糸井重里編集構成「吉本隆明の声と言葉。その講演を立ち聞きする74分」

  東京糸井重里事務所 2008年7月
 
 糸井重里氏と氏が主宰する「ほぼ日刊イトイ新聞」が、吉本隆明氏の膨大な講演の音源をCD化して発売した(「吉本隆明 五十度の講演」。170回分くらい残されている講演の音源から50回を選んでCDにしたもので、CDが100枚を優に超える大変なヴォリュームのものである。価格も5万円と、なかなかのものとなっている。
 興味深いのは、このCD集に収載された講演をいづれは無料でダウンロードできるようにしていく方針であることが明記されていることで、現在5万円のものがいづれ無料で入手できるとわかっている場合、それを購入するひとがどのくらいいるかというのは、インターネットという媒体のもつ可能性についての、また書物という古くからの形態、CDというやや新しい形態がそれぞれもつメリットとデメリットについての、意味ある実験であると思う。
 本書(本CD?)は、そのCD集「五十度の講演」のエッセンスというか、講演の録音の中から長短さまざまの部分を切り出したものを、1枚のCDに収め、それに糸井氏が解説というか、なぜ自分がこの部分を選んだかというコメントをつけたものである。
 吉本氏は(少なくとも若いころの吉本氏は)、文章を書く人として卓越した煽動家であったと思うが、ここで聴く吉本氏は訥々としゃべるシャイなおじさんという印象で、しゃべるひととしては、アジテーターにはなれそうもない。本当は人前でしゃべるのなんかいやだなあと思っているが、しゃべる以上はちゃんとしたことを話さなければと思っている真面目なひと、そういう印象である。(ちなみに、わたくしの印象に残っている天才的アジテーターは羽仁五郎氏で、大学入学時の自治会主催の歓迎会での講演は何の話しだったかはまったく覚えていないが、そのアジテートの技術だけは強烈に覚えている。)
 吉本氏は1924年生まれ。わたくしは1947年生まれだから、20歳以上の年の差がある。吉本氏が活躍?した60年安保のときには、わたくしは中学1年であった。(その影響で、マルクスの本をほんの少し読んだ。マルクスの本を読んだのは、後にも先にも、そのときしかない。)
 わたくしの世代の人間の多くがそうなのかもしれないが、わたくしが吉本氏の本に接するようになったのはいわゆる全共闘運動の前後、1968年前後である。その当時、吉本氏は反日共系の人たちの間でのスターであった。それでわたくしもなんとなく読まないと時代に遅れるような気がきして、読んでみたと記憶している。読んで人生が変わった、というのは大袈裟であるが、決定的な影響をうけた。吉本氏に傾倒するようになったということではない。すでにこのブログで何回か書いたことだが、氏の「自立の思想的拠点」の中にあった一文で福田恆存を読むことになり、それがわたくしの読書の傾向を根底から変えてしまったのである。
 氏は、そこで「味方(すなわち左側)にはろくな人間がいないが、敵陣営(すなわち右)にはまともなひとがいる」というようなことを書いていた。その具体的な名前としては、江藤淳福田恆存を挙げていた。それで福田恆存を読んでみようかと思ったのである。わたくしが大学2年のころではなかったと思う。
 江藤氏の本は少しは読んでいたが、福田氏は紀元節復活運動という馬鹿なことをしている貧相なおじさんという印象しかなかったので、なんで吉本氏があんな馬鹿なことをしている人間をほめているのだろうと不思議に思い、それで読んでみることにした。当時新潮社から全6冊の評論集がでていて、どの順序で読んだかはもう覚えていないが、読んでみた。徹底的に打ちのめされた。こんなに優れた思想家がいたのかと思った。江藤淳を読んでもピンとこず、小林秀雄なども読んでも、なにを言っているのかさっぱりわからなかったが、福田氏の書いていることは一々よくわかるのである。なんだか自分のために書いてくれているのではないか、そう思えるくらいであった。
 だいぶ冷静に振り返ることができるようになった今、なぜあんなに福田氏に惹かれたのだろうと考えてみると、たとえば以下のようなところに惹かれたのである。
 長文のチェーホフ論の一部を抜粋する。

 「俗衆はなんでも知り、なんでもわかつてゐるとおもひこんでゐる。ばかなほど視野が広い気なのです。俗衆から信頼されてゐる芸術家が、自分の眼にうつるものでなにひとつわかるものはないといひきる勇気をもつたとすれば、それこそ思想にとつての一大収穫、一大進歩といふべきでありませう。」(スヴォーリンあてのチェーホフの手紙から)・・
 
 チェーホフが「この世のことはなにもわからない」といふとき、それは歴史を合理化する唯物史観といふ新しい武器の存在を知らなかつたからではなく、知つてゐてもそれを用ゐたくなかつたからにほかならない。・・
 かれが唯物史観といふ武器を採りあげようとしなかつたのは、ほかでもない、それが武器であるといふ、たゞその一言のためではなかつたか。チェーホフはひとを裁きたくなかつたのだ。ひとを罰したり、傷つけたりすることがいやだつたのだ。なぜか―「なにもわからない」から。・・クリスト教の道徳すら、かれにはこれを他人のうへにかざすべく、やはり過酷にすぎるものと映じた。・・ロマンティックなもの、メタフィジカルなもの、センチメンタルなものを、なぜチェーホフは憎んだか。理由はかんたんだ。これら三つのものに共通する根本的な性格―それは他人の存在を忘れることであり、他人の注意を自分にひきつけることである。・・
 
 これでチェーホフが敵としてゐたものの正体が明らかになつた―自己完成、良心、クリスト教道徳、そしてその背後にひそむ選民意識と自我意識。・・なんぢの敵を愛せよ、なんぢの徳を完成するために―ひとたびこの矛盾に気づくや、チェーホフの心は執拗にその矛盾を固執した。・・
 
 「烈しい不安がつのるたびに、その一切の秘密は飢民のうちにはなく、自分がかくあるべき人間でないといふ意識にあるのだと、密かにおもひあたつたこともいくたびかしれなかつた。」
 
 「こんな小説を書いてみたらいゝ―いままで小さな店の手代なり、唱歌隊の歌手なり、中学生なり、大学生なりでゐて、官尊民卑の風習をたゝきこまれ、坊主の手はなめるものだと教へこまれ、他人の説には平身低頭せよといひきかされ、パンの一片一片をありがたがり、散々に鞭をくらひ、オーヴァシューズもなしで家庭教師をして歩き、つかみあひをし、動物を虐待し、金持の親類のおよばれが大好きで、自分の無価値を意識すればこそ神のまへやひとまへで要りもせぬ君子づらをとりつくろい―まあさういつたふうな農奴の倅であるひとりの青年が、自分の体内から一滴一滴と奴隷根性を搾りすてていつて、ある朝ふと眼がさめたら自分の血管にはもう奴隷の血はなく、脈うつて流れてゐるのはほんたうの人間の血だと感じる、こんな小説を書くがいゝのです。」(スヴォーリンあての手紙)

 もはやかれは自己完成の鞭をおそれてうろうろ逃げまはる必要はない。「空家」に引越してきたのは、「地下室の住人」ではなく、教養ある自由人の観念である。他人に号令を下し、歴史の進行をつかさどる主役や天才ではなく、「社会では端役を演じてゐる」個々の少数の人間が、めいめいの努力によつて獲得する一種の「無執着」の精神・・。

 原罪の悪を仮説としなければ偉大を栄誉を獲得しえないヒューマニズムとはなにものであるか。稚児のごとき無我の純粋な人間が天才や偉人や賢者よりも尊ばれぬ世界、あまつさへ嘲笑と軽侮とにあまんじなければならぬ世界、それが存在するかぎり、芸術も科学もよくなりはしない。さういう世界が存続するかぎり純粋な魂は孤独のうちにじつと「たへしのぶ」ことよりほかに道はないのだ。・・純粋な人間がその美徳であるべきはずの「無執着」に安住できず、不安のあまり「しごと」へ駆りたてられずにはゐられないやうな世界は、もうまちがいなく歪んでゐるのだ。

  
 今の若い方には想像もできないだろうが、わたくしが大学生のころは学生運動をしていなければひとに(学生に?)あらずとでもいった風潮があった。そのころの医学部の問題であったインターン制度、無給医局員制度も、米帝国主義と結託した日本政府がその帝国主義的侵略を貫徹するために人民から収奪するその一貫として若い医師からも収奪をおこなっている、それがインターン制度や無給医局員制度の根底にあるものである。したがってその制度を倒すことは、日本政府ひいては米帝国主義に打撃をあたえることになるという論理になっていた(ここまで粗雑ではないにしても)。当時の医学部長や病院長は米帝の意をうけた文部省や厚生省の手先の悪の権化であるということになっていた。
 とにかくあらゆることが政治の言葉で語られていた。それにもかわらず、自分のために言葉は語られているのではないか? ひとびとをよくするためではなく、自分がよい人であることを示すために語られているのではないか? 自分はよき人であり、自分のまわりにいる「よき人ではない人」を、非難し、面罵し、圧倒し、支配する権利があることを証明するために、言葉は動員され使われているのではないか? 徹頭徹尾、関心があるのは自分のことだけなのではないのか? 言葉が他人を支配する武器として用いられているのではないか? 人を罰するため、裁くためにだけ使われているのではないか?
 そういったことをなんとなく感じていたが、うまく言葉にできないでいた。それが福田氏の本を読んで、自分が考えていたことがわかったような気がした。
 なぜその人たちに他人を罵倒したりする権利が生じるのかといえば、それはそのひとたちが世界の真実を、世界を動かしている原理や根源的な仕組みを理解していると思っていたからである。そしてその原理というのがマルクス主義であるとされていた。
 世界の原理としてのマルクス主義が正しいのか間違っているかは、当時大学1・2年生のわたくしには判断できなかったが、それがかりに正しいとしても、それを他人を支配する武器として用いるのは誤っているのだとする福田氏の言葉は衝撃であった。
 このCDにおさめられた親鸞についての講演(27)で吉本氏がいっている「いいことをしているときは、だいたい悪いことをしていると思ったらちょうどいいんだよ」というのが、それに通じる言葉なのだと思う。
 小林秀雄についての講演(11)で、「僕はだんだん、自分は戦争中なにがダメだったのかを考えるようになりました。それは結局「世界をどういうふうにつかむか」の方法をなにも知らずに、それについての学問を全然知らないですませてきたということでした。これは、自分らの反省点といいましょうか、考えるところでありました」と言っている。おそらくある時期の吉本氏にとっての世界をつかむ方法というのはマルクスの思想であったのだろうと思う。それを自分はしっかりとつかんだと思ったので、マルクスの思想とは何の関係もないとして、日共系の思想家や文学者を徹底的に切りまくることができたのだと思う。しかし、どこかで氏はマルクスを捨て、もっと根源的な方へと遡っていったのだろうと思う。本書の巻頭の糸井氏との対談で紹介されている吉本氏の「人類史ですばらしい功績のあった人間を上から勘定すると、だいたい紀元前まででほとんどしめちゃうんだ」というのはそこに通じるのではないかと思う。
 全共闘運動に参加した人たちは、何しろ自分たちは日共を敵としているのだから、自分たちがしていることは吉本氏にほめられるだろうと信じていて、吉本氏がその運動をいささかも評価していないことを知って、ずいぶんと面喰らい落胆したひとが多かったのではないかと思う。吉本氏の思考がつねに動いていることを理解できないひとが多かったのである。しかし、吉本氏の「世界をどのようにつかむか」という探究の方向はその後も一貫して続いているのだと思う。
 「世界をどのように把握するかについて原理」をわれわれは知ることができるかについては、それが可能であるという立場と不可能であるという立場の二つがあると思う。不可能であるという立場もさらに二つにわかれて、そのようなものは存在しないという立場と、存在しているがわれわれは知ることができないという立場にわかれる。
 吉本氏は「世界をどのようにつかむかの原理」を知ることができるという立場であるように思う。わたくしは、そのようなことは知ることができないという立場であると自分では思っているので、その点で吉本氏と異なる場所にいる人間だと思っている。わたくしは若いときは、世界の仕組みを知っている誰かがいるのではないかと思っていて、いつからかそういう者はいないと思うようになった。それも、はじめは「原理」は存在しているがわれわれは知ることができないという立場で、さらにあとになって、「原理」そのものが存在しないと思うようになった。
 わたくしは20歳ごろに福田恆存にいかれ、そのため福田氏が所属した「鉢の木会」のメンバーであった中村光夫大岡昇平三島由紀夫吉田健一なども読むようになり、最終的には吉田健一を神輿にすることに決めた。かれらは(大岡氏をのぞけば?)右の人であり、そんなこともあって、吉本氏が次々に本を出しているのは知っていたが、「自立・・」での福田恆存との出会い以降は、氏の本はずっとよまないままでいた。
 ひとつには、本のタイトルが大仰であると思ったことがある。「心的現象論」とか「言語にとって美とは何か」など、とにかく目一杯はったりをかけているような印象の題名で手にとる気がしなかった。吉田氏から「・・的」などというのは日本語でないとか、福田氏からだったか?「・・にとって・・とは何か」などというタイトルは日本語ではないと教えられたりしたこともあったかも知れないし、小林秀雄の「美しい花がある。花の美しさはない」などに引きずられていたのかもしれない。ただどこかで氏が、文筆で食べていけなくなれば商店の広告の文でもなんでも引き受けて生きていくつもりといっているのを読んで、信用できるひとだなと思った記憶はある。
 ふたたび読みだしたのは、「夏目漱石を読む」「ひきこもれ」「「ならずもの国家」異論」「超恋愛論」といったあたりの本で、2000年以降である。ひとりのものを考えることをしているひとがいて、そのひとと対話するといった感じである。誰かが全共闘世代を、吉本隆明ファンクラブとかいっていたが、わたくしは別にファンでもないし、教祖だと思っているわけでもない。ずっと考えることをしてきた、そのことが刻まれたとてもいい顔をしたひとりの初老のひとがいるので、その話をきいてみるというような感じだろうか? 小林秀雄が晩年に「考へるヒント」という、ある意味でもなんとも素っ気ないタイトルで文章を書いていた(「タイトルは編集者の案らしいが)。たぶんこの講演も考えるヒントに充ちみちているはずで、知的巨人のいうことを拳拳服膺して拝聴するなどというのではなくて、人生の先輩のいうことを聞いて、自分も考えることをすればいいのである。そういえば、晩年の小林秀雄も実にいい顔をしていた。
 このCDの巻頭にはいくつかの漱石を論じた講演が収められている。最近、このブログで漱石の小説をいくつかのとりあげたので、そのとき「夏目漱石を読む」も読み返した。もともと「夏目漱石を読む」は講演を活字化したものである。このCDと本を比べてみると、やはり本という媒体はすぐれた形態だなと思う。
 本を読んでいるときは講演を活字化したものであっても、自分は著者と一対一で対話をしている。しかしCD化した講演をきくと、吉本氏は聴衆に語りかけているのであって、自分にむかってだけ語っているのではない。
 それに本はいつでも立ち止まり、前を見返すことができる。CDを聴いていてもそれはできない。根っからの活字人間であるわたくしには、やはり書籍になっているものもののほうに親しみを感じる。
 しかし漱石の「私の個人主義」などというのも、われわれがそれを知ることができるのも活字になって残っているからである。そうでなければ講演をきいたほんの数百のひとに話が伝達されて、それで終わりである。最近では、活字にしなくても、こういうCDという形で配布できるようになったのは時代の進歩である。
 それで、この音源をテキスト化するひとがでてこないかななどという虫のいいことを考える。そしてさらに、テキスト化したものを、簡単な本の形にできるようにしてくれるひとが誰かないかななどとも考える。本のページの割り付けのかたちにテキストを整形してくれるソフトというのがどこかにないものであろうか? あれば自分で印刷して簡単な製本をして自分だけの本をつくることができるのだが。
 さてそれで「五十度の講演」を買ったものだろうか? 「夏目漱石を読む」はとても面白かったので、五十回の講演のうちにいくつか面白いものがあれば、もとはとれるようにも思う。もし入手するのであれば、お金を払うのが、これだけのことをした方々への敬意の表明であると思うが、入手してもあまり聴かないようにも思うので、迷っている。
 本というのはパラパラ読むということができる。パラパラ読んでも大体どんなことが書いてあるかはわかる。CDというのはパラパラ聴くということができないのが困る。最後まできいてつまらなかったなどということもありえる。何かしながら、バックグラウンド講演として聴くというやりかたもあるかもしれないが、それは失礼な聴き方だろうか? iPodは持っているのだが、はてどうしたものだろうか?
 

吉本隆明の声と言葉。〜その講演を立ち聞きする74分〜 (Hobonichi books)

吉本隆明の声と言葉。〜その講演を立ち聞きする74分〜 (Hobonichi books)