21 坪内祐三「考える人」
坪内祐三氏の「考える人」(新潮社 2006年8月)は何だか腰のすわらない本である。この手の本を買うひとは、そこにとりあげられたたとえば武田百合子とか長谷川四郎について何かを知りたいと思って買うのではないかと思う。しかし、本書では坪内祐三氏の顔ばかりがちらちらと見えてきて、武田百合子とか長谷川四郎の顔はなんだか朧にしか見えてこない。対象を書きたいのか自分のことをいいたいのか焦点が定まらない。こういう本は、そこにとりあげれた人物の書いた本を一冊でも読んでみたいと読者に思わせることができればそれで目的達成なのだろうと思うが、そういう力をもっていない、中途半端なのである。
ではあるが、ぱらぱらと読んでいて、いくつか目にはいった文章があった。それをネタにして、少し書いてみたい。
最初は、「吉行淳之介」の項。
当時は、威勢のよい大声で叫びながら張り切った日々を送っている少年たちと、大声で叫ぶことは信用できないとつぶやきつづけている少年たちと、はっきり二つに分れていた。
そして、それは思想のちがいによる姿勢というよりは、むしろ生理に根ざす気質の相違といった方がよかったとおもう。戦争が終ると、今度は進歩的考えの人たちが大きな声で叫びはじめ、その人たちの間に戦争中大きな声で叫んでいたタイプをしばしば見出したが、それがひどく当り前のことに思えたものだ。(吉行淳之介「大声とつぶやき」1961)
わたくしが大学教養学部時代に吉行信者だった理由は、こういうところだったのだな、と改めて思う。「威勢のよい大声で叫びながら張り切った日々を送っている少年たち」と「大声で叫ぶことは信用できないとつぶやきつづけている少年たち」のうちで、当然自分は後者だと思っていたわけである。
この吉行の文にははっきりとはかかれていないが、そこには、前者は多数派であり、普通の人であり、素直に人交じりができる人であり、ひねくれていない人であるのに、後者は少数派であり、変な人であり、人交じりが苦手で、ねじけた人であるという前提がある。決して前者を軽蔑し後者をよしとするわけではなく、前者として生まれていれば、どんなにか生きることが楽だっただろうと痛切に感じながら、それでも後者として生まれてしまった以上は、なんとかして世の中のどこかに自分の居場所を確保しなければならないということである。養老さん流にいえば、所をえない自分がいる場所がない人間ではあるが、世界の片隅になんとか居場所を確保しなければならない。そのモットーは《抛っておいてくれ!》。
わたしは医学部に進学前に、吉行信者になっていたので、《抛っておいてもらおう!》と思っていた。みなさんに迷惑はかけませんから、片隅で生きているのを見逃してね!という路線である。しかし、全共闘運動というのは抛っておいてはくれなかった。お前が生きていて、何もしないだけで敵方に加担しているのだという、小阪氏のいう「加担」の論理による脅迫である。吉行氏ほどは自分の生理とか気質に自信をもつことができなかったので、脅迫にたじろいだ。それであわてていろいろな本を読んで、自分の生理と気質を泥縄で理論武装しようとしたわけである。
ここで吉行氏が思想と気質(あるいは生理)を対比させていることが問題となる。これは下世話にいってしまえば、頭と体である。頭だけで考えるか、体全体で考えるか?ということである。内田樹=橋本治の「わたしの体は頭がいい」路線でもあり、ダマシオの「感じる脳」でもある。そしてダマシオまでいってしまえば、西欧のおけるデカルト的身心二元論の克服といったとんでもなく野暮な論点にいってしまうわけで、吉行氏とは正反対の地点にたどりついてしまうことになってしまう。
吉行氏は体で考えるということを言っているのではなく、自分を《正義》と感じる人間の鈍感さというか自己省察の甘さを言っている。自然主義文学では、その反対を行って、自分がいかにひどい人間であることを知っているかを暴露しあい、自分がいかに自己省察に優れた人間であるかを競った。そこにもまたある種の鈍感さがあるわけであり、正義も卑劣もともにそれを素直に信じることができる点で、鈍感であることには変りがないことにもなる。で、敏感な人は「軽薄派」になる、というのが吉行理論である。あるいは、軽薄になれなければ「かのように」か?
「軽薄派」に徹っせられるほど強くなかったわたくしは、「頭」でのお勉強に走ったわけである。それで最初にたどりついたのが、《「太陽神経叢」で宇宙の生命を感じ、青白い「頭」でのやせこけた思考を否定したロレンス》を神輿にかつぐ福田恆存だったわけである。
小阪氏がさかんに感性などというのは、丸山真男などの進歩的文化人は頭だけでハートがないと思っているわけである。ハートがない人間は他人のことばかり考えて自分がお留守になる。つねに自分から思考をスタートするのだ、というのが小阪氏の自負である。
しかし、そうでありながら、自分たちの立場が《正しい》ことは自明と思っていたなどというのは、とんでもなく鈍感ではないかという弾丸もどこからか飛んできそうである。本当に自分をしっかりと見ているのか? 本当にみればそこには空虚しかないぞ、というひともいるかもしれない。
で、次に「唐木順三」。
画一化された巨大機構の中における人間の孤独が、途中の広場で足をとどめしめ、足をとどめることによって、集会へ参加させる。そして原始的或ひは本来的な開かれた境において、みずからの孤独を、その場の限りにおいて癒す。このたまたまの現象の中に、或ひは時代を区切る予兆があるかもしれない。然し、その集会自身が特定のイデオロギイや目的のために計画的に画一化されるとき、全員参加の形が失はれるに違ひない。(唐木順三「フォーク集會・脱體制」)
これは全共闘運動について書いた文章ではない。新宿西口地下広場でおこなわれていた「フォーク・ゲリラ」について書いたものである。それを唐木氏は「かがひ」や「うたがき」の伝統になぞらえているのだそうである。
歌垣とかいうと網野善彦氏を思い出す。氏の飛礫なども絶対に三派全学連の投石からの連想であるし(そういえば「カラマーゾフ兄弟」のどこかにも子供たちが石を投げる場面があったような気がする)、アジール論なども全共闘の解放区の影響ではないだろうかと思う。
吉行淳之介には間違いなく、集団への嫌悪というものがあると思う。衆を頼んでなにかをすることへの嫌悪がある。とすると全共闘運動というのは衆を頼んで何もしない運動だったのがろうか? むしろ衆になることだけが目的で、衆である空間をつくることだけが目的だったのだろうか? 上下関係も規約も何もない組織ということを強調する小阪氏はそういうことがいいたいようにも見える。ところが竹内洋氏は、全共闘運動に参加した人たちが一番やりたかったのは、大学教授を引っ張りだしての大衆団交だったといっている。
一九六〇年代後半から一九七〇年代初期の全共闘運動は、反体制運動が反体制運動であるだけでモダン=ファッションたりえない時代に、独自にファッション性をつくりあがたことによってもりあがりをみせたのである。それが、ゲバ棒、ヘルメット、覆面といういでたちや大学教授を引っ張り込んでの大衆団交、激しい街頭デモやバリケードによる祝祭空間である。全共闘は大学解体などの明示的スローガンとは別に、こうしたいでたちと道具立てで、演劇的空間が構成され、徹底的に楽しかったのである。雀荘のたむろしていた学生でさえも、バリケード・ストにははせ参じた。また学生たちはバリケードから深夜映画館にかけつけ、任侠映画をよくみたが、かれらの祝祭的共同性と任侠映画のそれとを共振させ、確認・劇化した。そんな一大スペクタクルが大衆団交である。(「丸山真男の時代」中公新書2005年)
「型の喪失」を嘆いた唐木氏なら、ゲバ棒、ヘルメット、覆面をも「型」というだろうか? 三島由紀夫は「討論・・・」で、「何かミリタリー・ルックきたりなんかして、みっともないというだろうが、私にいわせれば、あんな覆面かぶって、大掃除の手伝いみたいなのもみっともない」といっている。「盾の会」の制服とゲバ棒、ヘルメット、覆面を等価にみているのである。
竹内氏がいう「演劇的空間が構成され、徹底的に楽しかったのである」というのは、小阪氏が紹介している日大闘争の落書きにあったという「生きている、生きている、バリケードのなかで腹いっぱい生きている」と対応するのであろう。ここでの「生きている」は養老氏がいう「日本人は生きられませんから」の正反対に位置するものである。
丸山真男は「自己内対話」で「祭祀行事と文学(的)情念の日本における政治的なるものとの関連。/この二つからのアプローチが日本の政治を解く鍵であり、それは古代天皇制から三派全学連にまで共通する特質である。(中略)文学的評論家が、私の評論に何か生理的に我慢ならないものをかぎつけるのは、おそらく、私のこれまでの評論におけるこの両者の契機の意識的な無視を直感するからだろう」といっているのだそうである(間宮陽介「丸山真男」 筑摩書房 1999年)。
小阪氏が「全共闘運動は、たとえば政治的行為であってもその背景には「どう生きるか」という問いがあった。アングラからヒッピーまで、「新しい」生き方の模索だった。その意味では、ヒッピーのほうが学生運動よりももっと直接的で、時代の課題を素直に表現していたのかもしれない。/その意味でぼくはいま全共闘運動を「生をめぐる観念の闘争」だったというふうに定義している。(中略)直接問われたのは、どう生きるべきかといった抽象的な倫理だった」というのは、丸山真男からすると、なんたる物言いとあきれ果てるしかないものであろう。政治が有効であるためには、政治行為からそのようなロマンティシズムを撤去することが必要であるというのは、自明としていたであろうから。
しかしそのようなロマンティシズムなしの政治運動は人の心に火をつけるはずはないではないか、というのが小阪氏の言い分なのである。丸山真男は同じく「自己内対話」で、「「自己否定」とは、孤独な自己にたえられなくなった者が他者との同一化をあえぎもとめるヒステリックな叫び」であるといっているそうである。唐木氏が新宿フォーク・ゲリラにみた都会人の孤独と集団への参加によるその一時的な解消という図式は、全共闘運動にそのままあてはまるのかもしれない。
しかし唐木氏もいうように、それが機能するためにはその集団は目的をもってはいけないのである。目的をもたない政治などはあるはずがない。小阪氏のずるいところは「たとえ政治的行為であっても」といういいかたで、全共闘運動の政治的目的部分から目をそらしてしまうことである。おそらく全共闘運動がその当時意識していた政治的目標というのは、今からさかのぼって考察するとまったく見当はずれの明後日の方向をむいていたものであったことを、小阪氏はよく自覚している。しかしそれだからといって全共闘運動は無意味であったとしたくないのである。だから意識的に政治にかかわる部分を避け、実存にかかわる部分に論をしぼる。
しかし、小阪氏が実存にかかわる新たしい動きであると主張している部分は、祭祀行事と文学(的)情念という古代天皇制から連綿と続く日本の政治行動の根幹に連なる、少しも新しくない行動形態かもしれないわけである。
小阪氏の本の一番弱いところは、自分たちのした運動を相対的に見る姿勢が乏しいところであるように思う。一回性のものであるとしたい気持ちが強く、そうであればそれは記録に過ぎないことになって、そこから将来に向けて普遍妥当するような何かを掬いだす志向が生じない。つまり学問にはなりえないのである。全共闘運動は学問とは何かと問うものであったという。しかし、小阪氏がその後、学問とは何かということを問い続けてきたようには思えないのである。その点でいえば、養老さんのほうがよっぽど立派である。
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