小谷野敦「里見紝伝「馬鹿正直」の人生」補遺(1)「個人」という概念の輸入

 
 小谷野敦氏のブログで、わたくしのブログに言及していただいたため(http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20090216 http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20090217)、ここに来訪者される方が、普段の20倍から30倍くらいとなっている。いろいろ書いているのはやはり読んでもらいたいからで、とてもありがたい。長たらしい文章に最後までつきあってくださる方は多くはないかもしれないけれど。
 また小谷野氏から、「里見紝伝」への感想について、具体的な指摘もいただいた。どこに返事を書くべきか迷ったが、ある程度の長さの文になりそうなので、ここに記すことにした。
 
 「小説は「個人」概念とワンセットになったもので、「個人」という概念は明治以降、西欧から輸入されたものであると思っている」としたのに対して、
 
 氏は「「個人が西洋から輸入された」というのは間違いである。私は「恋愛輸入品説」をずっと批判してきているが、内面やら個人やらというものが日本になかったというのは間違いで、別に『蜻蛉日記』のようなものはあるし、むしろ徳川時代の知識階層が、儒教道徳に縛られていたために、内面を描くという作法を持たなかったからで、決して「輸入」されたわけではない」という指摘をされている。
 
 明治になって、日本人が本格的に西欧の文物と接触するようになると、そこに自分たちにはない何かがあるように思って驚いたことは確かだろうと思う。本当は日本にもすでにあったのだが、同じものとは見えなかっただけなのかもしれないが。
 西欧の不思議ということについてはいろいろな説明があるが、わたくしは吉田健一の信者なので、その「ヨオロツパの世紀末」での言葉を引用する。
 
 「一括して言つてしまふならば、ギリシャ、ロオマの文学には後ろめたさといふものがない。・・そして何かの形でこの暗さ、或は後ろめたさは日本の我々もがヨオロツパの文学と考へてゐるものに付き纏つてゐて、その文学の性格を掴むには次にこの暗さを取り上げなければならない。それは殆どヨオロツパの文学を定義するものである。
 ・・「神曲」の天国篇を満たしてゐる光はアルカディアの高原に差してゐたのと違つてゐて、もし古代がその後の時代に及ばないものがこの天国の光にあるならばそれは影である。・・
 人間が自分の内部を覗いてそこで行われてゐることに注意するといふのは永遠の責苦といふ種類の刺激があつて始めて人間が本気でそれをやることで、その結果は自分を見失ふに至ることに他らなず、・・かうしてヨオロツパ人は自分といふものをなくしたのである。・・
 ・・もしヨオロツパ人に自分はと聞いたならばその答へは少なくともかなり最近までは自分の魂といふことだつた筈で、さういふ魂といふやうなことになればそれが何かの形で永遠とか、不滅とか、無限とかいふことに結び付いてしまひにはその行方が知れなくなるが、その他にその魂の持主である自分といふ事情が生じてヨオロツパ人の精神を支配し、或はこれに或る特定の働きを与へることになつた。・・ヨオロツパ人の場合にはかうして自意識が生まれた。
 ・・神が現れたから古代の光が翳り、翳つた光が人間の内面に差して、古代の人間が探索し尽したと考へた人間の世界が奥行きを増した。」
 
 ここで吉田健一が言っている《永遠とか不滅とか無限とかいうことに結びついた魂とその所有者である自分(とそれがもたらす影)》というのは、明治期に西欧に接したひとにはとても新鮮なものにみえ、それが後々、「個人」という言葉でいわれるようになったと、わたくしは思っている。したがって「個人」というのは、わたくしには、西洋からの輸入品と思える。
 ヨーロッパで小説という形式が隆盛したのは、「個人」それぞれが、かけがえのない価値を持つと信じられたことによるのだと思う。クンデラが「個人の尊重、個人の独自な思想と侵すことのできない私的生活の権利の尊重、このヨーロッパ精神の貴重な本質は、私には金庫ともいうべき小説の歴史のなかに、小説の知恵のなかに預けられているように思われる」(「小説の精神」 法政大学出版局 1990年)というのは鼻持ちならない自文化中心主義かもしれないが、中国にはほとんど恋愛文学が育たなかったのを考えると、やはり何事かを言っていると思う。
 岡田英弘氏は、中国に恋愛は存在しないとして(「この厄介な国、中国」 ワック 2001年)、その理由は、儒教の伝統もあるが、中国語(漢文)が情緒表現にむかないことを挙げている。岡田氏は「源氏物語」を、中国とは対照的な国である日本の恋愛文学としている。日本には昔から恋愛があったするわけである。日本にも古来、恋はあった。しかし、明治期に入って、そこに「永遠とか不滅とか無限とかいうことに結びついた魂とその所有者である自分」が結びついて、「恋愛」というものができあがったのではないだろうか? 「恋愛」という言葉は、妙に魂とか永遠とか不滅という言葉を呼び出しやすい。
 ギリシャにもローマにも恋はあったように、日本にも恋はあった。しかし、そこには影はなく後ろめたさもなかった。明治になって恋愛がはじまると、恋はとても深い影のあるものになっていった。
 
 《「個人」という概念が輸入された》と書いたときに、吉田健一のヨーロッパ理解が頭のかたすみにあったことは確かなように思う。