。そうであるなら、ここにカタリシスなどあってはならないし、あるはずもないことになる。
 しかし、「証言」の前でも後でも、ショスタコーヴィッチのスコアは同じである。ショスタコーヴィチはこの曲を書くことで、ソヴィエト当局の批判を乗り切ったのであり、この曲はソヴィエト社会主義を賛美したものであるといわれていた。確か一部では「革命」などというニックネームでも呼ばれていた。
 その曲が「証言」が公刊されることによって、それを意識することなしに演奏できなくなってしまった。文学においてテキストがさまざな読まれ方をする、それと平行関係にあるのかもしれない。しかし文学の場合には、時代が変化することにより作者の意図を超えた読まれ方が可能になるという側面が強いはずである。それが作曲された時点においてさえ、それがソヴィエト当局には革命賛歌であり、ショスタコーヴィッチにはソヴィエト政権下での過酷な管理社会を描いたものであるというようなことが同時に成立するというようなことは、音楽というのが意味伝達の手段としてはいかに曖昧なものであるかということを示している。実際、ショスタコーヴィッチはこの曲を、当局からは政権賛美の曲であると受け取ってもられるという確信をもって作曲したはずである。
 終楽章を少し分析的にみていく。構造的にはソナタ形式ではなく、一見したところ(一聴したところ?)では三部形式に近い。(123小節までは主部、124〜246小節が中間部、247〜323小節までが再現部、324〜358小節がコーダ) ここにソナタ形式が用いられていないことが、この楽章が何か静的であってあまりダイナミックでない印象をあたえる一つの原因となっているものと思われる。
 主部は行進曲様の主題ではじまる。主題の提示のあと第二主題的な部分(83〜112小節)があるがこれは再現部では回帰しない。この第二主題的な部分のあと行進曲主題が回帰して、すぐに穏やかな中間部に入る。実はそこでの主題は主部の第二主題そのものであるが、主部と違って穏やかな表情となっている(とすれば、ここまではA−B−A−Bという形なのかもしれない。そう考えればこの楽章は三部形式ではなくロンド形式、しかも主題が基本的に二つしかないロンドということになるのかもしれない)。そしてそのあと行進曲主題が回帰して再現部になるのであるが、そこでは主題は pp でしかも音価が倍になっている。すわなち速さが半分になる。印象としては穏やかな中間部の延長であり、ソナタ形式の再現部でわれわれが感じる待望していたものの回帰というような印象はまったくない。曲頭の行進曲の駆動力は失われ、何か足をひきずって歩いているような奇妙な印象になる。ショスタコーヴィッチの証言を読めば確かにそうであるしかないと思うが、そういう先入見なしに聴けば、なんだか音楽としては変である。再現部では291小節から三拍子になるが目立つ旋律がでるわけではなく、主としてコーダへのブリッジの役割を果たす。そしてニ短調からニ長調にスコアがかわり4拍子にもどるコーダの部分なってようやく主題は曲頭の速度に戻る。実はこのコーダの部分は30小節以上にわたって延々とただニ長調の主和音がなり響いているだけである。木管と弦楽器はひたすらAの音を刻み、低音楽器がDを鳴らす。金管による主題の動きの中にあるFisの音で主和音が構成される。ティンパニはD−A−Dを繰り返し叩いている。一見派手な音と動きであるが和音は固定していて静的である。そこに変化をつけるために、Dの主和音をトニカではなく、G調のドミナンテとみなすことによりト短調の構成音が旋律にくわわる。A−B♭−C、あるいはC−B♭−Aの動きである。これにより一見華やかに鳴っているニ長調の音楽に短調の影がさす。どう見てもショスタコ−ヴィッチはここでは肯定的な音楽を書いていない。しかしそれをごまかし、権力当局を煙にまくために、コーダは曲頭の速度を取り戻す。すると第4楽章開始部の決然とした開始の印象が甦り、その印象で曲が終ったように錯覚してしまう。このコーダの速度がショスタコーヴィッチのごまかしの手段であり手品のしかけであるとすれば、それをとりさってみればどうなるだろうというのがマズアの指揮である。すなわち、コーダの手前にある molto reten. で目一杯減速させた速度のままコーダを演奏しきってしまうのである。そこで現出するのはなんとも異様な音楽である。もともとあざといショスタコーヴィッチの音楽のあざとさが露骨に眼前に出現する。終わり3小節前(356小節)、ほとんどすべての楽器が一時沈黙してティンパニの fff のD−A−Dの動きが剥き出しになるところなど、ティンパニ以外に音をだすもう一つの楽器である大太鼓のすさまじい音はなんとも形容しがたい。これと比較すればハイドンの「びっくり交響曲」などなんとかわいらしい音楽だろうか? 美しい構成物としての音楽とは明らかに異質なものがそこにある。
 以上の見方はヴォルコフの証言が真でないと成立しないものかもしれない。しかしかりに「証言」が偽書であったとしても、ショスタコーヴィッチの音楽がヴォルコフの証言を一笑に付すことを許さないものをもっているからこそ、「証言」があれだけの話題となったのである。かりに偽書であったとしても「証言」はショスタコーヴィッチの音楽への立派な批評になっている。したがってその批評を根拠に一つの表現を試みるものがでたとしても不思議ではない。
 わたくしの記憶違いでなければ、クルト・マズアは東独出身であり、東欧崩壊の過程で政治的にたちまわって、その後西側の音楽世界で地位を築いた人であったと思う。ショスタコーヴィッチではないが“生き延びた”人なのである。そういう人がこの曲を演奏したらただの音楽として表現することなどはとてもできないのであろう。わたくしがもっている他の演奏であるビシュコフ指揮のものなどもマズアのものほど極端ではないにしても、やはりマズア的な演奏である。ビシュコフもまたソ連から西側へでたひとである。一方、ロリン・マゼール指揮のものはただスコアを見て演奏したとでもいうような演奏である。マゼールは政治的な背景のない音楽職人とでもいうような人である。ちなみにマゼールビシュコフ、マズアの第4楽章の演奏時間はそれぞれ9分21秒、12分10秒、13分48秒である。同一の曲の演奏でこれだけ演奏時間が違うというのもあまり例がないことなのではないかと思う。
 演奏が終わったあとは拍手喝采とブラボーの嵐である。たしかに聴衆は何か新しいものの現前に立ち会ったというという驚きを感じたであろうと思う。いい演奏を聴いたというのではないかもしれないが、何か海の底から怪物がぬっと現れたのを見た、そういう感じであったかもしれない。ライブ演奏の醍醐味であろう。
 20世紀の音楽、12音音楽などというのは仲間内だけに通用する音楽、いわば学問としての音楽、同じ研究仲間しか読まない論文のような音楽であったという気がする。それに対してショスタコーヴィッチは世間にむかって音楽を書いた。あるいは書かざるをえなかった。しかもその世間むけの音楽の中に幾重にも暗号を埋め込んだ。その屈折がわれわれをひきつけるのであると思うが、マズアの演奏は、その暗号をわれわれにいやでも気付つかせずにはおくものかとでもいうような露骨な演奏なのである。
 (スコアは全音楽譜出版社のものを用いた。これに付されている寺原伸夫氏の解説は「証言」以前のものであり、微笑ましい。「曲は人間の不屈の意志を主張するように力強く終わる」ことになっている。)
 

(2006年4月16日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植)