小谷野敦「里見紝伝「馬鹿正直」の人生」補遺(2)吉田健一

 
 小谷野氏からふたたびお返事をいただいた。http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20090310
 
 宮崎先生からお返事があった。私は、吉田健一がそれほど凄いとは思っていない。アマゾンで『酒宴・金沢』にレビューを書いておいた。
 吉田に限らず、「ヨーロッパ人」と日本人を対比させるような「比較文化論」は、1970年代に流行したが、今ではそれらはみな恣意的で、学問としてはダメだということになっている。ヨーロッパ人といったって、長い歴史があり、さまざまな国があり、階層がある。
 永遠とか魂とかいうことは、日本の恋にもあった。それはたとえば平安朝の和歌を見れば明らかであろう。「魂ぎる」「暗きより暗きに」「とわ」といった言葉は恋にまつわってしばしば登場する。徳川時代ですら、心中もの浄瑠璃では、後世で蓮の台で一緒になろう、と恋人たちは言う。それが徳川後期になると失われるというのが私の説である(『<男の恋>の文学史』)。
 岡田氏の本は読んでいないが、宮崎先生には張競さんの『情の文化史』や、これは図書館で借りてでいいが、川合康三『中国のアルバ』をお勧めしたい。なお、言語が文化を規定するという言語相対説は、チョムスキー革命以後、否定されつつある。そのことはたとえば『オオカミ少女はいなかった』や、ピンカー『言語を生み出す本能』などを読むと分かるだろう。
 
 以下返信。
 まず、吉田健一にいたる履歴をごく簡単に。
 中学くらいから岩波の赤帯を読んだりしていたが、そのきっかけは中1あたりで読んだ、「風とともに去りぬ」。少なくとも3回は読んだ。レット・バトラーが好きで好きで・・。高校では多分に漏れず、小林秀雄あたりを徘徊。
 大学に入り、教養学部のころは、吉行淳之介を中心に第三の新人を読んでいたが(江藤淳の「成熟と喪失 “母”の崩壊」の影響?)、医学部に進学して大学紛争の渦中にまきこまれ、吉行はオマモリにはならないとわかり、いろいろと本を読みあさる。その過程で福田恆存にいきあたり、打ちのめされる。紛争のころで、吉本隆明を教祖のようにしているひとも周囲に多く、それで「自立の思想的拠点」だったかを読んでいたときに、「味方の陣営にはろくなやつがいないが、敵にはまともなやつがいる」といって江藤淳福田恆存の名前をあげているにの遭遇。紀元節復活運動というばかなことをしている貧相なおじさんと思っていた福田恆存のことをなぜ褒めているのかと、おもしろ半分手に取った「人間・この劇的なるもの」や「芸術とはなにか」にぞっこんいかれてしまう。
 それで、福田の文学仲間、鉢の木会に集う、中村光夫大岡昇平三島由紀夫吉田健一神西清なども読む。神西氏のものはチェホフの翻訳を読んだくらいだが、あとの人のものはある程度は読んだ。段々、福田恆存から離れるようになり、結局、三島由紀夫吉田健一が残り、三島があんな死に方をしたので、吉田一本となった。(履歴終わり、以下手紙文)
 
 鉢の木会のひとたちは、西洋に教祖をもつひとが多いです。福田がD・H・ロレンスで、中村光夫フロベール大岡昇平スタンダール。三島はラディゲ? 吉田健一は誰かなと思うのですが、どうもヴァレリーではなくて、ブルームズベリー・グループなのではないかという気がしています。ケンブリッジでの指導教官のF・L・ルカスもグループの周辺にいたひとらしいですし。篠田一士さんが吉田健一のネタ本はリットン・ストレイチーといっていましたが、「ヴィクトリア朝偉人伝」(みすす書房 2008年)、「てのひらの肖像画」(みすず書房 1999年)などを読むと、かれらブルームズベリー・グループが嫌ったヴィクトリア朝道徳が吉田健一が嫌った19世紀と重なり、彼の18世紀ヨーロッパ賛美も、案外ブルームズベリーグループなど一部の当時のヨーロッパ知識人には常識だったことなのかなと思うようになりました。最初に「ヨオロツパの世紀末」を読んだときは、吉田健一の創見と思ってしまったのですが。
 吉田健一の論が学問でないというのはまったくおっしゃる通りで、あのひと、そのころの農民の生活などは一切顧慮していないわけですし、事実をみようという気もありません。図式の提示というか、見取り図の提示というか、われわれが明治期に受容した西欧は西洋の歴史のなかでは随分といびつな時期であったのであり、それを西欧の真の姿であったと思ってはいけない、本当のヨーロッパは違うところにあるということをいいたかったのだと思います。だから吉田健一も西欧近代の否定のひとで、モダンの否定のひとであったのであり、ポスト・モダンといえばポストモダンなのではないかというのが、わたくしのもつ偏見です。
 わたくしは吉田健一の生涯のテーマは、キリスト教的なものカトリック的なものの否定にあったのではないかと思っています。神の創造物であり魂をもつ万物の霊長、そういう見方を否定していき、人間をただの動物にかえしていくこと、それがテーマであったのではないかと思っています。晩年の「時間」など、一個の穏やかな生きものが静かに世界を見ている、そんな描写のように、わたくしには思われます。
 そうすると案外とピンカーなどともつながるところがあるのではないかという気もします。ピンカーとかデネット、あるいはその教祖のドーキンスなどの直接の敵は創造説派でしょうが、S・J・グールドなどとの対立は、グールド一派には、人間はただの動物であると言い切れない歯切れの悪さがあり、人間ってもう少し崇高なものでなのではないかというキリスト教の尻尾がどうしても見え隠れしてしまう点にあるのではないかと思っています。
 わたくしは、最近のドーキンス一神教批判には、どこか狂気に近いようなものを感じてしまうのですが(たとえば「神は妄想である」(早川書房 2007年))、つまり進化論をふくめた自然科学が新たな神となってしまっているように思えてしまうのですが、神は全知全能であるという主張の裏返しで自然科学は何でも説明できなければいけないという強迫観念観念にとらわれているように思えます。
 自然科学で説明できることなどはわれわれの生のごく一部にすぎないけれども、だからといってその残りを説明するのが宗教の役割というわけでもない。人知には限界があり、いつまでたってもわからないことはわからないが、それで別にたじろぐこともない、というのが吉田健一の考えであった、というと強引でしょうか?
 
 アマゾンの「金沢」のブックレビュー拝見しました。健一さんの文体パロディー楽しみました。本当になんであんな文体になってしまったのでしょうか? わたくしが一番好きな健一パロディーは福原麟太郎氏のもので(「吉田健一・人と作品」福原著作集 7 研究社 1969年)、「猫が誠実でないとは言へなく、犬が誠実であるといっても限度はありして」というもの。この「言へなく」「ありして」というあたりの変な日本語が吉田健一の文章の呼吸を実にうまくとらえていると思います。日本語としてかろうじてわかるが、英語にするとすっきりとわかる文章なのでしょう。
 わたくしは「金沢」は読めません。「酒宴」は大好きですが。長編では「瓦礫の中」と「絵空ごと」が好きです。
 小林秀雄と違って、吉田健一は骨董には興味がなかったのはないかと思うのですが。あのひと美食家ではなく、ただの大酒呑みの大食らいかなと思っています。わりあい初期の「満腹感」というエッセイが好きです。あのひと腹が減っていればなんでも旨い、という当たり前のことを言っていただけのひとのように思います。
 
『日本の恋にもあった。それはたとえば平安朝の和歌を見れば明らかであろう。「魂ぎる」「暗きより暗きに」「とわ」といった言葉は恋にまつわってしばしば登場する。徳川時代ですら、心中もの浄瑠璃では、後世で蓮の台で一緒になろう、と恋人たちは言う。それが徳川後期になると失われるというのが私の説である(『<男の恋>の文学史』)。』 
 
 わたくしはむりやり恋愛をキリスト教と結びつけたいみたいです。どうもそれは上記のような吉田健一観と関連しているようです。また考えてみます。
 
 『宮崎先生には張競さんの『情の文化史』や、これは図書館で借りてでいいが、川合康三『中国のアルバ』をお勧めしたい。なお、言語が文化を規定するという言語相対説は、チョムスキー革命以後、否定されつつある。そのことはたとえば『オオカミ少女はいなかった』や、ピンカー『言語を生み出す本能』などを読むと分かるだろう。』
 
 ありがとうございます。張競さんは名前は知っていますが、読んだことはありません。川合さんという方は名前もしりませんでした。『オオカミ少女はいなかった』は比較的最近読み、ここに感想をアップしましたhttp://d.hatena.ne.jp/jmiyaza/20081228。ピンカーは『言語を生みだす本能』『心の仕組み』『人間の本性を考える』を持っているのですが、読み通したのは『人間の本性を考える』だけで、それについての感想は、大分前ですが、かなり長い感想をやはりここにアップしています。http://d.hatena.ne.jp/jmiyaza/20060423 以下。
 わたくしが誤解しているのかもしれませんが、チョムスキーやピンカーがいっているのは、言語は文化に相対的なものではなく、脳の構造自体にそれを産む基盤が組み込まれているので人間に絶対的なものであるということで、文化が言語を規定することは否定していると思いますが、いったん生まれた各言語がそれぞれの文化を規定することまでは否定していないように思うのですが。ハイデガーの哲学など Sein 動詞のないところでは成立しないということはないでしょうか? 自信はないのですが。
 
 またまた長くなりました。筆を擱きます。