F・フュレ「幻想の過去 20世紀の全体主義」 (1)序章

  バジリコ 2007年9月
  
 毎日新聞の書評欄で鹿島茂氏が紹介しているので知った本である(最近、朝日新聞の書評欄でもとりあげられていた)。
 2段組700ページという浩瀚な本であるが、いわれていることは比較的単純なことで、20世紀の全体主義ファシズムあるいはナチズムとコミュニズム)を支持したのはブルジョアであり、その理由はブルジョアの自分自身への嫌悪、自己嫌悪であるというものである。ファシズムあるいはナチズムは、それが崩壊したあとからみると、なぜあのようなものが多くの人の支持を集めたのか理解できないが、それはブルジョア、なかでも多くの知識人の熱狂的な支持を得たということを忘れてはいけない、と著者はいう。それと同様にコミュニズムもまた、プロレタリアートではなくブルジョアの支持(特に知識人の支持)を集めたのであり、それを支える構造はファシズムの場合と同様であった、というのが著者の主張の眼目である。ファシズムコミュニズムを同列に論じるいきかたは当然多くのひとの反発を買うであろう。著者は1949年から1956年まで(22歳から29歳まで)自分が共産党員であったことを記している。本書におけるコミュニズム(特に、ソヴィエトのマルクス・レーニン主義)への憎悪には、多分に著者のそのような個人史を反映しているところがあるように思う。転向者が転向前に属していた組織にもつ過剰な反発という側面を否定できないかもしれない。しかし、ここに記されているかって存在したソヴィエトという国が事実としてどのようなものであったのかということの事例の列挙を見るならば、著者の口吻も十分うなずけるものがある。著者がここで詳細に論じているのは、なぜ西欧の知識人がその事実を直視することを避け続けたのかということである。それはフランス革命が西欧にもたらした幻想によるところが大きいというのが著者の主張である。著者はもともとはフランス革命の研究者として有名な人なのだそうである。革命というものによって何か人間が根本的に違ったものへと変わるというフランス革命が生んだ幻想の後遺症が、ファシズムであり、コミュニズムであったという。ファシズムもまた多くの知識人にとっては唾棄すべきブルジョア文化を一掃する革命であると見えたのである。コミュニズムが反=ブルジョア思想の代表であることはいうまでもない。
 わたくしは1947年生まれであるので、1917年のソヴィエト政府成立から30年後に生まれている。ソヴィエトの崩壊が1991年だから、わたくしが44歳のときにソヴィエトが消滅したことになる。わたくしがマルクス主義について関心をもつようになったのが多分中学に入った前後(ちょうど60年安保のころ)だから、ソヴィエト成立後43年くらいであり、わたくしが関心をもつようになってから30年少しでソヴィエトがなくなってしまったことになる。1960年はソヴィエトはフルシチョフ時代であり、すでにスターリン批判のあとである。しかし、中学の図書館には大部の「レーニン全集」「スターリン全集」がそろっていた。本書によればスターリンマルクスの著作をほとんど読んでいなかったのではないかということであるが、それならばこの「スターリン全集」に収められた著作を書いたのはいったい誰だったのだろうか? 現在でもまだ依然としてマルクスの著作は読まれ続けているであろうと思うが、レーニンの著作はどうなのだろう?今ネットで検索したらスターリン全集が全13巻、レーニン全集が全42巻である。かつてこういう本を、聖典を読むようにして読んでいる人がたくさんいたのだろうか? 高島俊男氏の「中国の大盗賊・完全版」を読んで、毛沢東マルクスの著作をほとんど読んでいなかっただろうと指摘している部分で唖然としたが、スターリンもまたそうだったのだろうか?
 わたくしが本当にマルクス主義に関心をもつようになったのは(といってもマルクスの著作を読んだわけではなく、マルクス主義はなぜ人をひきつけるのかというようなことを考え出しただけだけれども)1968年の少し前あたりであったと思うが、それというのも、その当時の学生運動マルクス主義一色だったからである。「革命的マルクス主義・・・」であり、「社会主義青年同盟解放派」であり、「反帝・反スタ」(反帝国主義・反スターリニズム、つまりレーニン帝国主義論を受容するが、日本共産党の指導を拒否・・反スタは反スターリンというより、民主集中制という共産党の指導原理への反発であったように思う)であった。このころは、スターリンは偶像ではなくなっていたとしても、レーニンはまだ輝いていて、だからマルクス・レーニン主義なのであった。ということはソヴィエトという国は完全にではなくても肯定されていたわけである。、少なくとも資本主義の国よりは増しと思われていたのだと思う。
 だから、わたくしは自分の目の黒いうちに?ソヴィエト崩壊などという事態がおきるだろうなどということはまったく考えてもいなかった。1989年のベルリンの壁の崩壊をみてもまだ、そんなことは予想さえしなかった。東欧圏という第二次世界大戦の産物として生じた国々は、もともと不自然な経緯で成立したものなのだから崩壊することはあったとしても、ソヴィエトという本体が消滅するなどということは想像さえしていなかった。
 本書で著者もいっているように、ソヴィエトは自壊した。反=ソヴィエトの軍が攻め込んだわけでも、国内の反体制派が蜂起したわけでもない。権力与党自身が指導した運動の結果そうなってしまったわけである。ゴルバチョフが登場した当時の西側の見方は、ようやく登場した知的な指導者のもとで、もう少しまともな体制にソヴィエトが変わることを期待するという方向であったと思う。彼が結果としてソヴィエト体制に終止符を打つという方向は考えてもいなかったように思う。
 フランス革命は市民の平等とブルジョア世界の到来をもたらし、ナポレオンもまたヨーロッパに大きな遺産を残した。しかし、ソヴィエト連邦はあとに何も財産を残せなかったと、著者はいう。ソ連邦は1917年の革命から生じたのであるから、1991年の事態は反革命であるという見方もありうる。ソヴィエト後に生じたのはブルジョア世界であるように思えるのからである。よりよいコミュニズムという方向へは、ソヴィエト崩壊後、進まなかった。とすれば、ソヴィエト革命の実験は、20世紀のヨーロッパに登場した反自由主義・反民主主義的な反動の一つであるということになってしまったように見える。
 ソ連邦を支えたのは幻想であり、幻想を支えたのはソヴィエトという国で何事かが試みら続けているという事実であった。その幻想とは《コミュニズムが歴史理性の必然的発展に適うものである》という誇大な自負であり、《プロレタリア独裁が科学によって肯定されたものとしてある》という信念であった。その幻想は多くのひとに人生の意味を提供し、心の安らぎをあたえた。幻想は宗教的信仰に匹敵する精神エネルギーを人々にあたえた。
 コミュニズムの幻想は人類の救済を歴史にもとめるものであったので、歴史によって完膚なきまでに否定されるまで、その幻想は消えることがなかった。コミュニズムが世界に誇ったのは、現実に自分の体制がどうであるかではなく、自分が目指していると称する将来の姿であった。それを否定することができるのは、体制の消失だけであった。
 著者によれば、コミュニズム思想が本当に生きていたのは東ヨーロッパではなく西欧においてである。ということで、本書は主としてヨーロッパにおけるコミュニズムのもたらした幻想の歴史をあつかっている。というところで「序章」はおわり、第一章「革命的情熱」に続く。以下は、稿を改めて、著者の主張をみていくことにする。
 

幻想の過去―20世紀の全体主義

幻想の過去―20世紀の全体主義