高田和明「健康神話にだまされるな」

  角川oneテーマ21 2008年6月
  
 この前とりあげた岡田正彦氏の「がん検診の大罪」が、現在の医療には有効なものはほとんどない。だから日常生活の注意によって健康を増進しようというものであったのに対し、本書は日常生活の注意で健康にいいといわれていることも、必ずしもそうとはいえないということをいったものである。
 高田氏は、医学ではデータをどのように見るかということが人によって異なる。人はどうしても自分の専門分野の重要性を強調する。それが体全体の健康に結びつくとは限らない、という。このあたり、岡田氏とも共通するスタンスである。しかし、ことなるのは岡田氏がかなり極端に走るのに対して、無理をしない、極端を排するということが重要であるとすることである。中庸のすすめなのである。そして、最終的にどうするかを決めるのは、自分の内にからくる本能の指示なのである、とする。以下、内容をみていく。
 まず最初は統計の話からはじまる。岡田氏と同様である。氏はコレステロールを例にとって話をすすめる。動脈硬化をおこした血管を調べるとそこにはコレステロールが沈着している。とすれば理論上、コレステロールを下げることは動脈硬化の予防にいいはずである。しかし一方、コレステロールが高いひとは癌や肺炎になりにくいこともわかってきた。そこでコレステロールについても二派ができる。それにもかかわらず、「コレステロールを下げよ!」派が優勢であるのは、減らしたときの危険と、増えたときの危険では、増えたときの危険の方が大きいと思われているからであると高田氏はいう。
 どのくらい増えると危ないかは決めやすいが、どこまで減らすと危ないかは決めにくい。それは自己責任で決めるしかない、という。食塩摂取を制限すると高血圧に由来する病気は減る。心筋梗塞などが減る。しかし血圧を下げすぎると死亡率はかえって高まり、癌の発症率も増える。
 ではあまり塩分制限をしないほうがいいとか、コレステロールも下げすぎないほうがいいと言えるか? それを言うとみな制限をしなくなる、そのことを恐れて行政は言えないのだ、言って生活習慣病が増えると困るから言えないのだと、高田氏はいう。
 医学が示すデータは統計、確率によるのであるから、すべての人にいい健康法などありえないと氏はいう。70%の人に有効ということは30%の人には無効ということである。氏はまた生活を苦しくし、楽しみをなくすような健康法は間違っているという。無理して食べたいものを我慢すれば、ストレスで血圧があがり、血糖もあがるという。(ここではいわれないが、食べたいものを我慢しなければ、体重が増え、やはり血圧も血糖もあがるわけだが) すべてのことには長所と短所があるという。また検査データを気にしすぎるなという。
 癌で死ぬのは、年あたり日本では10万人あたり250人くらいである。最近太ると大腸癌になる率が高まるというデータが発表された。しかし、それは身長170cmのひとが体重72kgから87kgまで増えたらという話なのであって、80kgまでなら目立っては増えない。増えたって10万人の中の250人の範囲である。
 以下、各論。
 1)βカロチン:試験管の中での細胞レベルのでの研究ではβカロチンは間違いなく、抗酸化作用を示す。しかし、実際にヒトに投与してみると、βカロチンは無効だったばかりでなく、肺がんをかえって増やした。コエンザイムQ10も有効性は証明されていない。
 2)DHA EPA:これも寿命を延ばさない。
 3)牛乳は体に悪くない:わたくしは知らなかったのだが、新谷弘実氏の「病気にならない生き方」で牛乳やヨーグルトは体に悪いということを書いているらしい(新谷氏が内視鏡の名人であることはよく知っている)。それへの反論である。
 「ガンもどき」は存在しない:近藤誠氏の「ガンもどき」説の批判である。高田氏は「ガンもどき」はあるし、癌の自然消滅もありうることをみとめる。それにもかかわらず、それを期待して癌の治療をしないことは間違いである、とする。これはわたくしにはきわめて真っ当な見解であるように思う。岡田正彦氏も「ガンもどき」説に近いようなことを言っていた。高田氏は近藤氏の間違いは癌をすべて一様のものとみている点にあるとする。それにも同感である。氏は、癌といっても実にさまざまなものがあり、性質が大きく異なる。それなのに、乳がんで得られた仮説がすべての癌に適応できるとしている点が間違いであるとする。
 わたくしは、2型糖尿病にもたくさんの「糖尿病もどき」が存在しているのではないかと思っている。結構悪いコントロールであるにもかかわらず、一向に合併症をおこしてこないひとはたくさんいる。2型糖尿病という病態の中にはさまざまな病因によるものが混じっており、その一部は治療の必要がないものが混じっているのだろうと思う。しかし、どのひとがそうであるのかを現在予見する手段がないため、やむをえず全員に治療をおこなうことになっているのだろうと思う。
 コレステロール:本書によれば、国際的にもコレステロールは危険ではないという認識が深まっているのだそうである。これは岡田氏とは正反対の論である。コレステロールの値が低いとアルツハイマー病になりやすく、高いとなりにくいという。しかし、その高いというのが311から442mgなのである。どう考えても家族性高コレステロール血症であるとしか思えない。こういう人はもっと若い時に心筋梗塞をおこしたりはしないのだろうか?
 食塩:食塩を減らしても、ほとんど血圧は下がらないのだそうである。これではとても味気ない食事には引き合わないと高田氏はいう。胃がんは明らかに塩分摂取量と比例して病気が増えるが、直線的に増えるわけではなく、また血圧を下げると癌が増えることもわかっているのだそうである。だから食塩を減らすかどうか、どの程度減らすかは個々人の人生観によると高田氏はいう。岡田氏なら、食塩制限が総死亡を減らすなら、そうすべきというであろう。高田氏の示しているデータによれば、総死亡は増えている。しかし岡田氏は塩分制限派であった。
 砂糖と肥満&糖尿病:肥満と糖尿病が日本では増えてきているにもかかわらず、日本人のカロリー摂取量は減り続けている。砂糖の摂取も減ってきている。問題はグリセミック・インデックス(GI・・食事のあとどのくらい長い間、ブドウ糖が高い値を保つか)なのだそうで、これは砂糖よりも米、パンのほうが高い。スナック菓子、せんべい、コーンフレークなどはきわめて高い。GIが低い食べ物をとると糖尿病になりにくい。ブドウ糖は脳の活動を高め、ドーパミンを放出させる。
 このあたりを読んでいると、高田氏は塩味をこのみ、甘いものが好きなのではないかと思う。どうも自分の好きなものを擁護したいという動機が働いているように思う。柴田博氏の本を読んでいたときに、柴田氏はさかんに肉はよい、ひとに幸福感をもたらすと書いていた。柴田氏は肉が好きなのであろう。
 紫外線は体に悪くない:ここはわたくしが知らないことがたくさん書いてあったので、少し詳しくみてみる。
 紫外線は免疫力を高めるのだそうである。日に当たると糖尿病にもなりにくいのだそうである。紫外線が足りないと血圧もあがるのだそうである。また紫外線をあびないと癌になりやすく、だから英国の北部と南部をくらべると北部では南部の倍のがんの発生があるのだそうである。ただし皮膚がんと脳腫瘍は増えるのだそうだが。みな知らないことばかりであった。
 格差社会と健康の話:これは最近関連する本をいろいろと読んでいるので、ほとんど既知のことばかりであった。
 さて、高田氏は、われわれ医者は病気にならないためにはどうしたらいいかという教育を受けていないし、その知識をもたないという。その通りである。われわれがしていることは、病気の人を改善するためによいことは健康なひとにもいいであろう、という根拠のない類推によっているのだ、と。高血圧の人に塩分が悪いなら、健康な人も控えたらいいであろうというように。
 とここまではいいのだが、最後になって著者は急に座禅の薦めをはじめるのである。わたくしはこの本を本屋で偶然に見つけたので、高田氏の名前も初めて知ったのだが、禅の薦めといった方面では有名な人らしい。わたくしはテレビをまったくみないので知らないのだが、テレビでも売れているひとかもしれない。しかし、心の平静などといったことは、今まで論じられていた健康とは次元が違う話なのであると思う。コレステロールは脳によよくて、それが心の平静につながるという三題話なのかもしれないが、座禅の有効性の二重盲検などできるわけはないのである(精神分析の二重盲検ができないのと同じに)。
 本書を読んで面白かったのは、この前のとりあげた岡田氏とともに現在の学問の主流にアンチの方向からの話であり、どちらも統計と確率に主として依拠しているにもかかわらず、ほとんど結論が正反対になるということである。
 データは一つ、それをどうみるかはいろいろということである。そうであるなら、最近流行のエヴィデンス・ベイスド・メディシン(EBM)などというのは、何をいっていることになるのだろう。コレステロールを下げたほうがいいというのにも、下げないほうがいいというのにも、ともにエヴィデンスがあるというのであるから。
 高田氏は「食べ物も制限され、おいしいものも食べられないような人生にどれほどの価値があるのでしょうか」という。しかし、それは高田氏の価値観であり、人生観なのだと思う。「食べ物を制限されても、おいしいものも食べられなくてもいい」から、一日でも長生きしたいという人は決して少なくない数いるだろうと思う。そしてどちらかといえば、そういう傾きのひとが病院にくるように思う。そういうひとは健康情報に敏感で、血圧の上下に一喜一憂し、コレステロールの数値の変化に命をかけかねない。一方、「食べ物を制限され、おいしいものも食べられないような人生には価値がない」と思う人は病院にはあまり足をむけないように思う。
 一方に「健康神話にだまされて」いる人たちがおり、もう一方には最低限の健康情報さえ知らない人がいるのかも知れない。後者を啓蒙しようとすると、前者は更に敏感になり、前者にあまり数値にこだわらないほうがいいですよというと、後者は待ってましたで、したい放題となるかもしれない。なかなか中庸というのは難しい。
 

健康神話にだまされるな (角川oneテーマ21)

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