今日入手した本

松丸本舗主義 奇蹟の本屋、3年間の挑戦。

松丸本舗主義 奇蹟の本屋、3年間の挑戦。

 今わたくしには4ヶ所勤務先があり、その一つが東京駅の北口なので、オアゾのなかにある丸善・丸の内本店には時々よる。
 松丸本舗はその4階の一角に3年前に実験的に設置された松岡正剛氏プロジュースの本棚である。それが本年9月一杯で閉じられた。松岡氏はもっと継続したかったようであるが、諸般の事情で閉店となったらしい。
 通常の配架とはまったく異なり、あるテーマごとにさまざまな分野の本が集められるという凝った仕掛けで本棚が作られていた。わたくしは2階か3階で本を買って4階の喫茶でアイス・コーヒーなどを飲みながら買った本にパラパラと目を通すことが多く、松丸本舗にはあまり寄ることがなかったが(どうも敷居が高いというか、今までの本屋さんと違うものにしたいという意識が前面に出すぎていて「異空間」に迷い込んだような感じで落ち着けなかった)、先日、閉鎖ということをきいていってみて、「非情の海」を買ったのが、ここで本を買った最初で最後となった。確か福原義春氏の書斎の本の一部を再現したコーナーにあったような気がする。
 この本をパラパラとみても、昨今の出版社あるいは書店の台所事情というのは大変危機的なもののようで、この松丸本舗も危機打開のための一つの実験だったようであるが、大型書店の一角に書棚をつくるということで解決するほど危機は簡単なものではないということらしい。しかしこれは実験であるとともに遊びでもあったはずで、そうであるなら遊びが3年も続いたのは上首尾とも言えるのではないだろうか。
 それでちょっと思い出すのが、福田恆存吉田健一大岡昇平らによる雑誌「聲」で(これはどうしても「声」ではなく「聲」としたい)、これも確か丸善から出版されたはずである。10号ほどで潰れたはずであるが、それについて吉田健一がこんなことを書いている。「これは雑誌よりも本の性格を持つものであつて、・・一号、出来上る毎に何かが確実に一つなされたのであつて、号数を加へる度にそれだけ業績が積まれたことになるのである。それで創刊号一つで終つても意味があり、三号出れば文化史的な事件、十号になれば文学史に残ると、顔合せの時に司さん(当時の丸善の社長)に言つたのが、今度その十号が出ることになつた。」 「聲」からは福田の「私の国語教室」や吉田健一の「文学概論」が生まれた。
 この松丸本舗も3年続いたということは、それだけでも日本の書店の歴史に残るのではないだろうか?