P・F・ドラッカー「ドラッカー わが軌跡」(1)

   ダイヤモンド社 2006年1月
   
 ドラッカーという名前は随分と前から知ってはいたのだが、なにしろ経営学者という肩書きのひととして認識していたので、てっきり大前研一竹村健一を足して二で割ったようなひと、金儲けのハウツーを書いているひとだろうと思い込んでいた。会社トップの座右の書とかいう特集に、山岡壮八「徳川家康」、司馬遼太郎坂の上の雲」などというにとならなんで時々、ドラッカーの本の名前をあげている人がいて、そういう本は敬遠と思っていた。
 今回、ドラッカーの本を読んでみようかと思ったのは、最近刊行されはじめた「日経BPクラシックス」シリーズのフリードマンの「資本主義と自由」に挟み込まれていた「創刊記念座談会」の山岡洋一、竹森俊平、野中郁次郎の鼎談に、ドラッカーのことが論じられていて(「資本主義と自由」と同時にドラッカーの「マネイジメント」が刊行されているので、そのためでもあろうが)、面白そうに思ったこと、どこかで糸井重里ドラッカーを面白いといっているのをみて、アレッと思ったこと、などによる。それで鼎談でドラッカーでは一番面白いとされていた「わが軌跡」を読んで見た。不明を愧じる。やはり食わず嫌いはいけない。最近こんな面白い本を読んだことがない。むしろ面白すぎるのがちっとあやしいなと思うくらいである。別に稿をあらためてとりあげるときに詳しく論じたいと思うのだが、この本を読んでいて思い出した栗本慎一郎氏の「ブダペスト物語」をとりだして見てみたら、少なくとも本書のポランニー一家の記載はよく言えば間違いだらけ、悪く言えば嘘八百なのだそうである。
 例によって買っただけで読んではいなかった栗本氏の本を思い出したのは、もちろんこのドラッカーの本にポランニー一家のことがとりあげられており、日本におけるポランニー紹介者の一人である栗本氏の若き日の著作を思い出したということもあるのだが、ドラッカーは1909年ウイーンの生まれであり、8歳のときにフロイトに会ったという思い出が第4章になっていることからもわかるように、栄光時代のオーストリア=ハンガリー帝国に生まれたという出自をもつ人であることを知ったからでもある。
 このころのウイーンやブダペストといった都市がなぜかくもたくさんの才能を一度に産んだのかというのは誰にも解けない謎なのであろうが、よくも悪くもヨーロッパ精神のエッセンスとでもいうべきものがそこで濃縮されて開花したことは間違いないであろう。
 しかし「昨日の世界」のツヴァイクのように、第一次世界大戦前の「戦争とか革命とか転覆とかがあろうとは何びとも信じない、過激なもの、暴力的なものはすべて、理性の時代においては、すでにありうべからざることのように思われていた「安定の世界」の世紀末ウイーン」を懐かしみ、ナチズムが席捲する第二次世界大戦の時代に絶望して自死したひととは対照的に、ドラッカーは早くからウイーンから出ようと思っていたのだという。そのころのウイーンでは、「戦前」(つまり第一次世界大戦以前)への郷愁と執着がすべてを覆っており、それは息をつまらせるような毒気であり、その戦前への執着がナチズムを生んだとして、その瘴気から逃れようとしたというのである。
 ヨーロッパの精髄を知っているという自負と、だからといってそれへの郷愁から後ろ向きにはなることはしないという前向きなところがドラッカーには混在しており、それがアメリカで経営学者として大成したにもかかわらず、資本主義や市場経済一辺倒にはならず、アメリカの中にいてもアメリカ主流とはある距離をおくという、微妙なバランス感覚となってあらわれているように思う。
 本書の原題は「Adventures of A Bystander 」である。ドラッカーは自分を Bystander と規定している。もともとは「傍観者の時代」という題で翻訳されていたものの新訳が本書であるらしい(最近、またまた「傍観者の時代」という題でも刊行された)。しかし原題通りなら「傍観者の冒険譚」、あるいは「見者の冒険」である。ドラッカーというひとはとにかく処方箋を書かないひとで、自分にはこう見える、こう思えるということを指摘するだけである。
 そういうひとは冒険など決してしないわけであるし、Adventures というのは多分に皮肉も入っているのかもしれないが、いわば現代という軽挙妄動の時代にただじっと観察をしているひと、それにもかかわらず昔はよかったには陥らずに、時代の変化にきわめて敏感なアンテナをもっているひとという立ち位置が、かえって現代では「冒険譚」となるということでもあるかもしれない。
 プロローグにはこうある。「観察者は何も変えない。しかし(中略)違う見方で見る。観察する。そして解釈する。」 それを自覚したのは13歳の時、ウイーンの労働者の行進の中にいて、「ここは自分のいる場所ではない」と思ったときなのだという。観察者は「人と違う見方をすることが宿命」なのだという。わたくしもいつもどこにいても「ここは自分のいる場所ではない」と思って過ごしてきたように思うし、いろいろなことについて、わざと人と違う見方をしようとは思わないけれども、他人の見方をそのまま受け入れるのはいやだな、自分としての見方を持ちたいな、と思ってきた。そういうわけで本書は大変面白かったし、本書以外にも、これからドラッカーの本をいくつか読んでいきたいと思っている。
 

ドラッカー わが軌跡

ドラッカー わが軌跡