海野弘「二十世紀」 その1

   文藝春秋 2007年5月
   
 二十世紀を10年毎の区切りで論じたものである。もっぱら世界の動きが論じられており、日本はとりあげられていない。同じタイトルの橋本治「二十世紀」(毎日新聞社 2001年1月)が編年体でかつ日本の相当のページを割いている、というか日本の20世紀と世界のかかわりを描いているのと対照的である。
 海野氏の芸の見せ所は主としてどんな話題をひろいだしてくるかというところにあり、いわば事実をして語らせる行き方で、自分の意見を声高に述べるようなことは、ほとんどしていない。
 それでも本の基調とでもいうべきものはあり、その一つが20世紀の特徴としての〈平面性〉、あるいは奥行きのなさということである。都市というものはルーツや歴史や背景という奥行きを失っている。われわれがあることをイメージするということは、二次元の平面に置き換えてみるということであり、可視化すなわち二次元化、平面化である。ピカソキュビズムは対象を受動的に見ることから、観念的意識的に見ることへ、〈見える〉から〈見る〉への変換であった、という。そして、〈平面化〉は深さがないことであり、後の〈大きな物語の消失〉、東浩紀氏のいう、すべてが並列化されたデータベース的型世界にも通じている。
 そして、もう一つが30年周期説である。つまり歴史は直線的なものではなく回帰するという見方である。もちろん、回帰するということは〈平面的〉ということでもある。
 
 1900年代:20世紀のはじめには、マルコーニとキュリー夫人である。地球の平坦化と女性の社会進出である。あるいはライト兄弟
 今ではほとんど誰も読むものがいない小説「ジャン・クリストフ」は1903年に執筆が開始されているが、ロランはその当時のパリを社会的な崩壊の時代の灰と灰燼におおわれた広場の町としている。
 1905年のアインシュタインブラウン運動の理論、光電効果の理論、特殊相対性理論。また1905年のロシア革命。1906年のサンフランシスコの大地震。1908年のT型フォード。1909年のディアギレフのバレエ。いままでの上品なバレーに代わる野性的で肉体的な踊り。芸人がセレブになるという変化。

 女性の社会進出、科学の実用化と科学革命、階級崩壊の胎動である。
 橋本版「二十世紀」では、第一次世界大戦は、まだ“王様がいる戦争”だったということをいっている。イギリス国王ジョージ5世はヴィクトリア女王の孫、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世もヴクトリア女王の孫、ロシア皇帝ニコライ2世の妃もヴィクトリア女王の孫。第一次世界大戦はヴクトリア女王の身内同士の“身内の大喧嘩”でもあった、と。
 海野氏は、「昨日の世界」でツヴァイク第一次世界大戦前の時代を「安定の黄金時代」といっているのを紹介し、すべてが安定し、この世がずっとこのまま持続していくと信じられていたのだといっている。これはロマン・ロランの認識とは大きく異なるが、それがパリとウィーンの差なのであろうか? いずれにしても、20世紀とは「旧世界」の秩序が壊れていく過程なのである。
 
 1910年代:エゴン・シーレの絵、カンディンスキーの絵。メキシコ革命タイタニック号の沈没。パナマ運河。そして決定的な第一次世界大戦、1917年のロシア革命。ウッドロー・ウイルソンアメリカは、アメリカが世界に指令を出す時代の始まりであった。
 ダダイズム第一次世界大戦の荒廃の中ではじまっている。「すべては等価値であり、無差別的にとりだして、平面に並べ、表現し、現実化していいのだ」というがダダであった、と。なんだか誰かのポスト・モダンの定義そのままである。ダダイズムチューリッヒで始まったが、この時期にジョイスは「ユリシーズ」をチューリッヒで執筆している。

 変化と崩壊が確実にはじまるわけである。最近、ポストモダン関係の本をぼちぼちと読んでいて、ポストモダンというのが1970年以降の動向というような説明が違うのではないかという気がし始めている。ポストモダンの始祖はハイデガーのようで、「存在と時間」は第一世界大戦の衝撃を受けた書かれた予言的大著の一つであることをスタイナーが指摘している。
 ポストモダンというのは第一次世界大戦によっておきた「旧世界」の秩序の崩壊へのさまざまな対応の一つなのではないだろうか? つまり近代の定義の問題である。「旧世界」を近代であるとするならば、「旧世界」後のさまざまな動向はみなポストモダンである。しかし、秩序への志向(大きな物語)を近代であるとすれば、「旧世界」の崩壊後もさまざまな秩序への志向はあったわけだから(“王様がいる時代”から“民衆の主権”へ、とか)、そのような秩序への志向は虚偽であるとしたポストモダンは近代の残滓への完全な訣別という点で、新しいということになるのかもしれない。
 柄谷行人福田和也「奇妙な廃墟」(ちくま学芸文庫 2002年)の「解説」で、1980年代は、アメリカでも日本でもフランス由来の現代思想が風靡したが、数学的な体裁や記号論といったもの除いてしまうと、戦前の反近代主義(日本でいえば「近代の超克」)の再版であった。その証拠にみなハイデガーを奉っているなどといった、かなり身も蓋もないことを書いている。柄谷氏は日本の「現代思想」の代表みないな人であると思うので、その人がこんなことを言っていいの?とも思うが、ポストモダンが1970年以降の新しい思想であるという見方は、どうも疑わしいとわたくしは思う。

 1920年代:モダン都市の完成の時代。キーワードは女性、機械、都市。一方、それへの反撥も大きかった。それをルクテンバーグという人は「政治的基本主義」と呼んでいるのだそうである。原理主義であり、新しい変革を拒否し、原理と絶対的なものに固執し、変化や相対的なものを認めない。たとえば、ク・クラックス・クランがこの時代に復活した。禁酒法もまたその流れの中で生まれた。ダーウイン進化論についての「モンキー裁判」がおこなわれた。
 20世紀はデザインの世紀でもある。デザインもまた平面化の流れの中にある。いずれ社会主義リアリズムに駆逐されることになるロシア・アヴァンギャルドの運動もこの時代であり、ハリウッドもこの時代に生まれている。ツタンカーメン王墓が発見され、それがアール・デコに影響をあたえた。シャネルの5番もまたこの時代である。ルイ・アームストロングのジャズもまた。
 ワイマール文化もまたこの時代である。P・ゲイはそれを「部内者になった部外者の文化」といっている。アウトサイダーの文化が例外的に主役となれた奇跡の時代なのである、と。 ブルトンのシュールリアリズム宣言は1924年である。ヘミングウェイの「日はまた昇る」は1926年。リンドバーグの大西洋横断が1927年。また量子力学の花が一斉に咲いたのが1925〜26年。それは決定論に大きな打撃をあたえた。
 そして、1929年の暗黒の木曜日に端を発する大恐慌。そこから政府が強力に巨大になっていく。
 
 最近、原理主義がさかんに問題にされているけれども、それが今に始まったものではないことはいうまでもない。わたくしはタバコを吸わないけれども禁煙運動というのが大嫌いで、禁煙運動は現代の原理主義の一つであると思っている。本当は禁煙運動が嫌いなのではなくて、禁煙運動をやっている人、もっといえば、その人の顔つきと言葉つきが嫌いなのだろうと思うけれども。わたくしは清教徒主義というのが本当に嫌いなのだなあ、と思う。
 「日頃桂子さんは宗教家の説く愛なるものを信用してゐないが、それと言ふのもこの愛なるものには普通何PPMかの憐れみがかならず混入してゐてこれを完全に遠心分離することは不可能だと思ふからである。他人を憐れむことで愛するとは何とも無礼なことではないか。憐れまれる位なら憎まれた方がはるかに気持ちがいい。」 倉橋由美子の「城の中の城」(新潮社 1980年)の一節であるが、禁煙運動家は喫煙者を「憐れなる者よ!」という目でみているような気がしてならない。喫煙者は高々身体の病気になるだけだけれども、禁煙運動家は心の病気にかかっているように思う。
 自分が正しくて他人が間違っているという信念を持っている人がわたくしは苦手である。たぶんそのことがポストモダンの思潮とどこか共鳴しているところがあるような気がして、その辺りの本を読み始めたのだが(たとえばローティのいうアイロニー)、どうも見当はずれのことをしているような気がしはじめている。
 ついでに言えば、ドーキンスデネットなどの反宗教論というのもまた原理主義の一種であるように思う。酒の害を理性的に考えれば禁酒法は当然という論理の延長で、宗教の害を理性的に考えるところから、反宗教法を制定せよ、宗教の伝播を国家は規制せよと言い出しかねない勢いである。
 しかし宗教を信じていても正気なひとはいるわけである。お酒を論じるならば、それが人びとが正気であり続けるために有用なものであるかどうかが問題となるはずである。あまりに理性的であることから狂気にいたることもあるわけで(というようなことはチェスタトンあたりの言い分であるから、これは宗教の側の言い分なのであるが)、どうもドーキンスらは理性に信を置きすぎているように思う。
 ドーキンスあたりの一元論とくらべると、ワイマール文化の多彩はとても魅力的である。もちろんそれはヒトラーの台頭で一蹴されてしまうようなひ弱な花なのであるけれども。
 
 1930年代:〈インタナショナル・スタイル〉の建築、すなわち、四角いガラス箱のような建築がこのころから主流になる。世界の画一化への動きである。
 1933年、ニューディール政策が始まる。これまた個人を統制し規制しようという動きである。
 そして現在でも謎であり続けるヒトラーの台頭。一方では毛沢東の長征。またスターリンの粛清。
 ケインズの「雇用・利子および貨幣の一般理論」は1936年。これは貯蓄というヴィクトリア朝的ピューリタニズムの倫理への挑戦であり、消費文化時代に道をひらくものでもあった。ケインズは未来が予測可能であるとする古典派を批判し、未来は不確実であるとした。
 そしてスペイン戦争。詩的に語られた最後の戦争。これはきわめてロマンティックな戦いであり(国際義勇軍!)、1968年の学生運動の波の高揚にもどこかで影響をあたえている。
 
 本当に、なぜヒトラーが政権につくことができ、あのようなことをすることが可能であったのだろうか? 民族社会主義ドイツ労働者党 Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei に由来するナチというのは単に民族あるいは国家なのであり、特別な単語ではない。
 橋本治は、アメリカで禁酒法が制定されたのが1919年で、廃止されたのが1933年、一方ワイマール共和国の成立が1919年で、ナチスが政権をとったのが1933年であることの年代の一致を指摘している。《ナチスが政権を取ったドイツは異常への道をたどり、アメリカは酒を飲むことによってノーマルへと戻る。「民族の浄化」を叫ぶナチス・ドイツは、異常に「清潔」と「ノーマル」が好きな国だった。アメリカの禁酒法もまた「清潔」と「ノーマル」への志向によって生まれ》たという。「人間というものは、適度の不健康や悪と共存出来てやっとノーマルになれるような生き物でもあるらしい」とも言う。
 ナチス・ドイツはタバコを嫌ったことでも知られている。当時のスローガン《ドイツ婦人はタバコを吸わない!》。それなら男はいいのかということになるが、どうも兵士にとってタバコは必需品らしい。「カタロニア讃歌」などを読んでいてもつくづくとそう感じる。ほとんど食糧以上に必要とされるものらしい。タバコがないと戦争ができないらしいのである。《恩賜の煙草》である。嫌煙論者は「だからタバコは悪いのだ!」と、もちろん言うであろうが。
 そもそもドイツ民族というのがよくわからない(ほかから見れば日本民族もそうなのであろうが)。ヨーロッパ文明でずっと辺境にいて、イタリアやフランスの文明に後塵をはいしていながら、古典派とロマン派の音楽とカント以降の哲学を生むのである。だからハイデガーが、哲学をできる言語はギリシャ語とドイツ語だけなどということを言い出すことになる。文明というものが成立するためには、どこかに不真面目あるいは悪の要素が何ほどか混じっていることが必要で、それにより生真面目になることを忌避できる。ドイツとアメリカは文明の外のいたから、生真面目への免疫がない。それが問題なのであろう。
 
 1940年代:前半が戦争、後半が平和に二分されている。1910年代は逆に前半が平和、後半が戦争と二分されていたのであるが。
 40年代、人は軍隊という組織の中で生き、また会社という組織の中で生きるようになった。そこでアイデンティティの危機がおきる。
 1910年代にヨーロッパのイノセンスが終焉し、その30年後の1940年代アメリカのイノセンスの時代が終った。性善説が失墜し、原罪というキリスト教神学が復活する。
 なぜ第二次世界大戦がおきたのか、ヒトラーのためだ、という説が一方にある。そうするとそれ以上の説明はいらなくなる。そうでないとすれば、原因の究明が必要になる。
 海野氏はこの章で、「チューリング型人間」と「不条理の人間」ということをいっている。アラン・チューリングに由来するチューリング型の人間とは、コンピュータが完全に人間の知能を模倣しうるとするものである。その世界観は有限であり、大いなる物語や悠久の歴史を信じず、今をゲームとして生きるという。「不条理の人間」というのはカミュの異邦人(1942年)について言われるのだが、自然の人間であり、希望も錯覚ももたず、神も永遠もなく、ひたすら現在の内に生きる。何だか、その二つは似ているようにも思える。しかし前者は理性を信じるのに対して、後者は感性を重視するのだが。
 スタイナーの「マルティン・ハイデガー」を読んでいて、サルトルカミュ実存主義というのが、あまりにもハイデガーの論にそっくりなのに吃驚した。ほとんど受け売りに近い。そしていうまでもなくハイデガーは科学大嫌い人間である。コンピュータなど地獄に落ちろである(ハイデガーの時代にはまだコンピュータなど影も形もなかったけれども)。それでも、神を信じない、超越的なものを信じないというその点において、両者は似てくるのであろうか?
 
 わたくしは1947年生まれであるので、1940年代まではわたくしが生きて知ることはしていない時代である。であるので、自分が生きて知ることのできた1950年代以降は、稿を改めて論いることにしたい。

二十世紀

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