丹生谷貴志「スカー・フェイス」

  「ユリイカ」2006年10月号「特集 吉田健一
  
 去年の「ユリイカ」の10月号「特集 吉田健一」は発売当時には気がつかずにいて、数ヶ月して知ったときにはもう書店にはなかった。今回、吉田の未収載のエッセイをおさめた「ロンドンの味」(講談社文芸文庫)が刊行されたのをアマゾンからとりよせようと思い吉田健一を検索したら、この「ユリイカ」の特集もでてきたので、併せて入手した。まだ全部に目をとおしたわけではないが、この丹生谷氏の論は先日とりあげた丸谷氏の吉田健一id:jmiyaza:20070809 と通じるものがあると思った。例によってまた「近代」の問題である。丹生谷氏の吉田健一論はわたくしが気がついている限り、これで三つ目である。前の二つも、吉田氏を優雅なエピキュリアンとみる通説とは異なった視点からのものであったが、本論も同じで、吉田氏を疵痕をもつ人間として描いている。何の疵かといえば、戦争(第二次世界大戦)の疵痕なのである。
 丹生谷氏は、吉田氏が「あの戦争は必然であり必要なものであった」といっていることを指摘する。あの戦争が正当か不当か、あるいは避けえたか避けられないものであったのかという議論ではない。あの戦争はなければならなかったのだとしたのだ、と。なぜか? 近代を壊すために。吉田氏には近代への愛憎があった、と。近代は精神がその極北までいった精神の栄光の時代であったのだが、それと同時に精神の病気なしには達成されないものであったという点からは、そこから撤収しなければいけない場所でもあったのだから。
 近代において、「不安」と「倦怠」と「退屈」は一握りの選良の病理であったのではなく、あらゆる人々に浸透していたのであると吉田氏はしたと丹生谷氏はいう。吉田氏によれば前世紀の二つの大戦は、極限まで拡張された精神の自壊現象なのであった。
 ここで丹生谷氏が指摘するのは、吉田氏が、精神がその限界を超えてまで進もうとすること自体を否定したのではない、ということである。精神の平静は、精神の惨禍を経験したものにしか(それも危うい均衡としてしか)本当には到来しないものなのであるから、精神が危機状態を呈するまで精神を使い切ることをしていない人間は、そもそも吉田氏からは唾棄されるのだ、と。吉田氏は安全地帯で安穏としていたのではなく、前線でいつも待機していた、野営地にいたのだ、と。
 丹生谷氏は、そのことから吉田氏の思考がスピノザストア派と類似していたということをいう。わたくしは哲学に疎く、スピノザストア派についてははっきりとしたイメージをもっていないので、この部分はよく理解できないのだが、丹生谷氏にしたがえば、吉田氏は物質をきらったので、言語=詩にあまりに多くのものを負わせすぎたのが問題だという。吉田氏は、物質を嫌うがあまりに、「時間」とか「変化」とか「詩」が物質とは独立して自律して運動をするとでも言いたげにみえるところがあった。だから論がどこか抽象的あるいは観念的、あるいは趣味的に見えてしまうとことろがあった。だから、吉田氏の論に物質の位相をくわえれば、比類のない哲学をそこに見出すことも可能となるのだ、と。
 スピノザは「私たちは未だ、物質−身体にどれほどのことが出来るのか、よく解ってはいない」としたのだそうである。それを確認することになったのが両次大戦における殺戮であったのであり、吉田氏の「哲学」はそべてをそこから出発させるものであった、と。物質の残酷さと豊穣さを戦争がわれわれに知らしめたが故に、戦争の後においてもなお、ものごとを観念化しようとする人々を吉田氏は断じて許さなかったのだと丹生谷氏はいう。
 
 吉田氏の「世紀末の精神と今日」という短い文章の末尾は以下のようなものである。

 十九世紀のヨオロツパで人間が事業の途方もない拡張に呑まれたならば世紀末、或は近代になつて際限もない分析で実感を伴はなくなつたのが人間の観念だつた。この状態に終止符を打つたのが両度の世界大戦だつたのは偶然ではない。もし人間が多量に眼の前で死んで行けばその一人一人が人間の姿を取戻さずにはゐないからである。これからどうならうと、我々は少なくとも再び人間になつてゐる。(「詩と近代」小澤書店 1975年)

 ここでも近代は世紀末と同義語という変な使われ方をしている。同じ本の「詩と近代」では、「先づ近代といふことが問題になる。一般には近代が大体のところでは十九世紀の後半から二十世紀の前半に亘る百年間と考へられてゐるやうでもう少し厳密には普仏戦争の前後から第二次世界大戦の勃発までの百年足らずの期間とも見られさうであるがその特徴、或は性格から言ふならばこの近代の状態が人間の歴史の上で始めて生じた訳ではない」といい、「その近代はプトレマイオス王朝下のアレクサンドリアにもトラヤヌス帝治下のロオマにもあつた」というヴァレリー?の言葉を引いている。丸谷氏が吉田氏の「近代」が時代区分としては変だとしていることに関しては、丸谷氏は古代−中世−近代区分を採用しているのに対して、吉田氏は古代−中世−近世−近代を採用しているということである程度は解消できそうである。もっとも後者を採用したとしても、通常は近代はフランス革命後からとすることが多いようであるので、まだ約百年はずれているのかもしれない。あるいは吉田氏のいっている近代の定義はヴァレリィ先生のものかもしれない。ヴァレリィ先生がそういうならば、凡百の歴史家の定義などはということかもしれない(ヴァレリィにあたったわけではないけれども)。いずれにしても、吉田氏のいう「近代」が時代区分なのか様式論概念なのかということについては、その両方であるということでいいのではないかと思う。「近代」は様式論概念から定義されるのであるが、ヨーロッパにおいては十九世紀の後半から二十世紀の前半に亘る百年間にはじめて生じたものなのであると(ローマ帝国はヨーロッパではないから)。
 問題は吉田氏の「近代」においては人間という観念が実感をともなわないものとなったのだとする見方のほうである。吉田氏によれば、これはあらゆる近代に起きたことではなく、特殊限定的にヨーロッパの近代におきたということのようなのである。それは科学というものが結局はヨーロッパでしか生じなかったことと裏腹なのである。
 とすれば問題は、《「不安」と「倦怠」と「退屈」は一握りの選良の病理であったのではなく、あらゆる人々に浸透していた》というのが本当なのだろうか、ということになる。嘘偽りなく吉田氏は実感としてそう感じていた。しかしわたくしは1947年生まれであるので、吉田氏のいう「現代」以外の時間を知らないわけである。丸谷氏は「吉田は彼のいはゆる近代の、つまりモダニズムの芸術家小説の主人公になる資格があるくらゐ時代の運命を引き受けてゐると自負してゐたのだらう」といやみをいっているが、吉田氏はそれは芸術家などという特殊な人間にはではなく、すべての人間に浸透していたことを確信していた。だから、吉田氏にとっては説は一貫している。
 そうであるなら、わたくしにととっての問題は、わたくしのような吉田氏のいう「近代」を知らない人間が吉田説を受け入れることに必然性あるいは切実性があるのだろうか、ということである。わたくしは1968年前後の学園紛争時に自分のまわりに蔓延していた言論とあまりに異なる言説として吉田健一を発見した(生きているのは面白くもないことだ、というのはわれわれの時代に共有されている感情だと思っていて、全共闘運動というのは、それへの反抗なのだと思っていた。だから、そういう感情というのはヨーロッパではきわめて例外的なのであり、サルトルの言説はヨーロッパで奇異な目でみられるのだ、という文を読んだときには本当にびっくりした)。とすれば1968年はわたくしにとっての「近代」だったのだろうか? そしてもうひとつ医学を学び始めようとしていて、その医学のどこにも人間がいないのに呆然としていた、ということがある。わたくしには医学は死体学としか思えなかった(病理学、解剖学、組織学・・)。吉田氏によれば、科学はいまだに「近代」にいるのであるが・・。そもそも医学が科学かという問題がそれ以前にあるのだけれども。
 いまから思えば1968年に自分のまわりにあったのは、一方で過剰な観念と情動であり、他方でまことにつめたい事物であった。吉田健一を読んではじめて「人間」を発見して驚いたのだと思う。そして丹生谷氏もいうように吉田氏が「現代」に発見したのは、戦争でほとんど肉体だけと化した人間なのである。動物としての人間!
 丹生谷氏は吉田健一スピノザの関係ということをいう。おそらく丹生谷氏がいうのはドゥルーズを経由したスピノザではないかと思うのだが id:jmiyaza:20050430 スピノザの哲学が身に沁みない人間なので、丹生谷氏の論についてはなんともいえない。
 わたくしのスピノザについてかすかな印象はもっぱらダマシオの脳についての話からのものである id:jmiyaza:20060402 。ダマシオによれば、スピノザは《人間の心は人間の身体の観念である》としたのだという。また《有機体は生来的かつ必然的にそれ自体の存在を貫くべく努力する》ものであるという。ダマシオは身体がまず反応し、それを心が捕らえるとしているようである。悲しいから涙がでるのではなく、涙がでるから悲しい。
 吉田氏も頭だけという議論を信用しなかった。わたくしが吉田氏を観念論の正反対にいる人であると思うのはそのためである。人間以外の動物は悲しいのではなくただ涙がでる。とすれば大事なのは涙がであることであって、悲しいことではない。そういう最新の脳の知見はすでにスピノザが予見しているとダマシオがいうのであるが、それについてはわたくしは十分な判断が下せない。わたくしとしてはむしろ最近、吉田氏の論はどこかベルグソンと通じるような気がしてきていて、近々読んでみようと思っていたところなのだが・・。
 吉田氏の没後30年なのだそうである。わたくしは今60歳である。20歳ごろから吉田氏を読み始めて、10年で氏は亡くなり、その後もう30年がたったわけである。なんだか少しも進歩していない気がする。

詩と近代 (1975年)

詩と近代 (1975年)