2.自分が信じるものを他人に信じさせること

 今回は「メタリアル・フィクションの誕生」の補遺(ゲーム的リアリズムの誕生)(p106〜135 2005年)をとりあげる。
 そこで東氏は、ポストモダンの時代とは、《自分が信じるものを他人に信じさせることができない時代》であり、さらに厳密に言えば、《なにかを正しいと信じたとしても、その自分が正しいと信じるものを他人に正しいと信じさせること、それそのものを正しいと信じることができない時代》なのだといっている。
 氏によれば、ポストモダンとは《個人の生と社会の運命を意味的に結びつける大がかりな装置、「国家のイデオロギー装置」(アルチュセール)や「大きな物語」(リオタール)といったメディアのシステムが機能しなくなった時代なのであり、それは1970年代にはじまり現代まで続いている》という。
 わたくしは、昔から、自分が《なにかを正しいと信じたとしても、その自分が正しいと信じるものを他人に正しいと信じさせること》をしたいと思ったことは一回もなかったように思う。それは自分が社会の中でのマイナーに属する人間であって、決してメジャーには通じない考え方をする人間であると思っていたからだと思う。自分の信じるものを他人に信じさせるどころか、自分が信じるものに他人が侵入してくることを防ぐことで精一杯であった。攻撃的に他人を説き伏せるなどというのはもっての他であって、自分を防衛することがやっとであった。往時の文学青年といったものはみなそうだったのではないだろうか? 中島梓が「コミュニケーション不全症候群」(筑摩書房 1991年)のあとがきでいっている「私が一番怖いのはマトモな人です。私が一番キライなのは偉い人です。私が何より苦手なのは立派な主婦のかたと自信たっぷりのおっさんです」というのは、本当にその通りであって、自分は全然マトモでない、体制からはみ出た人間だと思っていたし、偉そうに人生論を説くおじさんたちからはひたすら逃げていた。多分、わたしが二十歳ごろに吉行淳之介にみていたのはそういう感性であったと思う。トニオ・クレーゲルである。中島氏のいう《立派な主婦のかたと自信たっぷりのおっさん》というのは、わたくしにいわせれば、たとえば戦時中の愛国婦人会のおばさん(もちろん知らないけれど)と、会社がすべてのおじさん(学生のころそういう人がまわりにいたわけでもないけれども)であった。だから、絶対にサラリーマンにだけはなるないと思った。
 しかし、大学闘争の渦に巻き込まれて、逃げ切れなくなってしまった。まわりにわらわらと出現した《信念の人》すなわち自信たっぶりの先輩同輩後輩から身を守るために理論武装をしなければいけなくなった。まわりが《自分が正しいと信じるものを他人に押しつけることを正しいと信じるている人》ばかりになってしまったのである。
 東理論によれば、わたくしはどういうわけか昔からポストモダンにいたが、大学闘争時代に自分がプレ・ポスト・モダン?にいることを発見したということになるのかもしれないが、もちろん、そういうことはない。ただの軟弱で優柔不断で自分にまったく自信をもてない文学青年がいただけということである。
 それなら、ポストモダンというのは、みんなが文学青年になる時代ということなのだろうか? 昔の文学青年は今のオタクかもしれないから、東氏がオタクにこだわる理由の一つがそこになるのかもしれない。実際、氏は「自分がオタクの動向に注目するのは、それを通して社会全体の問題が見えてくるからだといっている。しかし、あるゲームで「ただキャラクターがいて、ゲームがあるだけ」といわれているからといって、それこそがポストモダンであるなどというのは、いくらなんでも強引すぎるのではないだろうかと思う。このゲームの言葉と、《なにかを正しいと信じたとしても、その自分が正しいと信じるものを他人に正しいと信じさせること、それそのものを正しいと信じることができない》ことは天地の差があると思う。
 東氏は、《自分が何かを信じる》ことと《それを他人に信じさせられない》こととの矛盾を放置することに近代人は耐えられないが、ポストモダンの人はそれを放置できる(あるいは放置することを求められる)のだという。
 だが、それはモダンとポストモダンの時代の差なのだろうか? そうではなくて、真理の問題あるいは普遍の問題なのではないだろうか? わたくしがあることを正しいと思う。しかし、それは真理でもなく、普遍的に通用するものでもないとわたくしが思っているとしたら、それを他人に信じさせようなどということをする動機がない。当然、それを他人に信じさせられないことが悩みになることもない。つまり東氏がいっているのは、ポストモダンとは、真理とか普遍ということが信じられなくなった時代であるというだけのことなのではないだろうか?
 自分のことを振り返ってみても、ある年齢までは、世の中には正しいことというものがあり、しかしなにが正しいのかに関してはいろいろな説があるのであるから、本を読むということは、そのどれが正しいのであるかを探ることであるのだと思っていた。それがいつのころからか、世の中には正しいことなどはなく、したがって正しいことを知っているひともいないのだと思うようになった。それがいつのころからのことなのか、自分でもはっきりとはしない。なし崩しの転向だったのであろう。
 このような見方、世の中にはさまざまな見解があり、それのどれかが正しいなどということはないとする見方が東氏のポストモダンということなのかもしれない。それが1970年ごとからはじまったと氏はいうのであるから、まさにわたくしの転向転回は、時代の流れにそのまま沿ったものであったのかもしれない。
 大学が荒れていた1968年の当時には、まだ「国家のイデオロギー装置」というものや「暴力装置としての国家」というものが実感として感じとれたいたと思う。その当時でさえそうなのだから、明治から昭和の前半にかけての人間にとっての国家の重さというものは途方もないものであったはずである。それなのに、いつの間にか、国家が軽くなってきた。国家を軽くさせたのは知識人の言説の力であったとは思えない。そうさせたのは、国家間の対立と緊張を大幅に減少させた東側の崩壊であり、東側を崩壊させたのは自由への希求とか人間性回復への欲求といったものではなく、工業の力・石油の力であり、社会科学的な知ではなく、工学の知であったのかもしれない。
 かつては国家は自分が信じるものを国民に押しつけようとした。それに対抗して、知識人たちは、国家の呪縛を解くために、国民が各自自分の頭でものを考えることの必要を説いた(敢えて賢かれ!)。自分の頭で考え自分の理性を使うならば、国家の説く偽の物語ではなく、社会主義的な方向、あるいはマルクス主義の方向が正しいのだということが理解されるであろうことを期待したわけである。国家がおしつける《大きな物語》でなく、自分で主体的に選択する《大きな物語》という方向である。
 マルクスは自分が普遍の真理を見つけたと思ったはずである。明治から昭和前半まで国家が国民におしつけた物語は、日本が明治期以降を生き残っていくために発明した擬似物語であることは何よりも為政者がよく知っていたし、それが普遍に通じるなどとは当事者が信じていなかった。そういう偽物語を棄て、それに代わる真の物語、歴史の発展法則を人々に示すことが、知識人たちの目指したものであった。真理であり、普遍的なものであれば、それを他に押しつけようと思うのは当然である。
 マルクス主義の基底には《貧困からの脱出》ということがあった。東西陣営の対立時代には、先進国民国家間での戦争という事態も非現実的なものとはいえなかった。東側が崩壊し、貧困の問題が(少なくとも先進国においては)解決されると、国家は軽くなってしまった。そして何よりも、普遍的な社会理論というものへの信頼と信用が消失した。(しかし、国家が大きな物語を提供しなくなったとしても、日本においてはムラ社会というもう一つの問題がある。ムラ社会が提供したものは大きな物語ではないかもしれないが、中くらいの物語ではあって、敗戦後の日本では、大きな物語対小さな物語ではなく、大きな物語対中くらいの物語という構図、あるいは中くらいの物語対小さな物語があったのではないだろうか? 社会主義対会社主義、あるいは会社主義対ミーイズムである。社会主義を志向する人は、自分の頭で考えろといった。しかしムラ社会の論理は《みんなと同じになれ!》である。そこから外れればムラ八分である。だから自分の頭で考えるということがおきなかった。もしも東氏がいうように、現在日本がポストモダンであるのだとしても、それは日本においては、国家という大きな物語が消失したためということのあるかもしれないが、それよりも会社あるいは一般的にいってムラ社会が物語を提供する機能を失ったことが大きいのではないだろうか?)
 東氏は、自分がなにかを信じることと、それを他人に信じさせられないことの間の矛盾は根源的なものであると考えているようある。だからそこに、多重人格などということまで持ち出してくる。ここでの東氏の論がよく見えないのは、氏は自分が信じること(私的な価値観)を大きな物語へ昇華できないことがポストモダンの生の特徴だというのであるが、その大きな物語を公的な価値観としていることである。だが、公的な価値観と私的な価値観がぶつかることなどはいつの時代であっても当然のことだったのではないだろうか? かつては公的な価値観の力が非常に大きかったが、現在ではそれが力を失ってきており、私的な価値観が並立する状態になっているとする東氏の現状分析はその通りであろうと思うが、そのことがポストモダンの人々の精神病理を作っているというようにとれる言い方をするのがわからない。
 そういう言い方が成立するためには、われわれが大きな物語をもてないのは不幸なことである、ということが前提となると思う。しかし、東氏がそう考えているようには読めない。氏は「大きな物語の喪失は、個人の生と社会の運命、個人の欲望と社会の規範を結びつける装置の機能不全を意味する」という。そこで氏は「なぜひとを殺してはいけないか」という例を持ち出し、個人の物語だけしかない世界では、それを否定する契機がないという。しかし、大きな物語とは「ひとを殺してはいけない」というようなことなのだろうか? それとは反対の「大義のために死ぬ」というようなものなのではないだろうか? 死ぬための大義がなくなったというのが大きな物語の喪失なのであって、そのことを東氏が遺憾に思っているようには、どこからも読み取れない。
 今、東氏の推薦の本(p363)であるローティの「偶然性・アイロニー・連帯」(岩波書店 2000年)を読んでいる。これが大変面白い(この本を知っただけでも、「東浩紀コレクション」を読んだ意味はあったと思う)。しかし、ここでローティがいっているアイロニーは、東氏がいっているような《自分が信じるものを他人に信じさせることができない》ことの葛藤などというものでは全然ないようである。アイロニーポストモダンの特徴であるなどということもいっていないし、そもそもポストモダンというような時代認識もまったくしていない。ローティの本は東氏のものの何十倍もの射程を持つ。ローティが、プラトンからカント、ヘーゲルニーチェハイデガーといった大物と果敢に切り結んでいるのに、東氏が論じるのは浅田彰氏や柄谷行人氏などである。何だか日本論壇内でのコップの中での争いを読まされているという気がしないでもない。