PHP新書 2008年9月
ハイエクというひとは前から気になっていたのだが、本書を読んで、以前からの疑問であったハイエクとポパーの関係、ハイエクとフリードマンらシカゴ学派との関係について一つの視座を手にすることができた。
ハイエクのことが気になった最初はポパーの自伝の「ほとんど一年後、途方にくれ恐るべき意気消沈におちっていたとき、私は戦時中接触を失ったわが友エルンスト・ゴンブリヒのイギリスの住所を、ふとしたことから知った。きわめて気前よく援助を与えてくれたハイエク(彼とはこれまで数度しか会ったことがないので、私は彼をわずらわすのに気がひけた)と一緒になって、ゴンブリヒは出版社を見つけてくれた。その救援は測りしれぬほど大きかった。この両人は私の命を救ってくれたのだと私は感じた。そして今なお私はそう感じている。」「それから間もなく―ヨーロッパでの戦争が最終段階にあったとき―ハイエクの名で発信された電報を受け取った。それはロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで地位を保てるロンドン大学の講師にならないかという提言と、彼が代理編集者であった『エコノミカ』誌に私が『貧困』を送ったことへの礼であった。ハイエクは私の命をもう一度救ってくれた、と私は感じた。」という二つの文であったと思う。(「果てしなき探究―知的自伝」岩波現代選書 1978年)
その次が、渡部昇一氏のヒューム論「不確実性の哲学―デイヴィッド・ヒューム再評価―」(「新常識主義のすすめ」文藝春秋社 1979年)におけるハイエクの「デイヴィッド・ヒュームの法哲学と政治哲学」という公開講演とハイエクのノーベル賞受賞講演「Pretence of Knowlegde」の紹介である。ヒュームの後継者としてのハイエクという見方を知った。
あとは竹内靖雄氏の「経済思想の巨人たち」(新潮選書 1997年)の「ハイエク」の部分くらいで、これはシカゴ学派から見たハイエクであるように思えた。
「隷従への道」は買った記憶はあるが読まなかった、というか読めなかった記憶がある。たぶん買ったのが、ソヴィエト・東欧圏崩壊のあとで、その時点でのハイエク賛美の風潮の中では、どうも読む気がしなかった。
本書はハイエクの生まれた世紀末ウィーンからはじまる。世紀末ウィーンでは美術や音楽の花がひらいたばかりでなく、物理学にもシュレーディンガーの波動方程式などの巨大な発見があったが、シェーンベルクの音楽も、クリムトやエゴン・シーレの絵画も、ともに帝国崩壊後のウィーンの不安の反映であるということがいわれる。そして、そうは書かれてはいないが、「不確定性原理」もそのようなウィーンの不安が産んだ可能性がにおわされている。シュレディンガーの波動方程式は実験の産物ではなく、観念の産物であこともいわれる。
さて問題はそれらへのエルンスト・マッハの影響である。ハイエクの経済学の師であるメンガーはマッハの影響をうけたとされ、またハイエク自身もマッハの影響をうけたとされる。ハイエクがヒュームなどのスコットランド啓蒙の流れをひくとすることは問題ないと思うのだが、それがマッハを経由したものなのだろうか、というのが疑問である。アインシュタインがマッハの影響をうけたことはよくいわれるが、シュレディンガーとかハイゼンベルクもまたマッハの影響をうけたのだろうか?
再度、ポパーから(「知的自伝」)。
エルンスト・マッハに比肩しうるほどの知的衝撃を二十世紀に与えた人はほとんどいなかった。彼は物理学、生理学、心理学、科学哲学、純粋哲学(または思弁哲学)に影響を与えた。彼は、ごくわずかな名前を挙げるだけでも、アインシュタイン、ボーア、ハイゼンベルク、ウィリアム・ジェームズ、バートランド・ラッセルに影響を与えた。(中略)
マッハの実証主義の哲学的影響は若きアインシュタインによって大いに広まった。だが、アインシュタインはマッハの実証主義を放棄した。その理由の一部は、マッハ実証主義の帰結のいくつかを愕然として悟ったからである。(ボーア、パウリ、ハイゼンベルクを含む次の世代のすぐれた物理学者たちは、その諸帰結に気づいたばかりでなく、これを喜んで受け入れた。彼らは主観主義者になった。)しかし、アインシュタインの撤回は遅すぎた。物理学は主観主義哲学の拠点となり、それ以来ずっとそうであり続けた。
ここでポパーは主観主義哲学という。池田氏はメンガーの経済学も主観主義であるという。ここでの主観主義という言葉が同じものを指すのだろうか、ということである。
池田氏はマッハの懐疑主義の源流は、ヒュームであるという。「メンガーの理論は、現在の経済学のように客観的メカニズムとして経済を描くものではなく、価値が消費者の心理に依存する相対的なものだという主観主義だった」とも書く。ヒューム→マッハ→メンガー→ハイエクというつながりを示し、これらを主観主義という言葉でくくる。
しかし現在の経済学が客観的というのはいいとして、ヒュームを主観主義としていいのかには疑問を感じる。ヒュームは客観的メカニズムをわれわれが知りえるかについて論じたので、われわれが客観的メカニズムを信じているとしても、それは絶対には正当化はされないことをいったのだと思う。それは、価値が消費者の心理に依存する相対的なものというのとは次元が違う話なのではないだろうかと思う。
ヒュームのいったのは、帰納は永遠に正当化されることはないということであった。帰納という方法は永遠に正当化はされないが、通常はわれわれは帰納という方法で問題なく生きていける、明日もまた太陽は東から上ると思って生きていていい、ということである。だからもし太陽が明日西から上ったら、あわてなくてはいけない。帰納はあてにならない方法だから、こういうこともあるさ、などと泰然としていてはいけないのである。
価値が消費者の心理に依存する相対的なものであるというのはいいが、太陽が東からのぼるというのは観察者の心理に依存する相対的なものであるなどということをヒュームは主張したわけではない。
わたくしの感じているところではマッハは深さの否定というか奥行の否定というか、われわれが経験していることがすべてであると主張したひとで、その経験の奥にそれを超越した何かを想定することを否定したのだと思う。プラトンのイデアの正反対の立場である。
物(物体)ではなく、色彩、音、圧、空間、時間(これらをわれわれは通常、感覚、と呼んでいる)こそ世界の本来的な要素である。(「マッハ力学史」ちくま学芸文庫 2006年)
マッハにとっては、法則といったものは、神学的、物活論的、神秘主義的なものに思えたのである。マッハの反形而上学というのは、そういうことなのであろう。
ヒュームは『人性論』で、人間に第一義的に与えられる感覚だけから出発し、それ以外の先験的な存在をすべて疑うところから出発し、経験的事実から「帰納」されたようにみえる因果関係は、実際には「習慣にもとづいた蓋然性」の認識にすぎないとして、感覚が存在によってつくられるのではなく、その逆だという「コペルニクス的転回」をカントにもらたした、そう池田氏は説明している。
三度、ポパーから。
これらの結論によってヒューム自身―これまでにおける最も合理的な精神の持主の一人―は、懐疑主義者に、そして同時に、信者(非合理主義的認識論の信奉者)にと転向した。反復は―われわれの認知的生活またはわれわれの「知性」を支配しているにもかかわらず―論拠としてはいささかの力も持たないという彼の結論は、論証または推理がわれわれの理性においてごくわずかな役割しか演じなという結論に彼を導いた。われわれの「知識」は信念の性質をもっているものとしてのみならず、また合理的に擁護しえない信念―非合理的信念―の性質をもつものとして、その正体をあばかれる。(「客観的知識」 木鐸社 1974年)
また同書でポパーはまた、B・ラッセルが「西洋哲学史」で「ヒュームの哲学は、・・18世紀の合理主義の破産を代表するものである」「それゆえまったくあるいは主として経験論的である哲学の枠内で、ヒュームに対する解答が存在するかどうかを発見することが重要である。もし存在しないとすれば、正気と狂気のあいだにはいかなる知的相違もないことになる。自分がユデ卵であると信じる狂人も、もっぱら彼が少数派に属しているという理由によってのみ、狂人であると断定しうるにすぎない」といっているのを紹介している。もちろん、ポパーは自身の「反証可能性」の理論によって、帰納の問題をのりこえた(ポパーの言い方によれば「解決した」)とするのである。
ところで吉田健一は「正気と狂気の区別は精神病理学の専門家にしか付けられないといふ種類の考へをヨオロツパ人が持つに至つたのは二十世紀になつてからのことに過ぎない」といっている。(「ヨオロツパの世紀末」新潮社 1970年)
ヒュームは「人性論」で「この上もなく幸運なことには、理知がこうした迷いの雲を吹き晴らしえないとき、[人性の]自然それ自身が十分にこの目的を果たしてくれる。即ち、上記の[悲惨な]心的趨勢が[独りでに]弛むか、さもなければ感官が他に何かの気晴らしを求め、生気ある印象を得て、一切のこうした妄想を抹殺するか、そのいずれかによって、この私を悩ます哲学的憂鬱及び精神錯乱は自然に治癒されるのである。私は食事を執り、双六を遊び、友人と座談を交えて打ち興ずる。そして、三・四時間の娯楽ののち先の思弁に帰ろうとすれば、その時それらの思弁は甚だ冷か・無理・滑稽に見えて、再び深入りする心にはなり得ないのである」としている。(大槻春彦訳 岩波文庫1949年)
ヒュームを見るのには二つの側面がある。これまでにおける最も合理的な精神の持主の一人として、理性を極限まで駆使して、その結果、理性はあてにならないということを示したひとという面と、われわれの生活の中で理性の果たす割合は大きくないことを知って理性がどのような結論に達してもたじろがないひとという面である。
本書「ハイエク」のテーマは「人知の限界」ということであると思われるが、これはヒュームの後者の側面であると思われる。一方、量子力学における素朴実在論に反する面とは、「その(量子力学の)考え方がうまくいく理由を“説明する”ことにより、そのミステリーをなくしてしまうことができない」ことによる。ただできるのは「、その考え方がどのようにうまくいくかを述べるだけである」(「ファインマン物理学」第5巻「量子力学」 岩波書店 1979年)。
それは絶対にわれわれには理解することができないが、それでもすべての実験はそれを支持している。神はサイコロ遊びをするのである。それがどうしても納得できなくて、アインシュタインは後半生を棒にふり、ポパーもまたアインシュタインに殉じた。ポパーには量子力学が物質が客観的に存在することを否定しているように見えるのである。それで「確率の傾向性解釈」というようなことを言い出す。これは確率というのが、大量現象に関する場合には客観的な問題とその答えになりうるが、単一の出来事の確率ということになると、その客観性が疑わしくなることに対応している。
佐々木良一氏の「ITリスクの考え方」(岩波書店 2008年8月)を読んでいたら、村上陽一郎氏が「患者にとっては、過去の成功確率は無意味でしょう。自分に対しては、それは成功するか、しないかのどちらかでしかないのです」といっているのが紹介してあった。佐々木氏は、確率という概念が理性的な人にとっても直感的には受け入れにくいものであることを認めながらも、成功確率90%と50%の手術という言明は有用であろうとして、村上氏の言い方に少々困惑しているように思える。村上氏の言は臨床の場にいる人間としてはよく理解できるのだが(90%とは「うまくいくことが多い」、50%とは「うまくいくかいかないかなんともいえない」という以上のことをいっているとは思えない。数字は患者さんに対しては、なんだかもっともらしい説明として、目くらましとなっているだけだと思う)、村上氏は科学哲学者であって、ファイアアーベントを支持する立場の人である、そもそも客観性という概念が西欧ローカルなものであって、世界に普遍的なものではないという立場のひとであるから、発言の背景には微妙なものがあるように思う。
マッハは「科学の経済」ということをいう。科学が形而上学であることを否定するのであるから、真理である法則などというわれわれの経験を超越したものをみとめない。法則はわれわれが生きていくうえで、無駄なことをしないですむことに資すればいいのである。マッハは原子論を認めなかったひとであるから(それはわれわれの経験を超越しているから)、量子力学なども当然みとめなかったであろう。マッハは正しいかどうかを問わない、有用であるかどうかを問う。一方、量子力学は理解できるか否かを問わない。実験に矛盾しないかを問う。両者ともにわれわれが真理に至れるということを否定しているが、ともに「人知の限界」という発想には依ってはいないように思う。
それで、メンガーに戻る。「メンガーの理論は、現在の経済学のように客観的メカニズムとして経済を描くものではなく、価値が消費者の心理に依存する相対的なものだという主観主義だった」というのであるが、具体的には、価値が労働時間で決まるという古典派経済学に対して、価値は消費者の必要できまると主張したのだそうである。
ここでとんでもなく変なことをいえば、最近よくある議論である仕事は何のためにするのかというのに対する二つの方向からの答え、かたや自己実現のためである、こなた他人の必要にこたえるためであるについていえば、前者が主観的で、後者が客観的である。消費者の必要というのも客観的でありうる。労働価値説が客観的で、消費者の必要が主観的ということはないと思う。
著者は、メンガーらのオーストリア学派の伝統は、人間の非合理的な行動を分析する点にあるという。この非合理的な行動ということろが本書のもう一つのポイントになるはずである。「非合理的」ということと、人間の「理性の限界」ということが、どう関係するかである。人間はいくら理性的にものごとをつきつめて考えていっても、人間の理性は不充分で、限界があるとする立場と、人間は決して合理的には考えないものだするという立場は、異なったものである。しかし、本書ではその両者が主観的という言葉で同じものとされているように思える。
著者によれば、フリードマンらのシカゴ学派は合理的な議論をする点でハイエクと対立する。一方、スミスやヒュームのスコットランド啓蒙派は、人知の限界をその思想の根底におく点でハイエクに通じる。
わたくしから見ると、フリードマンはなんだか浅いのである。人間について随分と浅薄な見方しかしていないように見える。というか、近代経済学の教科書を読むと何だかいやになるのである。それはわたくしが数学が苦手ということが一番大きいと思うのだが、スティグリッツの経済学の教科書とかも何回かトライしたがどうにもなじめない。IS曲線とLM曲線などというのをみても、それがどうしたという気しかしない。
それで経済学はまったく素人以下の知識しか持たないのだが、メンガーらの消費者の必要によって価格がきまるという見方を限界効用説というのだそうである。しかしメンガーらのオーストリア学派はワルラスからマーシャルさらにサミュエルソンにいたる近代経済学の主流とはことなる道を歩んだので、その派に属するハイエクもメンガー直伝の主観主義的価値観の哲学の流れの中にあると、著者はいう。
ハイエクはウィーン生まれであるので、大陸の観念論を受け継ぎ、その後、英米に移住したので、英米の経験論も受け継いだ、その結果、両者の混合として、市場経済を擁護し、歴史の進歩を信じる面と、近代の合理主義を攻撃し、人間の「無知」をすべての理論の前提に置く一種の不可知論の両面をもつようになったとされる。
ハイエクは「第一次世界大戦直後のウィーン大学の学生の間で関心を集めた二つの主題は、これらはずっと後に西洋世界でそうなるのだが、マルクス主義と精神分析であった。(中略)この二つの教義は、自分たちの言明が必然的に真になるように用語を定義しており、それゆえ世界については何事も語らないのであって、まったく非科学的である」といっている。
その経歴もこの主張もわたくしにはほとんどポパーと同じと思える。ポパーもマルクス主義と精神分析を非科学とした。しかし、ポパーは基本的には自然科学の側の人である。医学が自然科学に属するかどうかは多いに疑問ではあるが、それでも一応は生物学に基礎をおく学問であるので、医者であるわたくしは科学の問題を考えるひととしてのポパーに興味を持ってきた。
一方、人文科学が科学といえるのかは相当に疑問なところがあり、その中では経済学はまだ科学の装いをしている方であろうが、それでもその基礎はずっと脆弱であるように思う。したがって人文科学の分野がポパー的な見方ではどのように見えるかという点には今まではあまり関心をもってこなかった。ハイエクは、ちょうどそういう仕事をしているのではないかというのが当面の見立てである。
第一章の「帝国末期のウィーン」をみているだけで、長くなってしまった。以下は稿をあらためる。

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