(池上彰 佐藤優 「激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972」 「漂流 日本左翼史 理想なき左派の混迷 1972―2022」 講談社現代新書(2022) (7 終り)

 この3冊本の最後は副題が「理想なき左派の混迷 1972-2022」である。
 「はじめに」で池上氏は、この頃ベトナム戦争アメリカは苦戦し、世界各地でベトナム戦争反対の運動が燃え盛っていた。これを人によっては「革命の日」が近いと受け取ったかもしれない。
 そう受け取った組織の一つが「赤軍派」である。彼らは、われわれが立ち上がれば、機動隊では対応できなくなり自衛隊が前面に出てくる。自衛隊員は労働者・農民の家庭の出(機動隊は違うのだろうか?)である。そうであればロシア革命の時のように、彼らもまた立ち上がるであろう、そう考えた、という。
 池上氏は、確かに「荒唐無稽です」という。「いまになって冷静に考えれば、日本国内でいかに学生たちが機動隊と衝突したところで、選挙になれば自民党が圧勝していました」と。
 「いまになって冷静に考えれば」というのであれば、その当時には「冷静に考えられなかった」ということで、氏もまた革命の可能性というのを、まったくゼロとは思っていなかったのだろうか?
 この本は2022年という現在から、過去を知った上で書かれている。事実として、新左翼はほぼ消滅し、既成左翼も衰退した。
 その事実のうえで、現在われわれが直面している「格差や貧困、戦争の危機」といった問題については、本来左翼が掲げてきた論点そのものであり、そうであるなら、われわれはふたたび「左翼の思想」から学ばなければならないと佐藤氏もいう。

「格差や貧困、戦争の危機」という問題には、為政者の善意といったものに頼っては一切解決しない。体制の転覆が必須である、というのがマルクスの思想の根にあるものであろう。それを全面的に否定しても、なおかつ「左翼」というものが成り立つのか?というのが一番の問題であろうが、それについては本書では特に答えられていないと思う。

 ということで、「新左翼」がおこした馬鹿げた騒ぎが相変わらずとりあげられていく。
1974年に「三菱重工爆破事件」。8名が死亡、380名が負傷。この中には三菱とは全く関係ない市民が多く含まれていた。

 p46に吉本隆明がでてくる。よくわからない。本書の構成から全く離れている。

 p47で、唯一盛り上がった運動として「三里塚闘争」が取り上げられる。わたくしの記憶にも鮮明に残っているから、非常に広範な関心を呼んだ運動だったのであろうと思う。しかしこれは成田空港をつくる過程でおきたものである。現在では成田空港がない状況というのは想像できないと思う。

 p62からは労働運動がとりあげられる。
 学生運動だけをみると1970年代は衰退の時代に見えるが、労働運動の観点からはそうはいえず、むしろ高揚の時代であった、と。順法闘争というのがあった。電車など規則通りに運転すると朝のラッシュ時などどうしようもなくなるので、規則を守ることが自動的にストになるというようなことが確かにあった。「スト権スト」というのもたしかにあった。

 p83から革新自治体の話が出てくる。1967年東京に美濃部亮吉都知事誕生。京都に蜷川虎三、神奈川に長洲一二、北海道に横路孝弘・・・、これらはいずれも社共共同の推薦であったと思うが、わたくしなどは当時、社会党共産党が議論したら絶対に共産党が勝つから(なにしろ一枚岩の共産党と、てんでばらばらの社会党である。相手にならない。)しばらく東京などの大都市は共産党支配になるのだろうな、と思っていた。

 美濃部亮吉氏はマルクス経済学者ということになっていたが、老人医療費助成制度、老人無料パスの制定などとにかくバラマキ政策をやって都の財政をトンデモない状態にしたらしい。実地の経済運営については氏はまったく無能であったようである。
 各地で革新自治体が誕生するという状況を見て、社会党共産党もこの時期には議会で多数派になってそれを通じて革命?を実現することも可能という思いを抱くものも少なくなかったようである。

 1972年にはアメリカがベトナム戦争にやぶれ、1970年には南米チリではアジェンデ政権が選挙で選出されたはじめての社会主義政権を樹立している。この時期、日本共産党も急激に党勢を拡大している。

 70年代は、水俣病イタイイタイ病四日市ぜんそくなどの問題も顕在化していた。

 ではその時期わたくしがそういう事態をどう見ていたかを思い返してみると、革命前夜などといったことを感じることは微塵もなかった。いろいろと資本主義体制の問題点が噴き出している、体制側も色々と対応せねばならないだろう。しかしその対応能力は体制側には十分にあり、社会党共産党の批判は、対応の必要性を体制内に説得するためのむしろ有用な材料となっており、かえって敵に塩を送っているのではないかというようなことだったように思う。
 社会党共産党マルクスレーニン主義と完全に縁を切り、資本主義体制を原理的には容認し、その中での生じる様々な矛盾を個々に解決していく党に変わっていくというようなことがあれば事態はかわるだろうが、マルクスレーニン主義への郷愁をすてきれず、革命という言葉へのあこがれを断てない限りは、社会党共産党という勢力は現実的な力にはなりえないと思っていた。

 共産党マルクスレーニン主義を放棄したら、自己の全否定になるから、それは出来ないだろうし、向坂逸郎氏などは、マルクス命、ソヴィエト天国というひとであり、マルクスを論じたら天下無敵、向かうところ敵なしの人であったとしても、それは信仰心の強さの問題であって、向坂氏以上の強い信仰心を持つひとはいなかったというだけのことだったのだと思う。
 江田三郎さんの構造改革論などは向坂氏に手もなくひねられてしまうわけで、それは江田氏にはマルクスへの熱い思いなどほとんどなかったからである。

 ところで60年代後半から70年代にかけて創価学会も爆発的に会員数を増やしているのだという。これは左翼運動では救いきれない底辺部分があり、それが創価学会に流れていったのだ、と。

 70年代初頭には盛り上がった「左」への期待が、70年代の終わりには薄れるようになった。それは戦争を知らない世代が増え、反戦意識が薄れてきたからではないかと池上氏はいう。
 
 わたくしの父は戦争でブーゲンビル島という南の島に送られて九死に一生を得て帰ってきたのだが、またふたたび戦争になるのではないかという警戒感が(わたくしからみると)異常に強いひとであった。何をみてもこれは戦争の前兆ではないかと考えていた。「戦争を知らない子供たち」という歌をとんでもなく嫌い、わたくしに子供が生まれて、名前の候補を提示したところ「靖」という名は靖国神社の靖だから絶対ダメと反対されたりした。晩年は社会党員だったように思う。医者だったが小児科を専攻したのも、未来を子供に託するというような思いも関係していたのではないだろうか?
 とにかく父の世代がいなくなり、(母は戦争中のひもじい思いときどき語っていた。)戦争の直接の記憶を持つものがいなくなってきたことが社会党の凋落と大きくかかわっていることは間違いないだろう。

 いわゆるポストモダン思想もとりあげられている。しかし、1983年の浅田彰の「構造と力」などが提唱した「大きな物語」から「小さな差異」へいうのなどはインテリの一部にささやかな影響をあたえただけだったのではないだろうか・・

 1977年に江田三郎社会党から追放される。「構造改革」などいう路線がマルクスレーニン主義と両立するわけがないのである。
 1979年のソ連のアフガン侵攻を社会主義協会は支持した。このころの向坂氏は「ソヴィエト教」信者のようなもので、ソ連のすることは全部正しいと思っていて、現在世界での理想国は東ドイツだなどといっていたらしい。氏はソ連が日本に侵攻してくれて、それによって一旦、日本はソ連の占領下に入り、そのなかで自分達が日本を運営して日本の社会主義化をすすめていくのがベストと考えていたようである。

 1989年ベルリンの壁崩壊、1991年ソ連崩壊。左翼ということを考えるのであれば、ここからがわたくしは一番大事なのではないかと思うのだが、ここからたった40ページで本書は終わってしまう。30年がたった40ページ!
 現代史はソヴィエト崩壊の前後で二分されると思うのだが、両氏ともにソ連崩壊前の世界に多大な興味をよせていて、崩壊後の世界にはあまり興味がないようなのである。

 まず大学の講座からマルクス主義経済学が(表面的には?)消えた。池上氏はいう。「ソ連の体制はマルクス主義ではないといっていた人はたくさんいたのだから、「それみろ、偽の体制は崩壊した。これからは本物のマルクスの思想、マルクスの経済学を学ぶ時だ」というひとがいてもいいのに・・・。」 それに対し佐藤氏は、日本の左派はいくらスターリン批判をしていたとしても根源的にはスターリニズムを乗り越えることが出来ないままでいたので、ソ連国家の崩壊とともに思考のフレームを失ってしまったのだ、としている。

 この前後、党勢が凋落し続けていた社会党は新しい綱領を採用し、革命路線を否定した。
 1980年代に入り北朝鮮の情報が入るようになり、どうもおかしな国だとみな思うようになった。とするとこういう国をずっと支持してきた社会党にも疑念が抱かれるようになった。
 1986年に社会党党首に土井たか子がなった。この本で初めて知ったのだが、土井氏は大変な尊王家だったのだそうであり、衆院議長であった頃、宮中行事に呼ばれると、いそいそとでかけていったのだそうである。土井氏の護憲とは「第9条を護れ」ではなく、第一条を含むすべての条文を護れということであったのだという。わたくしは憲法学者というのはみな9条を護れというだけの人であると思っていたので、本書に教えられた。

 この前後のことでわたくしが覚えているのは、なぜか1994年に首相になっていた村山富市氏が自衛隊を謁見していた映像、神戸の大震災の映像を茫然と見つめている映像、普段元気のいい土井たか子氏が北朝鮮拉致問題を問われてしどろもどろになっている映像などである。
 本当かどうか、そのころは自民党と野党の関係は表面的には対立しているように見えても、実は国会対策委員会というわけのわからないところで裏取引がおこなわれ、大きなお金が動いて政治がまわっているというようなことがいわれていた。その自民党からのお金を受け取らなかったのは村山氏と土井氏の二人だけであるというようなことも聞いたことがある。

 p160からの終章は「ポスト冷戦時代の左翼」
 p167に2015年のSEALDsの運動がとりあげられている。佐藤氏はまったく評価しないとしている。たくさんの大人たちが子供たちに阿っていた、と。わたくしもまったく同感で、上野千鶴子さんのような海千山千の大人が感涙にむせんでいるのが不思議でしかたがなかった。上野さんなど、案外、世間しらずのいい人なのだろうか? 「セクシー・ギャルの大研究」でスタートした氏が東大教授になるまで、どれだけの闘いを強いられたかを考えるととてもそんな軟なひととはとても思えないのだが・・・。

 p172で佐藤氏は「やはり人は大きな物語を必要とする」といっている。それはひとを動かす力を持っている、と。どうもここから本書の方向が変わってくる。
池上氏も、現在の左翼の力のなさは、かれらが「大きな物語」を語り得なくなってきているからかも知れない、という。
 話が「大きな物語」の方向へと変わっていくのである。「左翼」が語った具体的な「小さな物語」は最早、命脈が断たれようとしている。しかしだからといって、「左翼」の思想の根にあった「大きな物語」まで過去のものとしてはいけない、という方向である。

 最後が「ウクライナ侵攻以後」の左翼。
 佐藤氏はソ連ウクライナ侵攻への日本の左翼の反応が日本の戦後左翼の終焉を示していると考えるという。
 共産党は、侵攻に反応して、自衛隊の存在を肯定し、「すべての戦争に反対」という立場を放棄し、ナショナリズムに吸収されてしまった。「ウクライナアメリカ帝国主義の尖兵の役割をはたしていて、それがもう一つの帝国主義国であるロシアと衝突している」という視点をとれなかった。
 左翼の根源である「階級」の視点が今の日本社会からは失われてしまっている、としてこの本は終わっている。

 わたくしは、チェルノブイリウクライナにある事さえ知らなかった人間なので、ウクライナの戦争について語る資格はまったくないが、
1) 現在のロシアはソ連という国家から連続したものなのか?
2) そうであるならば、旧ソ連もまたロシアの大地を信仰する「宗教国家」でもあったのだろうか? 
3) 西欧の歴史というのは世俗化、非宗教化の歴史であったと思うのだが、そうであるならば、広い意味での「左翼」というのは世俗化への抵抗であり、一種の守旧派の運動であったのであろうか?
4) 西欧の現在の立場は「何が正しいかはわからない」ということで、だから投票という制度ができていると思うのだが、投票という形の中から「左翼」が再び復活するということがあるのだろうか?

というような疑問を感じる。

 「漂流」の後書きで、佐藤氏は「プロレタリアートは祖国を持たないので、階級の立場からあらうる帝国主義的戦争に反対する、というかつての左翼の声はまったくといっていいほどきかれなくなった」とし、しかし、ウクライナの戦争の進行とともに左翼的価値がもう一度、見直される可能性があると自分は考えているという。また、平等を強調する左翼的価値観も見直されるだろう、と。
 さらに佐藤氏は、キリスト教には左翼的価値観も包摂されているとし、マタイ福音書の「隣人を自分のように愛しなさい」をひき、「左翼の人々は、神なき状況で(この福音書の言葉を)実践しようと命がけで努力したのだと思う」としている。
 だがまた、佐藤氏は、神(あるいは仏法)不在のもとで、人間が理想的社会を構築できると考えること自体が増上慢、つまり思い上がり、という罪なのだともいう。
 社会的正義を実現するためには、人間の理性には限界があることを自覚し、超越的な価値観を持つ必要があると、自分は考えている、と。だから、「日本左翼史というネガを示すことで、自分は超越的価値というポジを示したかったのである」と。
 しかしこういう佐藤氏の見方もまた増上慢なのではないかとわたくしには思えてしまうのだが。

 とにかく3巻本の最後の最後でそんなことを言われてもであって、えっ、そうだったの?ということになるが、左翼史に自分の青春時代のノスタルジアを語るだけの池上氏に比べれば旗幟鮮明である。おそらく氏はカトリックの視点から歴史をみている。人間が神のようにふるまうことは「増上慢」である。マルクスレーニン主義はその「増上慢」の罪を犯したということになる。

 しかし、佐藤氏もまた、その「増上慢」に近づいていると思う。おそらく氏は「カトリック」の立場にいるひとで、カトリックプロテスタントにくらべれば神とひととの距離がずっと遠いから、神が何を考えているかは自分の理解の外であってまったく知ることはできないとしていると思うが、にもかかわらず神の意志がどこかにあることは信じているわけで、そうであれば、そのような神の意志など思いもしない人間にくらべれば自分は上にいることになる。本書にはそのような氏の「上から目線」が散見するように思う。
 今までの左翼の議論は所詮お釈迦様の手の中での空騒ぎにすぎず、問題はお釈迦様の手の存在を常に意識している ことが大事ということに、佐藤氏によればなるのかも知れない。
 しかし、佐藤氏のいう「神」(あるいは仏法)がこれから復活することは絶対にないだろうから、そして今後われわれは世俗化の道をひたすらこれからひたすら歩んでいくことになるのだろうから、またわれわれには何が正しいかがはわかることは永遠にないのだから、それを前提に、これから生きていかなくてはならないはずである。

 だが、佐藤氏にはそのようなのっぺりとした世界、志をまったく欠いた世界は生きるに値しない世界と映るのかもしれない。自決直前の三島由紀夫は、デパートに家具を買いにいくひとを見ると吐き気がするといっていた。
とはいっても、日本には貴族はいない。(吉田健一は、三島由紀夫はいい子だったが、一点、日本に貴族がいるという大きな誤解をしていた、というようなことを言っていた。)では、貴族なき日本社会での「ノブレス・オブリージュ」とは? 
 佐藤氏にとっての「左翼」思想とは、「ノブレスの志」を指しているように思う。逆に「ノブレスの志」を持たない「左翼」などは論ずるに値しない、と。

 「左翼」のかなりの人が囚われたのが「科学的社会主義」の「科学的」というところで、われわれの社会がこれからどうなっていくかという方向をマルクスが見つけたとしたことであるように思う。佐藤氏はその「科学的」の代わりに「貴族の志」を代入するという、わたくしから見ると「ドン・キホーテ的試み」をしようとしているのかもしれない。

 そういう「左翼的思考」に対峙したのがポパーで、彼の思想の根本は、われわれには未来はわからないということである。未来は開かれている。 
 「西側は何を信じているか」という論文(「よりよき世界を求めて」(未來社 1995年)所収で)、ポパーヘーゲルの大言壮語ということを言っている。左翼にはつねに大言壮語がつきまとって来たと思う。
 以下、ポパー
「われわれは批判によって学ぶことが出来る」 左翼は批判を受け入れなかった。
「正しいのは誰かというのではなく客観的真理への接近」 左翼は正しいのは自分だとした。
「予言者のポーズをとらないこと」 マルクスは予言者であった。
「真性の合理主義者は決して説き伏せようとしない」 左翼はつねに説き伏せようとした。
「論理学と数学という狭い分野以外にはいかなる証明もない」 左翼は自分達の「科学的社会主義」を証明されたものとした。「空想から科学へ」。
啓蒙主義宗教戦争の成果」 しかし左翼は新しい宗教戦争を用意した。
「カントの言ったこと。人にしてもらいたいとは思わないことを他人にするな」 左翼はつねに自分の思考を押し付けようとした。
「われわれは多種多様なことを信じている」 左翼は一つの真理があると信じた。
「自分は合理主義者であるより伝統をえらぶ。合理主義には限界があって伝統なしには合理主義は成立しない」 左翼は「伝統からはなれることなくては、自分の思想はなりたたない」とした。
クンデラがどこかで「文学が擁護しようとしているのは、ミニスカートを着る自由」だといっていた。

 この3冊を読んできて、「左翼」という言葉が「未来をつくる志向」ではなく、「過去の美しい記憶」になってしまっているように感じた。

 最後の最後になって佐藤氏がカトリックの本性?を急に露わにして、「左翼」を強引にカトリックの側に回収しようと試みているが、まだまだカトリックが現実に生きているヨーロッパならいざしらず、キリスト教を信じるひとが多くなく、いてもプロテスタントカトリックより多いという日本ではまったく現実性がない話だと思う。(2019年の統計では日本のキリスト教徒は192万人なのだそうだが、この中にはモルモン教ものみの塔統一教会もふくまれているのだそうである。ものみの塔統一教会はアクティブに活動していると思うが、カトリックプロテスタントは守りにはいっていて、教会を維持するのに汲々としているのが実態ではないかと思う。「統一教会キリスト教? ふざけるな、本当のキリスト教とはこういうものだ!」と乗り込んでいくという神父さんや牧師さんの話はあまりきいたことがない。

 時々、街頭で「神の・・・を聴きなさい」などとスピーカーでがなっている団体があるが、「聖書配布協力会」というプロテスタント系の団体らしい。これは本気の活動のように思う。かれらは今、現在のコロナ感染の拡大を「黙示録」と結びつけているらしい。黙示録はキリスト教のアキレス腱というか、ある点では宣教の武器というか、とにかく変てこなもので、これを教会でどう教えているのか見当もつかない。

 黙示録は「隣人を自分のように愛しなさい」などとかとは縁もゆかりもない、それとは多分正反対の「自分達信仰を持つ者に敵対する者」を、焼き尽くして滅ぼす話である。自分たちは信仰によりつつましい生活をしているのに、信仰ももたず快楽にふけっている奴らがいる。そんなやつらは滅びて地獄へいけ!という方向の話である(とわたくしは思う)。なにしろ、どうとでも解釈できる話なので、まったく別の解釈も当然ありうるであろう。上に記したのは、D・H・ロレンス福田恆存の解釈。「現代人は愛しうるか -アポカリプス論―」(D・H・ロレンス 福田恆存訳 (筑摩叢書 47 1965) 「黙示録論 」(ちくま学芸文庫  2004年)。

 とにかく宗教から穏健な上澄みだけ取り出すのは不可能で、生きた宗教である限り、その内部にもっとどろどろしたものを保持していかないと、根がかれてしまうと思う。

 佐藤氏の示唆する宗教はキレイキレイではなくもっとドロドロしたものをふくむのではないかと推察するけれども、例えば、格差をなくすというのでも、格差に苦しむひとの怨嗟をも汲み上げていくのでないと、単なる数字の問題に矮小化されてしまうのではないかと思う。
 政治というのは人の善意などというものはいとも簡単に踏みにじっていく運動なので、無邪気な善人が近づくと碌なことにならないと思う。佐藤氏は政治の表も裏も知り尽くした「悪人」であると思うので、政治の陥穽に簡単に足を掬われることはないだろうが、世の中はそんな悪人ばかりで出来ているわけではない。善人が政治にかかわると、多くの場合碌なことにならない。向坂逸郎氏など本当にいいひとだったのではないかと思う。

 わたしが本書を読んで思い出したのが林達夫氏の「共産主義的人間」「新しき幕明き」などであった。
とにかくわたくしは「政治」には近づきたくない。ほっておいてくれ、こっちに来るなというのが正直な気持ちである。

 それでは何でこんな本を読んだのかといえば、二十歳のころに「東大闘争」という、それが例え全くの子供の政治(ごっこ?)であったとしても、とにかく「政治」に遭遇したからである。今の自分はその上にできているという思いがある。
 ではあるが、定見がなく、見解があっちにいったりこっちにいったりで、困ったものである。

 ウクライナの戦争の後で西欧がふたたび「宗教」のほうに戻るのか、あるいは「啓蒙」に踏みとどまるのか、それは判らない。とにかく今度の戦争でわかったのは、宗教がロシアに保存?されていたということで、プーチン氏はロシア正教の歴史やトルストイドストエフスキーなどの文学にも通じた碩学のようである。

 ロシア文学がロシア以外で一番読まれているのは日本だそうである。プーチン氏は「大審問官」なのであろうか?

 竹内靖雄氏の「世界名作の経済倫理学」(PHP新書 1997)によれば、「共産主義ローマ・カトリックの世俗版である。前者は人間を羊に変えて救済し、後者はパンで救済しようとする」と。
 15世紀スペインのセヴィリアに再臨したキリストに大審問官は「人間が求めている救済とはパンをもらうことである」という。それにキリストは何も答えない。ただ、大審問官にキスをして去っていく・・。

 どうも佐藤氏は、時により大審問官に、時によりキリストになるような気がする。シニックになったりナイーブになったり・・。一方、池上氏は一貫してナイーブ。
 ナイーブな人間に政治に政治が可能なのか、それがわたくしには常に疑問なのだが・・。