⑫ 高橋源一郎「ジョン・レノン対火星人」(文庫版)の内田樹の解説「過激派的外傷あるいは義人とその受難」
高橋源一郎「ジョン・レノン対火星人」(講談社文文芸文庫 2004年))に付された「過激派的外傷あるいは義人とその受難」という内田樹の解説はちょっと異様なもので、高橋源一郎と内田樹という、ともに1970年生まれの世代(東大入試がなかった時の大学受験生)の「過激派の時代を生き残ってしまった疚しさ」という感覚を論じている(内田氏によれば、「ジョン・レノン対火星人」はそれを描いているということであるが、わたくしは読んでもそれは感得できなかった。「過激派」の内部にいた人間にしかわからない、きわめて内向きの小説なのかもしれない)。
小阪氏はノン・セクトであったようであるが、おそらく内田氏も高橋氏もセクトに属したようで、そのことが小阪氏とは決定的な経験の違いを生んでいる。
「過激に生きるか凡庸に生きるか」というのが時代が若者につきつけた問いであったという。それに対して、「よくわからないから、少し考えさせてくれませんか」などという冷静な対応を若者ができるわけはないではないかと内田氏はいう(ちなみに、「よくわからないから、少し考えさせてくれませんか」と言え! 一見凡庸な生きかたが過激なのであり、過激に見える生きかたが凡庸なのだ!、という奇妙なアジテーション?をしたのが庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」であった。そのアジ演説が若者に届いたとは思えないけれども)。
そして「逡巡せずに即答する」ことは過激派において何よりも尊重された徳目だったから、過激派には「ものごとを熟慮し、決断をためらう人間」だけはいなかったのであり、結果として「やるしかねえよ」ということになった。過激派の政治にコミットするかどうかは、自分の正義の感覚や倫理性を検証する「踏み絵」として働いたのであり、「恋と革命」と「終わりなき日常」の二者択一をせまられて、何も考えずに「恋と革命」の路線へと跳んだのだという。
小阪氏が、全共闘運動とは、どう生きるべきかという抽象的な倫理を問うものであった、といっているのも、実存主義的マルクス主義とかいっているのも、内田氏が「過激に生きるか凡庸に生きるか」といっているのと同じことを指すのであろう。自分の正義の感覚や倫理性を検証する「踏み絵」であり、内田氏によれば、その「踏み絵」を踏んだ時点が運動への参加のクライマックスであり、そこでドラマは終わるのだと思っていたという。
しかし、「まるで間違っていた」という。それは「自分の処刑執行許可証に署名してしまうこと」であった。権力の側(機動隊)からのものであれ他の党派からのリンチであれ、まったく無原則でランダムな暴力にさらされても文句をいえない立場に身をおくことであったという。
内田氏が「ほとんど無垢までに邪悪なもの」というのは、暴力自体ではない。その暴力がまったく何の選択原則もなく非論理的に襲ってくる、そのことが邪悪なのである。この時期に内田氏は親しい友人を二人を内ゲバで失っている。なぜ彼らが殺されて自分が生き残ったのか、そこにはなんの「必然性」もなく「たまたま」である、という。しかし、「私が生き残ったことには、何か意味があるはずだ」ということを自分に信じさせることができなければ、人は生きることができない。生き残ったものにでき、死んだものにはできないこと、それは死者を弔うことであり、「ジョン・レノン対火星人」はその弔いの書なのである、というのが内田氏の解説の趣旨である。(内田氏が後年、レヴィナスに“捉まる”のも、過激派時代の経験によるのであろう。レヴィナスはユダヤ人の犠牲に意味をあたえようとしたのであるが、内田氏には、ホロコーストの犠牲になったユダヤ人と死んだ過激派の仲間たちが重なるのであろう。)
「辛くして我が生き得しは彼らより狡猾なりし故にあらじか」(岡野弘彦)ということになれば、ほとんど戦中派である(わたくしはこの歌を「吉田満著作集・下」(文藝春秋 1986年)の付録の吉田直哉氏の文章で知った)。内田氏の著作は死んだ仲間たちへの靖国神社たらんとしているのかもしれない。ところで、わたくしは《「私が生き残ったことには、何か意味があるはずだ」ということを自分に信じさせることができなければ、人は生きることができない》という言明にはなんの根拠もなく、暗黙のうちに創造神を裏から呼び込む欺瞞であり、カソリック的なものとわたくしが仮に呼ぶやりかたのトリックの典型であると思っている。
生きていることには何の意味もないのであり、人は何の意味もなく生きているのであるが、それでいいのである。なぜなら、すべての動物はそうしているのだから。生きる意味がないと生きられないというのは、人間と人間以外の動物の間に線を引くものであり、人間は人間以外の動物よりも優れているのか劣っているのかは議論があるとしても、とにかく違っていることになり、その違いを説明しようとすると、人間を目的をもって創造したキリスト教的な《神》を呼び出すしかなくなってしまう。
親しい仲間がまったく無根拠に死んでいくことを経験するならば、何から超越的なものを呼び出さずにはいられないという人がいることは別にかまわない。ひとは生き残るためにはどのようなことをしてもいいのである。しかし、そのような経験は戦争中の兵士も、空襲をうけた内地の人間も、神戸などの地震を経験したものにもひとしくふりかかったことであったろうし、そういう非日常の例を持ち出さなくても、まったく予期せぬ病や災厄というかたちで日々日常の中でおきていることでもある。要するに、われわれはいくら死にたくなくても、死ぬときがくれば死ななければならない。しかし、自分の死をあらかじめ知っているのは動物の中でも人間だけなのだから、人間は何から宗教的なものを必要とするのだろうか? そういうもの言いは欺瞞であるとわたくしは思う。
だが、ここで議論したいのはそういうことではない。内田氏が(また内田氏によれば高橋源一郎氏も)「過激派」としての経験とはどういうことであったのかを問い続けることの中から、その後の仕事をつくりだしている、自分の経験という個別の事象をもっと普遍的な問題を結びつけようとしている、ということである。
小阪氏の論は徹底的に自分の個人的な経験にこだわるのである。自分の経験はある時代にある年齢でかかわったということから生まれたものであり、その時代を知らず、またその時代を別な年齢で過ごした人間には理解できないものであるという前提がある。しかし、同時に、自分たちがなぜそうしたのかも解ってほしいということもある。個別的な経験から普遍性を引き出すのではなく、個別的な経験を個別的なままで、むしろその個別性をわかってほしいとするのである。今の時代からすると理解できないことかもしれないが、その時代においてはこれだけの必然性があったということを理解してほしいということである。
そして、そのことが現在とどう結びつくかということにかんしては、社会現象を自分の外にある問題として考えるのはなく、自分の問題としてかんがえろ、というようなきわめて抽象的なことをいうだけである。俺たちの若いことはそうしたのに、今の若い奴等はそれができない、などというのでは年寄りの繰言に近いのではないだろうか。
小阪氏はどうも全共闘運動の中で徹底的に打ちのめされるというような経験をすることがなかったらしい。それでなんとなく、運動の中にはいい点もあったというような不徹底な態度をどうしても捨てられないらしい。生産的な議論とは、よい点を残す方向より、悪い点を徹底して考えてみる方向の中にあると思うのだが。
- 作者: 高橋源一郎,内田樹
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