丸谷才一「近代といふ言葉をめぐって」

  「文學界」 2007年9月号 
  
 「文學界」今月号の「特集」<没後三十年 吉田健一の世界>の中の短い論である(8ページくらい)。そこで丸谷氏がいっているのは以下のようなことである。吉田氏の「英国の近代文学」はすばらしい本だけれども、そこで吉田氏がいっている《近代》というのが何を指すのかがよくわからない。それが時代区分をさすのとしたら変だと思う、と。なにしろ、吉田氏は「英国では、近代はワイルドから始まる」といい、「世界文学の上では、近代はポオから始まる」というのであるから。通常、時代区分としての近代は、ルネサンス大航海時代宗教改革以降の時代をさすのではないかと丸谷氏はいう。とすれば、吉田氏が近代というのは、モダニズムのモダニティであり、時代区分ではないのだろう、と。あらゆる時代に近代性はありうるという様式論概念がモダニティであり、それゆえにヴァレリーも「古代にも、中国にも、日本にもモデルニテはあった」といった。文明の発達した国にならどこにでも近代はあるである、というのは様式論である。
 そこで、丸谷氏がいいだすのは、藤原定家の「近代秀歌」での「近代」の用法である。定家がとりあげた俊成などは、万葉や古今からみれば、近頃であり、同時に清新な技法のモダニズムでもある、と。すなわち、時代区分にして、様式論。その定家の「近代」の用法に吉田氏は影響されたのではないか、と。これは面白いけれど嘘だろうというような(たとえば「忠臣蔵とはなにか」)いつもの丸谷説であると思うけれども、それでも、丸谷氏のいうとおり、吉田健一の「近代」は変なのである。
 吉田氏によれば、「現代」は第二次世界大戦後である。氏によれば、近代とは「倦怠」と「焦燥」と「退屈」の時代である。つまり十九世紀末、「ヨウロツパの世紀末」である。それはヨーロッパの爛熟であり、そこから完璧という観念が生まれたのだ、と。この論にあてはまる文学者はたとえばフロベールなのであろう。日本でいえば梶井基次郎である。作品がすべてであって、人生などは召使いが生きればいいでわけである。
 吉田氏によれば、近代においてはひとは近代に生きるしかすべがないわけであるし、現代においてはまた現代に生きるしかないわけである。近代において、倦怠も焦燥も退屈も知らない人間はおかしいのであり、もはや現代であるのに、まだ近代の感性から離れなれないのもおかしいことになる。
 吉田氏は戦前には倦怠と焦燥と退屈を生きたのであり、戦後には、「時間」をとりもどすことにより、それを克服したのであるから、その時その時をいつもまっとうに生きてきたのだということになる。これはとんでもなく傲慢な自己肯定そのものであるのかもしれないが、そうであるとしても、吉田氏の文学はまず第一に自己救済のために書かれたのではないかとわたくしは思っている。丹生谷貴志氏が吉田氏の文学の平静あるいは静謐は、統合失調症患者が発症直前に経験する短い静謐期につうじるといっているのは、決して奇矯な説ではない。別に吉田氏が統合失調症の素因をもっていたというのではない。ただ、氏がいう、現代において《時間をとりもどす》という作業は、氏においてはきわめて意思的な努力の所産であって、決して自然なものとして自分のそとにあるのではない、ということである。吉田氏は時間というものを発見したのではなく、時間の中で生きようと決意したのである。
 つまり、氏のする「近代」と「現代」の区分は、きわめて個人的な吉田氏の経験を反映している。しかし、それでも、それだけではないと思う。それは、ヨーロッパにおいて何が一番大事なのかという問題をめぐって生じる問題である。「ヨウロツパの世紀末」で氏が示した《ヨーロッパの爛熟は18世紀なのであり、19世紀はその堕落形態である》という見方にかかわる問題である。19世紀ヨーロッパは堕落なのであるとしても、世界を制覇したのはその堕落したヨーロッパなのであるということをどうみるかである(18世紀ヨーロッパに文明が生まれたのだしても、過去において中国にも日本にも文明はあったのだから、それは文明の歴史になにかをつけくわえたとしても、まったく新しい何かがそこで生まれたわけではない)。
 これはポスト・モダンということにもかかわると思う。ポスト・モダンが否定するモダンは明らかに物質文明としてのヨーロッパ近代である。だから吉田健一がそれこそがヨーロッパの本質であるという文明としてのヨーロッパは《反=近代》の色彩を持つのであり、そうであれば、ポスト・モダンにも通じていく可能性がどこかにあるかしれない。
 丸谷氏もこの論で論及しているが、吉田氏に「東京の昔」という奇妙な小説がある。健一ファンでなければ、そもそも読み続けられないであろうような、ほとんど筋らしい筋のない小説であり、何よりも作者の機嫌があまりうるわしくない。「瓦礫の中」などは機嫌のいい小説であって、だから読者もハッピィになれるのだが、「東京の昔」では、作者は何かに怒っているのである。これは本当に東京の昔の話であって、昔はよかったという話である。
 それによればその頃といってもいつとは書かれたいないのだが、昭和10年くらいだろうか?の東京は生活が楽だったという。横浜までいってコーヒーの粉を仕入れて東京にもってくれば、蕎麦が7銭の時代に一日3・4円になったと。また中古の自転車を新品に仕立て直す?とそれでしばらく暮らせたという。本当なのだろうか? その真偽はともかく、吉田氏の描く世界は手工業の世界までなのである。ヨーロッパ近代の最大の問題であろう機械による大量生産という問題はでてこない。あるいは端的に現代世界の根幹にある石油の問題はでてこない(このことは橋本治氏の議論を読んでも感じる)。「東京の昔」にでてくるのが自転車と大八車であるのは象徴的である。人間は自分の手でものをつくるということをしなくなると不幸になる、というのはたしかにその通りなのであろうが、それでも、そういう牧歌的な時代はもう戻ってくることはない。だから昔はよかったということになるのであるが。
 ついでにいえば、主人公が住んでいるのは貸間であって、貸間というのも現在にはなくなってしまったもののひとつである。今住んでいるところにあきると所帯道具一切を大八車につんで「貸間あり」の札をさがすのである。身分証明も住民票も権利金も敷金もなにもない世界である。ひととひとが信じあえる世界。まだこのころには江戸の文明が続いていたということなのだろうか? そこで主人公はおしま婆さんという大家さん?と湯豆腐をつつくのである。なんだか落語の世界である。もちろん、落語は文明社会でなければ生まれないものであるが、
 「東京の昔」には古木青年というプルーストの勉強をしている青年がでてきて、この青年が倦怠と焦燥の近代の世界から成長して大人になっていくというのが、小説の筋といえば筋である。そのほかの登場人物は、すでに近代を脱していて(あるいはすでに文明の中にいて)、そのような倦怠と焦燥とは無縁である。つまりこの小説は戦前の吉田健一青年の成長を後年の吉田健一が批評しているとでもいうような小説なのである。
 「東京の昔」のなかほどに以下のようなところがある。

 所謂、知識人といふのがその頃から現れ始めてゐた。これは昔の知識階級と違つて知識を素直に身に付けることよりも知識を自分から切り離してそれで遊ぶことの方を純粋と心得る人種である。それはヨーロツパで第一次世界大戦の痛手がそこまで行つてそれ以上でなかつたことを示すものかも知れない。もし真面目であることがこの大戦とその惨害を生じたのならば凡そ真面目に人間が考へることから身を引くのが賢明であるといふ言ひ分も一応は通る。それとともに人間が言ふことが薄つぺらになつた。

 丸谷氏の文に「吉田は彼のいはゆる近代の、つまりモダニズムの芸術家小説の主人公になる資格があるくらゐ時代の運命を引き受けてゐると自負してゐたのだらう。とにかくこれは文学や芸術の領域のことが歴史全体の比喩になると信じ切つてゐる人の世界史論である」とあった。なかなかきつい言い方であるが、たしかに「ヨオロツパの世紀末」で世紀末を代表するのはボードレールであった。あるいは18世紀ヨーロッパを代表するのはギボンであり、ヒュームであった。
 ひょっとすると、ポスト・モダンとは、文学や芸術の領域のことが歴史全体の比喩になるということを誰も信じることができなくなった時代なのかもしれない。思想が石油に敗北することが決定的になった時代なのかもしれない。あるいは、大きな物語が消失したのではなくて、大きな物語が、マルクス主義から石油へと変わってしまった時代、もっといえば、思想が物質に敗北してしまった時代なのかもしれない。
 この文の最後で丸谷氏は、有名な「近代の超克」の座談会でその幹事役であった河上徹太郎が「近代の超克」という言葉を思いついたのは、そこころ河上氏のもとに転がり込んでいた吉田健一が近代ということを盛んにいうので、吉田氏としては倦怠からの脱出という意味で用いていたにもかかわらず、、それが理解できず、しかしそれでも何か琴線にふれるところがあって、つい使ってしまったのではないかという大変に面白い視点を提示している。「近代」の二重性である。物質の近代と、精神の近代。あの座談会では、東洋の精神対西洋の物質などということがいわれている。でも健一氏が問題にしていたのは、西洋の精神がいくことろまでいくとどうようなものになるのかということであり、それが入り込んでいた袋小路という問題である。そこからの解放をもたらしのは、戦争であり、戦争により人間がまったく単なる肉体的な存在にまで還元されてしまったということであった。
 もしも思想が石油に敗北したのであるとしても、それでも人間は生きているということが残る。それなら、ポスト・モダンとはxxは終わったが、それでも人間は生きているということかもしれない(xxに何をいれるかは人さまざまであろうが、少なくとも、大きな物語というようなものだけということはないはずである)。吉田健一はそれを「現代」という言葉でいった。とすれば、吉田健一もポスト・モダンのひとということになるのだろうか?

東京の昔 (1974年)

東京の昔 (1974年)