橋本治「権力の日本人 双調平家物語ノートⅠ」

  講談社2006年3月28日初版
  
 内藤湖南の「日本文化史研究」(講談社学術文庫 1976年)の中の「応仁の乱について」(大正10年の講演記録)に以下のような有名な部分がある。

 大体今日の日本を知るために日本の歴史を研究する必要は殆どありませぬ。応仁の乱以後の歴史を知っておったらそれでたくさんです。それ以前の事は外国の歴史と同じくらいにしか感じられませぬが、応仁の乱以後はわれわれの真の身体骨肉に直接触れた歴史であって、これをほんとうに知っておれば、それで日本歴史は十分だと言っていいのであります。

 湖南がいっているのは、応仁の乱前後の混乱で旧来の家系はほとんど途絶えてしまい、現在われわれが知っている○○家などというものはほとんど応仁の乱以降のものであること、応仁の乱により足軽というものがはじめて歴史の中で力をもつ存在としてきたということである。
 この湖南の言を最初に知ったのはいつであるかもう覚えていないが、以来、この大碩学の言を素直に信じて、なんとなく平安以前の歴史には無関心できた。今、書棚の「日本の歴史」などというシリーズをみると鎌倉以後から江戸時代前までのものがところどころ端本として並んでいて、奈良平安時代のものはまったくない。
 湖南の言を素直に信じているのなら、室町以降の部分だけあればいいようなものだが、鎌倉時代もあるのは、わたくしが日本史理解のネタ本としているものの一つに山本七平氏の著作もあるからである。山本氏は鎌倉時代、特に北条氏の「御成敗式目」を重視する。鎌倉時代以降、農民=武士が自分の土地と財産に一所懸命に固執してきたことを歴史の動因とみるのである。政治とはその利害調整にかかわるのであり、鎌倉以降に日本では本当の政治が行われるようになってきたとする。
 山本氏以外のネタとしては網野善彦氏のもの、井沢元彦氏のものなどもある。滅茶苦茶としかいいようがない組み合わせだが、怨霊や穢れといった“宗教的”心情の方面から日本の歴史を読み解こうとする井沢氏を除いては、平安時代はあまり重視されない。
 「権力の日本人」は、それに対して平安時代の重要性を敢然と主張した本である。「日本の都市文化のルーツは江戸にあると思っていたが、実はそれより古くて、すべてのルーツは平安時代にあるのだなということもよく分かった」という橋本氏が、その主張を全面展開した本である。
 橋本氏の「双調平家物語」の刊行が始まったのは1998年である。多分まだ現在も刊行続行中であると思うが、刊行時、早速、買い求めて、読み始めた。ところが驚いたことに、4ページばかりの、例の「祇園精舎の鐘の声」に呼応した「大序」のあと、いきなり、唐土叛臣伝にうつり、そのままほとんど全巻が中国の話で終わってしまうのである(最後の40ページほどは藤原の鎌足大化の改新の話だが)。あれれれ、である。平家の話は全然でてこない(わたくしは第5巻までもっているが、まだ平家はでてこない)。
 それでなんとなく、ああこれは律令制度研究なのだな、それならいずれまとめて読もうと思ってそのままになっていた。以前から橋本氏は、大岡越前守というような官職が日本史を読み解く上で重要であるということを言っていて(越前守だからといって越前に赴任するわけではない、これは律令制度の上での官職名に過ぎない)、そのルーツの探求なのだなと思ったわけである。
 今回、本書を通読してみて、その勘がそう違ってもいなかったかなと思った。しかし今回は本当に通読しただけである。このニ段組350ページほどの本を一週間くらいで読んで、どれだけのことが頭に入ったかというとはなはだ疑問なところがある。あまりに人物関係が入り組んでおり、詳細な年譜と系図が付されているとはいっても、とても一回読んだだけでは理解しきれたものではない。それはわたくしの日本史についての予備知識があまりにお粗末であるのが主たる原因であるとは思うが、それでも、これだけのものを書いてしまう橋本治の頭はどうなっているのだろうかとも思う。恐ろしいことに、これは「双調平家物語ノートⅠ」であって、まだ「双調平家物語ノートⅡ」である「院政の日本人」の続刊が予定されている。本当に凄い人である。
 それにしても思うのは、この「ノート」を読んでから読んだほうが「双調平家物語」はよく理解できるのはないかということである。読み返してみれば、「双調平家物語」には、「近き世に滅んだ六波羅の入道、前の太政大臣平清盛公を、その栄華のはなはだしさによって、あたかも叛臣のごとくいうものがある。果たしてそれは真実か」といった文章がちゃんとある。主題はしっかりと語られているわけである。しかし、「双調平家物語」のトーンの高い文調で読むと、そういう文が華麗なる修辞と読めてしまう。
 「ノート」のほうが橋本氏の本当にいいたいことであって、「双調平家物語」本体はその理解を深めるためのサブテキストみたいにも思えてしまう。もっと言えば「ノート」されあれば、「双調平家物語」のほうは本当に必要なのだろうかという疑問さえも生じてしまう。
 一般的にあるいいたいことがあるときにその主張を織り込んだ小説を書くというようなことは迂遠であって、その主張自体を論文に書いてしまえば、そのほうがよっぽど手っ取り早いのはないかという疑問が、どうしても浮かんできてしまう。そうはいっても、たぶん、完結したおりには「双調平家物語」自体を読んでみることになるとは思うが・・・。
 それで、この「ノート」でも、一の谷とか壇ノ浦とかが語られるわけではない。清盛が平家物語の中で悪役となるのはなぜか? そもそも清盛が権力者となれたのはなぜか? という疑問から摂関政治の仕組みを論じていくのであり、日本に特徴的な権力の二重構造の由来を探っていく。
 橋本氏によれば、平家が悪くいわれるのは、「平家物語」が都の旧勢力の視点から書かれたものだからである。そして、自分の娘が摂関家である藤原基実に嫁いで(といっても清盛の娘の盛子は11歳であり、形式的な結婚なのだが)いたことを利用して、清盛が基実の財産を奪ったことを述べる。つまり、摂関家天皇の后を出すということで権勢を得たのと同じに、摂関家に娘を嫁がせることで権勢を得るというやりかたを清盛はしたということである。「平家物語」は摂関家の視点から書かれているので、摂関家と同じやり方で清盛が権勢を得たということはかけないため、「平家物語」を読んでもなぜ清盛が出世できたかがわからないのだという。
 橋本氏の凄いところは、「政権の座にいた藤原氏が「社会を管理する」などという面倒臭いことをやっていたとは、到底思えない」と言い切ってしまうところである。つまり、藤原氏は当時の政治権力者ではあったとしても、日本という国をどうしようなどということは(ほとんど)考えてはいなかったとするのである。通常の歴史書ででてくる荘園制度云々というような話はほとんどでてこず、ひらすら人間関係で、この時代を解釈しきってしまう。
 平安時代の上の方は完全な管理社会であるとして、ひたすらその人間関係のどろどろを分析していく。この当時の社会の政治とは《誰を帝位につけるか》なのであるとして、帝位をめぐる争いとして歴史とみていく。必要とされるのは能力でも力でもない、「立場」である。「立場」とはほとんど身分である。身分の昇進を図るためには人事権をもつ人間に取り入らなければならない。コネ社会である。能力を見せて人事権をもつひとがOKといってくれればよい。現在の日本の能力主義というのもそのようなものだが、と。これは鎌倉以降の武士社会が完全な能力主義実力主義であるのと対照的である。
 その平安の「王朝型管理社会」が崩れるのは保元の乱からであるが、保元の乱以降もまだ武士の時代ではないという。なぜなら武士に地位を与える権利をもつ人間が健在だからである。いうまでもない後白河上皇である。後白河上皇二条天皇との対立が根本にあり、その両者から頼られることになったことにより清盛は出世する。平安時代に正規の軍隊はいない。あったの首都圏防衛のための警察だけである。あるいは地方の長官である。地方ではいざこざがある。だから地方にいる武者は本当の武者である。しかし、都にいるものはほとんど戦闘の経験がない。当時、比叡山興福寺の僧兵のほうがよほど大きな兵力だった。
 院政がなぜ始まったかについての橋本氏の説明はとてもユニークで、自分の子どもを確実に後継天皇とするための後三条天皇白河天皇のまったく個人的な欲望に由来するという。その欲望にはわが子を愛するからというよりも、その子を産んだ女を愛するからという側面が強いことを橋本氏は強調する。そして、奈良時代には女帝が多くいたことを指摘する。
 本書で一番橋本氏の主張が強くでているのが第13章「権力構造の錯綜」である。明治を実際に規定した元老制(天皇に総理大臣を推挙する権利を明治維新に功績があったものたちが持つという、組織図の中にはない制度)は、近代に復活した摂関制度であるという。組織図の中にはない制度を日本人が当たり前とすることが、日本で王朝の交代がなかった理由であるという。
 そして、その源流を文武天皇に譲位した持統天皇にもとめる。持統天皇が編纂させた大宝令には「太政天皇」という規定がある。これは中国では太政という称が退位したものへの尊称であるのと異なり、大宝令では天皇と同等の権力を持つものの称とされている。
 これは持統天皇が愛する孫の文武天皇を守るために作った自分一人のための規定であるが、それ以後の組織の混乱をうむことになった。また令外の官という超法規的存在も文武天皇を守るために作られたということも橋本氏はいう。そしてそれを発想したのが藤原不比等であろうという推測も示す。不比等藤原鎌足の息子である。それが後世の藤原摂関政治の源となる。
 
 なにしろ橋本氏の本には引用とか参照文献とかがほとんど書かれていないので(それでも本書では数冊、参考文献が挙げられている)、ここに書かれていることのどこまでが、現在の学界で公認されていることであり、どこからが橋本氏の自説であるのか、それがよくわからない。しかし、これだけ長期間の事象に筋道をつけて一貫した説明をするというのは途方もない力技であって、ほとんど通史を書くひとがいなくなった現在それはきわめて強い説得力をもつ。個々の出来事の分析ということについては、学界において、日々成果がえられているのであろう。しかし、それをつなげる太い筋道を示すということは歴史学者の役割とは現在もうされなくなってきているのである(例外的にそれをしたのが網野善彦氏であり、それの故に網野氏は歴史学界の中で異端とされ、辺境として扱われるのであろう)。
 末木文美士氏は「日本宗教史」(岩波新書 2006年)で、《日本に有史以来ある普遍の発想方式》という考えかたを批判している。橋本氏の論もまた、日本の自民党二重支配の起源を持統天皇に求めるわけであるから、ほとんど《古層》論に近いが、それでも起源を特定するものであるから、普遍的なものとはしないわけである。持統天皇がほとんど自分一代のために作った個人的な制度のようなものが、令の中に書き込まれてしまったために後世を規定していくという橋本氏の説明は、きわめて説得力に富むものである。
 われわれが習ってきた旧来の歴史においては、国の支配、国の運営ということが第一であって、その国の体制によって人びとの生活がどうなったかという視点が重視される。しかし、橋本氏は藤原摂関家の氏の長者などは、そんなことにはまったく興味をもっていなかったとする。そんなことは下々のものが考えればいいことであって上の立つものの考えることではないのである。それで上に立つものの関心はひたすら誰を天皇にするか、誰が入内させた娘が天皇の子を産むかというようなことなのである。天皇外戚になることによって権力を得ることを希求するが、権力をえることが自己目的なのであって、何かをしたいから権力を得たいのではないのである。もちろん、橋本氏もいうように地位をえること権力を得ることは限度額がなく支払い義務のないクレジットカードを持つようなものであるから、それはそれで無限大の魅力を持つのであろうが・・・。
 そういう人たちであるから、そこに権力願望以外の個人的な感情が入り込むと、それが目立つ。子どもへの愛情、中宮や女房への愛情、さらには男同士の恋情などである。愛情問題は橋本氏の独壇場であるから、この辺りの分析は冴え渡るのであるが、子どもへの愛情とか、女への愛情が、あるいは男への恋情が、それらにどういう地位を与えるころができるかということで示される時代なのであるから、それはすぐに政治に結びついてしまうことになる。そして、この当時魅力的な女とは地位の高い男の娘のことであるという橋本氏の皮肉な分析がそこに結びつくと、わけのわからない魑魅魍魎の世界がでてきてしまう。
 本当に魑魅魍魎の世界であって、何が万世一系だという気がする。橋本氏はそのつもりはまったくないであろうが、本書は現在の女帝論争などにも、あるいは現在の皇室論議一般にもきわめて大きなインパクトをもつものであるように思う。それにしても奈良時代の女帝は凄い。
 橋本氏は奈良や平安の人々の心性にしばしば現代人の心理と通じるものを見るのであるが、それが可能となるのは、とりもなおざず平安時代がわれわれにとってまだ克服された過去とはなっていないということである。本書を読んでいると、「上司は思いつきでものを言う」などという本は、平安時代を精緻に読みぬいて発見した人間関係のささやかなヴァリエーションであることがよくわかる。あることを十分に考え抜いてえたことは広い応用範囲を持つのである。


権力の日本人 双調平家物語 I (双調平家物語ノート (1))

権力の日本人 双調平家物語 I (双調平家物語ノート (1))