今日入手した本

 

資本主義という謎 「成長なき時代」をどう生きるか (NHK出版新書)

資本主義という謎 「成長なき時代」をどう生きるか (NHK出版新書)

 橋爪大三郎大澤真幸宮台真司の3氏による「おどろきの中国」が面白かったので買ってきたのだが、ざっとみた感じでは「学者さん」による「学者さん仲間同士の内輪話」という印象である(水野さんという方はわたくしははじめて目にする方)。
 最初の「まえがき」で大澤氏が書いている。「資本主義に関して、現代人は、二つの互いに矛盾した感覚をもっている。一方で、資本主義は、人類にとって最後の選択肢であり、これに代わるどのようなシステムも、資本主義より悪い。これは、ほとんど今日の共通了解である。」
 「えっ、そんなこと簡単に言っちゃっていいの!」である。いつからそうなったのだろう? わたくしの人生の前半では、マルクス主義は現役の思想であった。「革命」という言葉も輝きをもっていた。日本共産党がいつまで本気で革命ということを信じていたのかはわからないが、日本社会党(の少なくとも一部)は共産党よりもしぶとくそれを信じていたのではないだろうか? 向坂逸郎なんてひとは社会党が政権をとったら直ちに議会を停止して独裁に移行なんとことをまじめに考えたいたと思う。60年安保があり、三井三池闘争があり、美濃部革新都政というのが60年代後半、そして1968年があり、70年安保は不発だったが、土井たか子社会党委員長になったのが1986年、参議院選挙で社会党が躍進して「山が動いた」とかが1989年、さすがにその頃には「革命」は信じなくなっていたとしても、「資本主義は、人類にとって最後の選択肢」なんて言ったら、ふざけるな!と一蹴されたであろう。今でこそ日本社会党の末裔の民主社会党は見る影もないけれども、社会党も90年代まではなにがしかの力を持っていたいたはずである。本当にいつからこうなってしまったのだろう。そう遠くない頃まで、東大経済学部の教授のほとんどが「マル経」であり、近代経済学(とそのころ言っていたと思う)の方はごく少数だったと思う。今でもわたくしが鮮やかに覚えているのが、わたくしの通った中学(麻布中学)の図書館に「レーニン全集」とか「スターリン全集」とかが全巻揃っていたことである(「マルクス・エンゲルス全集」とかもあったのだろうと思うが、それについては記憶がはっきりしない)。岩波書店からの刊行だったのではないだろうか?
 さて上記の現代人のもつ二つの矛盾した感覚のもう一つは、「資本主義は容易に解決できそうもない大きな問題をいくつも抱えており、このままでは、早晩、大破するのではないか、という不安」であるという。チャーチルが「民主主義」に関して述べたのと同じで、「資本主義は最悪のシステムである。しかし、資本主義以上のシステムは存在しない」ということになり、それしかない体制だが、問題点だらけなのだという。
 本書でも例の「大きな物語の終焉」ということがさかんに論じられている。大きな物語の代表が「社会主義」だが、大きな物語が信じられたのが1970年まであるという。では「民主主義」とか「資本主義」というのも「大きな物語」の一つではないのだろうか? フクヤマの「歴史の終わり」などは、ポストモダンの陣営からは「単純で能天気」とさんざん笑われていたが、結局、歴史は終わったということなのだろうか?