L・ストレイチー「ヴィクトリア朝偉人伝」 

  みすず書房 2008年2月
  
 ストレイチーの「ヴィクトリア朝偉人伝」は、岩波文庫で「ナイチンゲール伝 他一篇」として全部で四人の伝記があるうちの二名の部分だけの訳がでていたうちの、ナイチンゲールのところだけ読んでいた。このたび中野康司氏の訳で全篇が出版されたので、全編を読んでみた。原題は「Eminent Victorians 」。Eminent という英語のニュアンスがわたくしにはよく解らないが、本書を読めば、これは偉人伝ではなく「ヴィクトリア朝奇人伝」である。「ヴィクトリア朝時代の有名人たち」とでもするほうが、よほど内容に沿っているように思う。
 ストレイチーが「序」で書いているように、四人の小伝を通じて、ヴィクトリア朝という時代の姿を現代人に示そうとしたものであるが、ストレイチーはヴィクトリア時代が嫌いなのであり、ヴィクトリア時代とはなんと嫌な時代であったのかということを示すために書かれたような本である。
 とりあげられるのは、ナイチンゲール、アーノルド博士、ゴードン将軍、マニング枢機卿の四人。ナイチンゲール以外では、ゴードン将軍のことを中西輝政氏の「大英帝国衰亡史」で読んだことがあるだけで、アーノルド博士とマニング枢機卿についてはまったく知らなかった。
 ナイチンゲールに興味をもったのは、関川夏央氏の「よい病院とは何か」と三好春樹氏の「介護覚え書」でともにナイチンゲールが絶賛されていたのを読んだからで、それでナイチンゲールの「看護覚え書」を読んでみた(三好氏の「介護覚え書」はもちろん、そのもじり)。とても面白かったのだが、それはそこには観念論がみじんもなく、きわめてリアルで精神論ぬきで具体的な看護技法が論じられていたからであった。関川氏も三好氏も精神論や理想論が好きで現実に足がついていない日本の看護界への批判としてナイチンゲールを持ち出してきたわけである。
 「看護覚え書」を読んだかたは誰でも感じると思うが、これは異様に換気にこだわった本である。看護とはほとんど空気の入れ替えのことであるとでもいいたいような本である。本書で書かれているようなクリミア戦争時代の野戦病院の実態をみれば、換気の必要性にこだわるのもよくわかるが、その時のたまたま有効であったことに徹底的にこだわって、世界中どこででも病院の窓はつねに開け放されているべきだと主張して、インドの医者の困惑を呼んだというエピソードが、本書で紹介されている。ストレイチーが書いているように、彼女は徹底的な経験主義者で、現実主義者で、有能な実務家であったので、自分が実地で経験したことしか信じなかったのである。
 本書で描かれたナイチンゲールは強烈な信条を持つ政治家であり、自分の理想の実現のためにあらゆる人間は自分に尽くすべきであることを露ほどもうたがっていない、おそるべき人格の持主であり、絶対にそばにいてほしくないタイプの人である。とはいってもナイチンゲールはとくに宗教的な人というわけではない。
 しかし、あとの3人は徹底的に宗教的な人なのである。スーダンでの戦死で国民的な英雄になったゴードン将軍も、エデンの園がどこにあったか、大洪水が引いたあとのノアの箱舟が最初にたどり着いたのがどこかを、エルサレムを徘徊しながら探しもとめるような人であったし、ラグビー校の改革によりイギリスの今日につながるパブリック・スクールをつくったアーノルド博士も、その背景は宗教的信条にあった。イギリス国教会からカトリックに転じたマニング枢機卿が宗教のひとであるのは当然である。
 本書を読んで感じるのは、キリスト教というものがなんといやなものなのだろうかということである。あるいはヴィクトリア朝時代のイギリスにあったようなキリスト教というのはなんといやなものなのだろうか、ということである。吉田健一が「ヨオロツパの世紀末」でいうヨーロッパ十九世紀の俗悪ということの実例が、ここにまさに実例として示されているように思う。
 吉田健一の種本はストレイチーとウッドハウスというのは篠田一士氏の説だったように思うが、ストレイチーもその一派であったブルームズベリー・グループというのがまさに反ヴィクトリア朝のグループであって、吉田氏の18世紀賛美というのもブルームズベリー由来なのではないかと何となく思っている。いつかブルームズベリー・グループについても、勉強してみたい。
 中野康司氏の訳は秀逸。
 

ヴィクトリア朝偉人伝

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