⑰ 阿部謹也「世間とは何か」・その2

 小阪氏の本を読んでいて疑問に思うのは、全共闘運動というものが偶然の産物だったのではないかという視点を欠くように見える点である。
 その原点となったのが医学部の青年医師連合のインターン制度反対の運動であったのは衆知のことであるが、このインターン制度反対運動は1968年に始めてはじまったものではなく、その数年前から続いていたものであり、毎年冬学期ごろから学生はストライキというものをしており、それが新学期明けに解決するということをくりかえしていた。学生がストライキというのもほとんど冗談のようなものだが、そのころは真剣にそういうことをしていたわけである。もっとも真剣といっても、多分に期末試験をなくしてレポートに切り替えさせるという意味合いもあったような印象もある。とにかくも、そういうことで、わたくしが教養学部から医学部へ進学してくると、すでに上級生はストライキに突入しており、お前らも一緒にストをやるんだぞ、とかいわれて、なんの疑いもなくストに参加した。これまでの例であれば毎年5月くらいには解決していたのであるから、今年もそういうものだろうと思っていたわけである。まさか、翌年の5月までその状態が続くなどとは思ってもみなかった。
 これがこじれることになったのは、いわゆる2月19日の上田内科事件とそれに対する3月12日の処分と、それにふくまれたTくん誤認事件のためである。つまりわたくしが医学部に進学してくてくる前にこれらの事件はおきていたわけであるが、わたくしはそんなことは全然知らず、例年のストだねと思っていたわけである。
 このTくん誤認事件にもかかわらず、その当時のわたくしの印象によれば、別に学生たちが高揚しているようなことはあまりなく、教授会がチョンボをしたので今年はスト解除までは少し時間がかかるかな、やれやれ、というようなものだったように思う。だから、教授会側が誤認処分撤回をしていれば、これで例年のストがやや長引いて終わっただけで、その後の全共闘運動というものは多分おきなかっただろうと思う。
 しかし、教授会側が処分撤回をできなかったのは、必ずしも前回述べた「世間」の論理というようなものばかりでなく、その前数年間の学生・医師たちとの交渉でつねに譲歩を余儀なくされていたという屈辱感のようなものが根底にあったらしいということは、今、山本俊一氏の「東京大学医学部紛争私観」(本の泉社 2003年)を読み返してみてあらためて感じた。それで誤認処分によっても、学生の意識は変らず、厭戦気分が漂っていた。医学部全学闘争委員会(インターン闘争の主体であった青年医師連合の学生版のようなもの)は焦って局面打開のために「時計台(安田講堂のこと)占拠案」というのを提案する。面白いことにこの提案は医学部1年から4年までの提案され、すべての学年で否決されてしまう(6月14日)。それで翌15日に「医学部共闘会議」と名乗る人たちが安田講堂を占拠するのであるが、医学部学生は合同クラス会なるものを開き、ほぼ全員一致で安田講堂占拠反対の声明文を採択している(占拠に賛成する人は安田講堂に閉じこもっているわけでクラス会にはでてこないわけだけれども)。この当時安田講堂占拠に走った人たちも何の成算もなしにやった行動なのだと思う。そのまま籠城させておけば、これまたその後の全共闘運動などというものはおきなかったはずなのである。ところが、6月17日に当時の大河内総長が機動隊導入を要請する。このときは占拠していた人たちは動きを察知し、逃げてしまい安田講堂はもぬけの殻だったそうであるが、導入された1200人の機動隊のヴィジュアル・イメージが一挙に流れを変えてしまう。そのあとのことは、もうあれよあれよであって、医学部の医師研修制度の問題などは消し飛んでしまい、大学の自治とかいう抽象的な問題と反権力というこれまた抽象的な問題へと一気に拡散していくわけである。
 医師研修制度をどうするかというのは個別具体的な問題である。小阪氏は全共闘運動とは個別具体的な問題についてその場で結成される運動である、というのであるが、個別具体的な運動である間は全共闘運動は力を持つことはなかったと思う。個別具体的な問題は人の血を騒がせる力がないのである。人の情念に点火させるものがないのである。全共闘運動は観念の運動だったからこそ、力を持ったのだと思う。
 しかし、観念の運動で協同するというのは本来とても奇妙なことなのである。
 阿部氏はいう。

 競争社会の中で個性がせめぎあう関係の中で生きていくよりも、与えられた位置を保ち心安らかに生きてゆきたいと思っている日本人は意外に多い。

 自己否定という言葉は、与えられた位置を保ち心安らかに生きてゆく生きかたを否定する格好いいものとその当時思われたのである。しかし同時に、一人で自己否定をするのは不安なのである。みんなで一緒に自己否定をしないと不安だったのである。ある人が自己否定し、ある人が自己否定しないならば、その二人の間には競争が生じる。しかし、競争社会では日本人はこころ穏やかに生きられないのである。
 全共闘運動は組織をもたない上下関係のない今までにない組織形態であったと小阪氏はいう。しかし、それはひょっとするとそれは一揆の傘連判の世界につながる日本古来のやりかたでもあったのかもしれない。
 

東京大学医学部紛争私観

東京大学医学部紛争私観