⑧ 庄司薫 「赤頭巾ちゃん気をつけて」

 「赤頭巾ちゃん気をつけて」は1969年8月に刊行された。安田講堂事件で入試が中止になった年の大学受験生を主人公にしており、明白に全共闘運動を意識して書かれたものである。著者の庄司氏は東大法学部の丸山真男門下生らしいが、刊行当時これを読んだときはそんなことはまったく知らなかった。わたくしが当時ぞっこん入れ込んでいた福田恆存の思想を巧みに小説化したものだと思ったのだから、まったく見当違いの読み方をしていたのかもしれない。この小説は確か芥川賞をとったと記憶しているが、もっとも強力にこれを推挽したのは三島由紀夫だったと思う。三島の全共闘への姿勢を考えると大変興味深いものがある。
 全共闘運動を意識したと上に書いたが、正確にいえば意識したではなく批判したである。あるいは丸山真男的なものの擁護を意図した本である。そして全共闘なものの対極におかれるのが日比谷高校なのである。主人公の薫くんは小説当時は日比谷高校3年生の終わりであるが、その下の学年は学校群制度による入学生なのである。
 学校群というのはすでに今となっては理解困難であると思うが、当時、都立日比谷高校はたしか東大入学者数日本一だった。たくさんある都立高校の中で明らかに優劣ができており、同じ都立高校でありながら、“いい高校”“そうでない高校”の差別があるのがおかしい、それが受験競争を加熱させるのである、というような議論があり、小尾なんとか氏というお役人が学校群という制度を作った。要するに高校受験では学校自体を受けるのではなく、学校群を受験し、その学校群のなかのどれに入学するかは籤引きで決めるといったやり方をつくったわけである。当時、小尾氏はマスコミの寵児であり、受験の無意味な過熱に対する有効な処方箋を書いた人として絶賛されていた。
 しかし、この制度によっても受験戦争が緩和しなかったことはいうまでもなく、受験の加熱は高校受験から中学受験へと下っていっただけであった。また日比谷高校は2流校から3流校へと転落していった。
 小室直樹氏が「危機の構造」でいっているように、大学入試の結果が日本の階層振り分けに大きな役割を果たしており、しかも入試の公平さに日本人が絶大な信用を抱いているという実態をそのままにしておいて入試の制度だけをいじることは、何の実効性をもたないわけである。おそらく昨今のゆとり教育という問題も同じであろう。目の前の問題を全体との関連なくいじることは何の意味ももたないわけである。
 ということで、薫くんはまだ一流校であった日比谷高校生である。この日比谷高校が本書では文化の象徴となっている。日比谷高校があっという間に転落していったように、文化というのは構築するにのは多大の労力と時間を要するが、壊すにはほんのわずかな時間さえあればよく、そのために何の労力もいらず、ただ本当のことを言えばいいのである。
 というのは少し説明がいるが、この当時の日比谷高校はとんでもなくいやったらしい学校であり、生徒たちはみんな受験勉強なんかしていないよという顔をして文化活動に血道をあげていたのである(あるいはその振りをしていたのである)。
 要するに見栄である。薫くんによれば、見栄こそが文化である。自分が自分以上のものである振りをすること、それが文化である。だから、それを壊すにはどうしたらいいのか? 誰かが、バカバカしいからもう見栄なんかはらずに素直に受験勉強しようよ、と言い出すだけでいいのである。
 そして民主主義などというのも、そういう大掛かりな見栄なのであるともいう。それは民主主義なんて猿芝居はもうやめようぜ、と誰かが言い出せば簡単に壊れてしまうきわめて脆い土台の上に構築されているのである。その本音を言い出したのが全共闘運動なのだというのが、「赤頭巾ちゃん・・・」の見立てなのである。

 彼らはほんとうに自分の頭で自分の胸ですべてを考えつくして決断したのだろうか。誰からの借物でもなく受売りでもない自分の考え、自分だけの考えで動いているのだろうか。いや、そうだとしても彼らはその行動に責任を、何よりも自分自身に対する責任をとれるのだろうか。彼らは、その決断と行動をたんに若気に至りや青春の熱い血の騒ぎや欲求不満の代償として見殺しにすることなく、つまりは一生挫折したり転向したりすることなく背負い続けていけるのだろうか。(中略)
 そうなんだ、彼らはああやっていかにも若々しく青春を燃焼させその信じるところをやれるだけやったと信じきって、そして結局は例の「挫折」をして社会の中にとけこみ、そしてそれでもおおわが青春よ若き日よなどといって、その一生を甘さと苦さのうまくまじったいわくありげなものにして生きるのだ。彼らの果敢な決断と行動、彼らと行動を共にしないすべても若者をすべての人間を非難し虫ケラのように侮辱するその行動の底には、あくまでも若さとか青春の情熱といったものが免罪符のように隠されているのだ。いざとなればいつでもやり直し大目に見てもらい見逃してもらい許してもらえるという免罪符が。若き日とか青春とかいったものを自分の人生から切り離し、あとで挫折し転向した時にはとかげの尻尾みたいに見殺しにできるという意識が。

 こういう薫くんの感想は後段で否定される。ほんとうに自分の頭で自分の胸ですべてを考えつくして決断しようとするならば、何もしないで一生を終わることになるのではないかという考察とそれは結びつく。つまり《見る前に跳ぶ》ことがどこかで必要となるのではないか? それをしない人間は二流なのではないか、ということである。
 わたくしは当時、彼らはその行動に責任をとる気でいるのだと信じていた。その責任のとりかたとは死ぬことである。ほんとうに自分の頭で自分の胸ですべてを考えつくすなどということは不可能である。しかし、不可能ではあってもある行動をしたのだから、責任は生じる。他人にあれだけ大きな影響を与えてしまった運動をしたのである。その責任は生じる、そう思っていた。
 なんらかのやりかたで責任をとることを続けているひとは間違いなくいると思う。山本義隆氏も長谷川宏氏も渡辺京二氏もみなそうなのであると思う。そして不思議なことに彼らはみな予備校の教師や塾の先生をして生活しているのである。大学を粉砕する運動をしていたひとたちが、大学入学を目指す人たちを教えることで生活しているというのは、何となく変であるような気もしないでもない。もっとも彼らは予備校という場所であっても本当の学問を教えているのかもしれないのだけれども。山本義隆氏は確か駿台予備校で教えているはずであるが、氏の授業で物理学の美しさ面白さに開眼した人はたくさんいるらしい。東大全共闘運動のもたらした最大の被害は山本義隆氏が学者として大学に残れなかったことであるというひともいる。そして小阪修平氏も予備校の先生らしいのである。
 彼らは挫折したのかもしれないが、転向はしていないのだと思う。その当時の思想的課題を今になっても考え続けているのだと思う。日本の在野の学問を支えているのはそういう人たちなのかもしれない。必ずしも在野の学者ではないにしても、内田樹氏、高橋源一郎氏、糸井重里氏などの現在も全共闘運動なしにはありえないのだと思う。しかし、多くの人間にとっては、単なる青春の輝きであったり、一時の血の騒ぎだったりに過ぎないのかもしれない。
 若いときにマルクス主義にかぶれない人間はバカであり、年をとってもまだマルクス主義にかぶれている人間は愚かである、といった言い方がある。このマルクス主義全共闘運動におきかえただけのものが、全共闘運動というものであったのだろうか?
 若いときにマルクス主義にかぶれたが、その後“転向”して大会社の経営者になったり、官僚のトップになったりして体制側の重鎮となった人間はたくさんいる。そのひとにとってマルクス主義は単なる“はしか”だったのだろうか? そうでないひとはたくさんいると思う。実はそういう人たちによって《日本の資本主義は、仮面をかぶった共産主義》などといわれるものとなったのかもしれない。
 それと同じような意味で、団塊の世代といわれる人たちの思考に全共闘運動がどのような痕跡を残しているのかということがもっとも大切な視点なのではないかと思う。もし、それが残っていないとしたら、全共闘運動は無意味であったのだと思う。全共闘運動は反面教師として働き、彼らが会社人間として社会に埋没していくことに寄与しただけであったとしたら、マイナスに働いたことになる。
 小阪氏がすべきであったのは、その検証なのであると思う。しかし、小阪氏は自分は正しかったのか?全共闘運動は正しかったのかという点に徹底的にこだわる。そして、このような自分への過度のこだわりというのは病理なのではないだろうか?という視点を欠くのである。
 現在の若い人たちの、自己実現、自分さがしといった自分への過度の関心は、全共闘運動が残した悪しき伝統によるのではないか、といえばそれはこじつけであるかもしれない。そのような自分へのこだわりは、社会にまだでていない人間に共通のものであるだけかもしれない。そうであるなら全共闘運動の精神を持続するということは社会から降り続けるという選択とイコールなのかもしれない。予備校の教師や塾の先生というのは社会から降りた人の集団なのではないかという疑念は消えない。
 そしてここでもう一つ、都会対田舎という問題がでてくる。

 つまり田舎から東京に出てきて、いろんなことにことごとくびっくりして深刻に悩んで、おれたちに対する被害妄想でノイローゼになって、そしてあれこれ暴れては挫折して暴れては失敗し、そして東京というか現代文明の病弊のなかで傷ついた純粋な魂の孤独なうめき声かなんかをあげるんだ。(中略)
 みんなのいうことにゃいまや狂気の時代なんだそうだよ。つまり知性じゃなく感性とかなんだ。

 「赤頭巾ちゃん・・・」は文明擁護の本であり、知性擁護の本なのである。薫くんによれば、全共闘運動とは一種のラッタイド運動、ただ壊すだけの破壊の運動なのであり、知性否定の運動なのだから。九州からでてきた小阪氏がここで批判されているような欠点をもっていなかったかどうか、それはなんともいえないが、小阪氏もまた感性を重視する人なのである。
 今の時代は何となくおかしいということを知性が感知するのか、感性が感知するのかである。感知とは感ずることでもあり知ることでもある。おそらく小阪氏はその時代のおかしさを敏感に感じるというのは知性ではなく感性だとするのであろう。そのおかしさに異議申し立てをする。その結果何かが壊れる。そこまでは自分たちの仕事である。しかし、壊したあとに何ができるかには自分たちは関知しない、どうも小阪氏はそういっているように読める。異議申し立てを現場で続けていくうちに、自ずと新しい体制は生まれてくる考えているようにも思える。そうだとすれば、これは小室直樹氏のいう「盲目的予定調和説」であり、日本人の典型的思考の枠組みにすっぽりと収まってしまうものであることになる。そういうのは無責任ではないかと、薫くんはいう。自ずと体制が生まれるなどと責任放棄をするのではなく、新しい体制を作るという明確はプログラムと意思がなければいけないという(このあたり、丸山真男の《「なる」ではなく「する」》が潜んでいることは容易にみてとれる)。

 その時にはぼくは、ただ棒をふりまわして機動隊とチャンバラをしたり、弱い大学の先生を追いかけたり、そしてそのことだけでも問題提起になるなどと言いわけめいたことは言ったりせず、しかし確実に政府でも国家権力でもひっくり返すだろう。やれるだけやればいいなどと言っていないで、(中略)必ず絶対に、あらゆる権謀術数、あらゆる寝わざ裏わざを動員して、時には素早く時にはずる賢くそして時には残忍きわまる方法を使ってでも、確実にぼくのそしてみんなの敵を、それが政府だろうと国家権力だろうと絶対確実に倒し息の根をとめるだろう・・・。

 壊す側ではなく、作る側に立たなければいけないということである。
 この「あらゆる権謀術数、あらゆる寝わざ裏わざを動員して、時には素早く時にはずる賢く」たちまわる若者の運動を描いたのが、村上龍の「希望の国エクソダス」かもしれない、ということで、次には「希望の国エクソダス」をとりあげてみる。

赤頭巾ちゃん気をつけて (中公文庫)

赤頭巾ちゃん気をつけて (中公文庫)