L・ストレイチー「てのひらの肖像画」

  みすず書房 1999年
  
 最近、ステレイチーの「ヴィクトリア朝偉人伝」が、中野康司氏の訳で上梓されたのを読み大変面白かったが、その本の後の方にあるみすず書房の書籍の宣伝の中に、この「てのひらの肖像画」が同じく中野氏の訳としてでていた。もう10年近く前に出版されたものであるのに知らないでいた。
 20人ほどの人間についての一筆書きの肖像である。
 ほとんどはわたくしはきいたこともなかった人であるが、ボズウェルの名前は「ジョンソン博士伝」の作者として知っていた。モルレ神父という名前は吉田健一のヨーロッパ論のどこかにでてきたような気がする。メアリー・ベリーの章はホラス・ウォルポールの章でもあり、ホラス・ウォルポールは、吉田健一の「ヨオロツパの人間」で「ホレス・ワルポオル」として一章があてられている。最後の「六人の英国史家」のうち、ヒュームとギボンとカーライルの名はさすがに知ってはいた。
 そこでストレイチーはギボンを憧憬し、カーライルを嫌っていることは明白なのであるが、訳者の中野氏もいうように、それは「遥かなる十八世紀を愛し、足元のヴィクトリア朝を憎むストレイチーの基本姿勢」に由来する。
 最近読んだQ・ベルの「ブルームズベリー・グループ」(みすず書房 1972年)でも、訳者の出渕氏は「ブルームズベリー・グループが20世紀に入ってからの18世紀文化と文学の再評価に貢献した」と述べ、ストレイチーやウルフ、フォースターといったひとたちが、それぞれのやり方で「18世紀という「文明」の時代に愛着と郷愁を感じていた」と述べている。
 吉田健一が「ヨーロッパの世紀末」で打ち出した《18世紀の優雅と19世紀の野蛮、18世紀の優雅の回復としての世紀末文学》という図式は、世紀末文学が18世紀への回帰であるという視点こそ氏の独創であるのかもしれないが、18世紀が文明の時代であり、それに対して19世紀はヴィクトリア朝的な野暮で野蛮なブルジョア支配の時代であるという構図は、ヨーロッパの一部にとってはすでに自明のものであるということなのであろう。吉田健一の「交遊録」にでてくるF・L・ルカスはケンブリッジでの吉田氏の指導者であるが、ブルームズベリー・グループの周辺にいた人らしい。吉田氏はケンブリッジのキングス・カレッジで学んだのであるし、ブルームズベリー・グループケンブリッジのグループなのであるから、吉田氏はその学統を受け継いだのだということになるのであろう。
 18世紀が貴族の時代、19世紀がブルジョアの時代、20世紀は大衆の時代などというのはあまりに安易な一般化であるが、20世紀を支配したマルクス主義は19世紀というブルジョアの時代に生まれた思想であることは、吉田健一のいう19世紀の野蛮の典型が20世紀を支配したということになるのかもしれない。
 渡部昇一氏の「不確実性時代の哲学」(「新常識主義のすすめ」(文芸春秋1979年)はヒュームの思想とハイエクあるいはそれに連なるシカゴ学派の関連を論じたものであるが、そこでヒュームの思想の中心にあるものは「不可知論」であり「人知の限界」であるとしている。それに対立する見解ものとしてハイエクがあげるのが、「構成的主知主義」である。それは人間の知性によって社会体制を思いのままに作ることができるという人知に対する全面的な信頼に基づいている思考である。ヒュームも理性の力の極北を示した人でありまさに合理主義の人であったのだが、それにもかかわらず構成的主知主義のような合理主義は否定したのだ、というのが渡部氏の論である。渡部氏によればケインズもまた構成的主知主義の系列に属する人である。ケインズもまた、ブルームズベリー・グループのひとりだったわけだから、ブルームズベリー・グループがみなヒュームの伝統に連なるわけではないのであろうが(ベルもいっているように、ブルームズベリー・グループはなんらかの思想の旗印のもとにあつまったわけではないのだから、それは当然なのであるが)、ケインズは選良による指導という貴族主義的発想をとった点ではやはり18世紀的であったのかもしれない。
 構成的主知主義の問題はいまでも連綿として続いているわけで、わたくしのいる医療の世界でも、制度を工夫すれば医療におけるミスはなくせるはずであるという思考が多くの問題を生んできているし、日本に伝統的なオカミがなんとかしてくれるはずという発想も、変形した構成的主知主義であるような気がする。
 シカゴ学派が、ヒュームに連なるのだとすると、市場原理主義とかグローバリズムなどというのもまたヒュームに由来することになるのだろうかという疑問が生じる。およそすべての原理主義などというものにヒュームは無縁であったように思うし、渡部氏にいわせれば、ヒュームはグローバリズム信奉者であるどころか、「国体」論者であるそうであるのだが。
 人知の限界という考えからすると、人間の能力で決定できることには限界があるので、市場にまかせたほうがましな回答がでることが多いというだけが市場の意味なのだと思うのだが、市場が決めることがつねに最善の回答であるなど信じるひとがいれば、それもまた構成的主知主義の一形態となってしまうのではないかと思う。市場がつねに正しいことは、知性が証明したという方向にいきかねないから。
 ベルの本にも書かれているが、ブルームズベリー・グループはつねに多くのひとの敵意と不信と嫌悪の対象となってきたらしい。ケンブリッジで学んだ結構な身分の知的エリートによる高踏的な現実と遊離した議論であり、共産革命の暁にはみな縛り首になるというような目でみられていたのであろうか。
 ブルームズベリー・グループの多くが影響を受けたというムアの哲学というのは、今日からみるともう箸にも棒にもかからないような代物としか思えないが(清水幾太郎倫理学ノート」(岩波書店 1972年)による)、そういうものにケインズをふくめてこのグループが心酔したということに、その当時のイギリスでのヴィクトリア朝道徳のもっていた重さが感じられる。
 「倫理学ノート」は、ブルームズベリー・グループに抱いたD・H・ロレンスの嫌悪感の紹介から本がはじまっている。このエピソードはベルの「ブルームズベリー・グループ」でも大きな論題となっている。D・H・ロレンスとブルームズベリー・グループくらい水と油の関係にあるものはあまりないように思うが、それにもかかわらず、19世紀的俗物的なものへの嫌悪という点では共通していることになる。どのような方向から19世紀的なものを克服するかという戦略が両者で正反対なわけである。
 だから、ブルームズベリー・グループの論が深化して、閉鎖的な高い塔にいる人の議論でなくなるためには第一次世界大戦の洗礼をうけることが必要であったのであろう。そして吉田健一の場合は第二次世界大戦の経験が必要だったのであろう。
 この「てのひらの肖像画」を読んでいて、吉田健一の本のどこかで読んだ気がするエピソードがいくつもでてきた。吉田健一の種本はストレイチーという篠田一士氏の言が理解できるようになった。吉田氏の本を読み始めて30年以上もたってから、ようやく氏の位置というのがおぼろげにみえてきたような気がする。随分と鈍感な話であるが・・。
 

てのひらの肖像画

てのひらの肖像画

ブルームズベリー・グループ

ブルームズベリー・グループ