大澤真幸「日本史のなぞ」

   朝日新書 2016年10月
 
 日本は外圧によって変わることはあるが、内発的に変わることはきわめておきにくい国である。したがって革命とみなされる社会変動はおきにくく、それが日本の歴史の特徴であるのだが、ただ一回、日本の歴史でうまくいった革命があって、それが北条泰時による貞永式目(関東御成敗式目)の制定であったということを述べている。
大澤氏もみとめるようにこれは山本七平氏が提起した論であって、大澤氏の独創ではない。とはいっても大澤氏はいう。「山本は歴史の人である。それに対して、私は論理の人である。私は、泰時が成功した理由を、抽象的で形式的な論理として取り出してみたい。」
 わたくしは山本七平氏の著作にいろいろと教えられてきた人間であり、北条泰時御成敗式目がいかに日本を理解するうえで重要なものであるかも、氏に教えらえた。氏は鎌倉時代以降の人間はわれわれと地続きでわれわれに理解できる存在であるにに対して、平安までの人間はわれわれとは異なった存在であるということをいっていた。
 わたくしの理解では、そこで山本氏がいっていたのは、一所懸命で額に汗して働く人間の肯定ということだったと思う。律令の制度上では貴族のものである土地であっても、そこを苦労して開墾した人間がいるならば、本来はその人間に権利があるべきでるという心情を肯定するものとしての御成敗式目であり、能う限り公正な調停者として期待される鎌倉幕府といったことだったのではないかと思う。つまり、形式より実態であり、実力主義能力主義である。わたくしは、昔、会社はだれのものかといった議論があったとき、会社は株主のものであるという話をきいてびっくりした人間であるし、その後、内田樹さんの本で「調停いろはかるた」を知ってうれしくなった人間である。自分では典型的な日本人だと思っている。そして日本人は理屈をきらう。あるいは法をきらう。
 ところが、大澤氏は自分で「論理の人」というわけである。しかし、論理のひとは日本人ではないのである。大澤氏は西洋の神、中国の天という絶対の概念が日本には欠如しているといった方向に議論を進めていく。でもそれは「革命」という言葉にこだわったことででてくる議論で、泰時の何が革命的であったかということには議論がむかっていかない。
 だからか山本氏の本が動的で読んでわくわくするの対して、この本は静的でいっこうにわくわくしない。山本氏の本を読むと、そこで山本氏が考えている姿が浮かんでくる。しかしこの本では大澤氏が考えている姿が見えてこない。