⑦小室直樹「危機の構造」

 小室直樹の「危機の構造」ははじめ1976年にダイヤモンド社から刊行された氏の処女作である。のちに中公文庫の収められた。わたくしのもっているのはその文庫版(1991年)であるが、それも現在絶版のようである。
 本書をもって氏の最高の著作とするものも多い。ここでいわれている「盲目的予定調和説」と「中立の権利の尊重」を、全共闘運動との関係で考えてみたい。
 まず「盲目的予定調和説」:これは(1)大多数の無自覚な国民とは異なり、自分たちは自覚したエリートである。日本の運命は自分たちの努力にかかっている。(2)この努力は「特定の行動」の遂行という形でなされる。これに全身全霊を打ち込むが、それと関係ないことは無視する。「その他の事情」は自動的にうまくいき、日本は安泰となる。(3)だから「特定の行動」の遂行こそが肝要なのであり、成果は問題にされなくてよい、というものである。
 小室氏はこれが連合赤軍の基礎をなしている行動原理であるとするのであるが、同時にエリート官僚のや大企業のエリート・ビジネスマンの行動原理でもあり、また戦前の軍事官僚の行動原理でもあったという。
 このような原理を信じていたからこそ、かれらは20数名で東京を占領する計画を立て、5名の若者が数百名の機動隊と狙撃戦を演じたのであるという。彼らの狙撃の技術は驚嘆すべきものであったという。全身全霊を打ち込む技術とは、この場合には狙撃能力の向上ということであり、そこに努力すればあとは自ずとうまくいくというのである。
 それなら三島由紀夫もまた「盲目的予定調和説」の信者であったのだろうか? 「われわれは、護るべき日本の文化・歴史・伝統の最後の保持者であり、最終の代表者であり、且つその精華であることを以て自ら任じる(「反革命宣言」「文化防衛論」所収)」は(1)であろうか? 「有効性は問題ではない」(同)は(3)である。そして「特定の行動」が「三島由紀夫事件」そのものであるとすると(2)も充たす。ただ三島由紀夫は自分がそのように行動すれば日本は安泰であるとは考えていなかったように思う。そのような未来志向を否定すること、それが「討論 三島由紀夫 vs. 東大全共闘」のテーマの一つであった。未来志向(それは全共闘諸氏は自分たちにはないと主張したものではあるが、三島自身はあると主張したもの)さえ捨てれば(「きみたちが天皇といってくれれば!」)、俺と君たちは同じなのだというのが三島の主張であった。
 三島の主張をうけいれれば、全共闘運動もまた「盲目的予定調和説」の範疇に入ってしまうことになる。小阪氏は、そのころ、「空間の持続にこだわらない不定形の千年闘争が、国家廃絶の日まで続く」ということを考えていたという。闘争を続けていると国家が廃絶されてしまうのである。国家を廃絶するための闘争ではなく、現場の問題にこだわって闘争を続けていくと国家が廃絶されてしまうのである。「解放区」で「遊戯」を続けているとそうなってしまう。「盲目的予定調和説」を信じるならば、全共闘運動も一つの政治運動でありうるわけである。
 小室氏は、連合赤軍事件の当事者は「断じて狂気ではない」という(「討論・・・」において、三島由紀夫も「われわれはキチガイではない」ということろから討論をはじめている)。彼らの動機はほとんど純真で、高い使命感に燃え、倫理的感覚も欠落していなかったという。しかし、かれらは同時に森・永田裁判のような規範のない、情緒による恣意的な権力行使をした。小室氏はこの完全無規範性の系として「中立の権利の無視」というものを説明する。
 小阪氏は、丸山真男の研究室を全共闘が封鎖した時、丸山真男がこんな暴挙はナチスもやらなかったと言ったという話をとりあげ、戦後民主主義の知識人は、いざ問題が自分におよんでくるとうろたえるという話として受取った、と書いている。そういう不誠実の正反対として、三島由紀夫の中に誠実を見たのだという。
 だが、小室氏によれば、丸山研究室の封鎖が「中立の権利の無視」の典型例なのであり、自分たちの見方・考え方が間違っている可能性があることを一切考慮に入れない権力の恣意性の発揮の典型であるとする。もしも全共闘が三島の家を封鎖?し、執筆をさせなかったとしたら、三島はなんといっただろうか? こんな暴挙はナチスもやらなかったと言っただろうか? 
 実は、わたくしは当時渦中にいて、丸山研究室の封鎖をみて、「中立の権利の無視」などという難しいことはまったく考えなかった。あれは「焼き餅」であると思っていた。自分が研究を放棄しているのに、お前だけ研究するのなど許せない、ということだと思っていた。戦時中の町内会のオバサンが化粧している女性を許さなかったのと同じことだと思っていた。つまり、あの運動はいずれ終わると思っていて、終わったときに、仲間が自分より先にいってしまうのは許せない、俺と同じ場所にとまっていろというものだと思っていた。
 小阪氏の本にも書かれているように、当時、自己否定という言葉がとびかっていて、東大生としての特権的立場を見直すなどということが盛んに言われたのだが、自分が自己否定して、特権的立場を見直すというだけではなく、周りの人間もまた自己否定し、特権的立場を見直すことを要求されたのである。自分だけ損をするのはいやだ、お前もまた損をしろ、ということである。
 林達夫は「共産主義的人間」(「歴史の暮方」筑摩叢書1968年)で以下のようにいう。

 私は政治について人から宣伝されることも人に宣伝することも好まない。どぎつい政治的宣伝は、たといその中に幾分の正しさを含んでいる際にも私にとってはやりきれない心理的攻撃であって、ことに共産主義者のそれは私を決して中立的にじっとさせておいてくれない点で身にこたえる。このわかり切った「真実」を自分で考えてみるなどはもっても外だといわんばかりにぐんぐん肉迫してきて、有無を言わさず「イエス」を言わせようとするのである。

 全共闘運動というのは、このような政治的《言語によって相手を心理的に攻撃することの快感》、《言語によって相手より優位に立つことの快感》による運動だったのではないかというのがわたくしの密かな見解である。しかし、いくら相手より心理的に優位にたっていても、その相手が現実に自分より先にいくなどというのは許せないから自己否定を相手にも強要することになる。ロレンスがアポカリプス論にいう「彼等の標語は、自分たちはなにももつてゐない。それゆゑ誰もものをもつてはならぬ、というのだ」である(「現代人は愛しうるか」筑摩叢書 1965年)。
 さて、小室氏によれば、「盲目的予定調和説」は戦前の軍事官僚から、戦後のエリートまでを支配しているという。真珠湾の奇襲もその例である。それは技術的には完璧な作戦であった。それに従事したものは全身全霊その作戦に献身した。しかし、あとのことは知らないのである。あとは自動的にうまくいくと思い、何も考えていないのである。そして、戦後の発展を支えた企業戦士も、自分たちが現場で奮闘すればあとは自動的にうまくいくと考えていたのである。
 小室氏は、大学紛争において大学内部の中世的封建的構造が暴露されたことが運動の大きな功績であったとする。外では進歩的言辞を弄し、大学内では暴君としてふるまう教授たちの偽善性が露呈された。しかし、その教授当人は偽善だとはいささかも思っていなかったのだという。彼らはただ大学内では、古い慣行と前例を遵守していただけなのであり、その慣行と前例は自分がきめたものではなく自分が属する組織が要請するものなのであるから神聖なものであり、個人がそれを覆せるなどとは思ってもいなかったのだという。
 東大医学部の運動の発端となったTくん誤認事件も、教授会当事者たちもそれを誤認と知りながら、それでも取り消せなかったのは、教室あるいは教授会の前例と慣行を守るということ以外の思考法をまったく持っていなかったことの結果に過ぎないという。
 それを橋本治風にいえば、

 教授会っていうのは、一遍決定したことを動かしたくないのね。ましてや、相手が青医連っていうような形で、自分達に何か突きつけてくるようなもんだから、聞きたくないのね。「処分は絶対である」みたいな形で拒むから、そうなってくると、もう中身は問題じゃなくなってくるんだよね。完全に、親子喧嘩に近くなってくるの。「親の体面がある以上、お前達の言うことなんか聞けない」って風になってきて、「これは、何かの間違いだ。あんなバカげた処分は再検討すべきだ」っていうような話なのに、「なんで向うはこっちの言うことを理解しないんだろう?」っていう風になってくる。(中略)「そうか、ああいう分からないでいる体質が実は、医学部の古い体制を作ってくんだな」って風になってきて、(中略)「だからさァ、日本の体制は全部ここに象徴されてて、日本の体制ってだめなんだよね」ってそういう風にも広がっていくのね。(「ぼくたちの近代史」)

 小室氏によれば、誤認処分への教授会の対応というものの中にも、日本の体制の根本的な矛盾が現れていたわけで、それへの異議申し立ては当然おきるべきことがおきただけなのだけれど、一方その運動の中から連合赤軍事件のような、日本の旧来の発想法をそのままを露呈する事件がでてきてしまったとすると、何もかわっていないということにもなるわけである。
 小阪氏によれば、連合赤軍的なものは全共闘の対極にあるものである。全共闘は組織でさえない個々人の集合体であったのに対し、連合赤軍はごりごりの軍隊的組織であったのだからと。
 小阪氏によれば、連合赤軍事件は日本革命運動史上の最大の汚点なのだそうである。事実この事件をきっかけに、新左翼運動へのシンパであることをやめた人も多いらしい。わたしくはこの事件の当時、ほとんど何も感じなかったように思う。バカな人間がバカなことをしていると思っただけのような気がする。キリスト教の語彙を用いておかしなことをする新興宗教的なものはたくさんある。それを見て、キリスト教に絶望するひとはあまりいないだろうと思う。マルクス主義的な用語を用いているからといってそれを真面目にとる必要などさらさらないのだから、なんで心情左翼、左翼シンパといわれるような人たちがあの事件に深い衝撃を受けたのかまったくわからなかった。数十人の人間がたかだか数十丁のライフル程度の火器で革命をおこすというようなことを真面目に考えているというだけで、議論には値しないことは明らかであると、わたくしには思われた。三島由紀夫の事件は、その有効性を露ほども信じていないという点において議論に値すると思われた。それは現実を変えるのではなく、人の心を変えることを意図したのであるから、無効であればあるほど、インパクトがあることになる。しかし、連合赤軍の当事者は真剣に革命を現実性を信じていたのである。それが「盲目的予定調和説」という見方をとれば、あながち荒唐無稽とはいえないのであり、もしも連合赤軍の企図が非現実的であるなら、真珠湾攻撃もそれと同様の意味で非現実的なのだ、という小室氏の指摘はその当時まったく頭に浮かぶことはなかった。
 それにしても思うのは、東大闘争といわれるものが、最初はインターン制度の改革要求というものからはじまりながら、そういうものはどこかに置き忘れた形で拡散し、そして終わってみれば、インターン制度も変っていたということである。インターン制度の改革要求だけであれば、なにしろあの当時の教授会の体質である。インターン制度改革は遅々として進まなかったのではないかと思う。そして、その時、変ってからまた30年くらい、新しい制度は研修医制度という形で続き、数年前に新研修医制度に、今度は国家主導で変って、現場はてんやわんやとなっているのが実情である。それはインターン制度というのがたてまえでは医者の初期教育のためのものでありながら、実際には医療現場への若年医師供給システムでもあるという矛盾した二つの側面があることを直視せずに来たことによる。現場で実際に働くことがもっともよい教育であるということが認められれば、これは矛盾ではないことになる。OJTである。しかし、誰もそのことについてはいわないのである。