鹿島茂 「吉本隆明1968」 (1)反スターリニズム&反=反スターリニズム

    平凡社新書 2009年5月
 
 吉本隆明を「偉いよ、ものすごく偉い」という鹿島氏が、その偉さにピンとこない若いひとたちにむけて「なぜ、われわれ団塊の世代吉本隆明を偉いと思うのか」ということを懇切丁寧に噛んでふくめるように縷々切々と説いた本である。本当はもっともっと書きたかったのではないかと思うが、新書という制限のため、やむなく筆をおいたというようにもみえる。400ページ以上という新書としては相当に大部の本であり、鹿島氏の熱気がむんむんと伝わってくる。
 しかし、若いひとたちは読まないのではないかと思う。1968年といえば、40年以上前である。ということは40歳以下のひとたちは生まれていない。生まれる前は「過去」であって自分とは関係ないとはさすがに思わないかもしれないが、本書で主として論じられる小林多喜二芥川竜之介高村光太郎あるいは四季派の詩人などは完全に過去のひとである(小林多喜二は最近復活しているらしいけれど)。鹿島氏は吉本氏の論が「近代日本の直面するあらゆる問題」と関係するというのだが、いまの若いひとたちは「近代日本」という問題意識をもっているようには思えない。だからこの本は「1968年」という年号に敏感に反応するわたくしのような団塊の世代のほうが読むのではないだろうかと思う。
 ということで鹿島氏は期待していないかもしれない同世代からの感想である。鹿島氏は「文学全集を立ちあげる」で、日本の文学全集は倫理的、求道的な姿勢で編まれてきたが、現代は求道性など、まったく顧みられない時代なので、求道的なものとはまったく違う姿勢で作品を選ぼうといっていた。しかし本書の姿勢は、倫理的かつ求道的なのである。求道的姿勢などにはいささかの共感も持たないであろう《世界で最も「封建的な遺制」の消失しているウルトラモダン社会》である現代日本に生きる若者たちが、本書に手をだすのか、それは疑問である。
 本書は「私小説的評論」かつ「出身階級的」吉本論なのだそうである。吉本氏は「東京下町の下層中産階級に生まれ育ったインテリゲンチャ」なのだそうであるが、鹿島氏も「横浜の貧乏酒屋の息子」だそうで、そういうひとにしか「本当の吉本の偉さはわからない」という。そういう点で客観性のない議論であることは鹿島氏も自覚していて、だから「私小説的評論」なのであるが、この《私小説的で客観性のない》ということろに、すでに吉本論が萌芽しているのであり、吉本は思想の普遍性、客観性に対抗したという視点が本書の柱となっている。(それにしても、今の若者はインテリゲンチャなどという言葉にどう反応するのだろう。)
 
 第1章「反・反スタ思想家」としての吉本隆明
 鹿島氏の周囲に、吉本はもう古いというひとが多くいた、というところから議論がはじまる。それには二つあり、一つはフロイトとかウェーバーなどの専門研究者になったひとからのもので、吉本の思想や論理はあまりに脆弱で隙だらけというものである。鹿島氏はそれに対し、そういう批判は「巨人の肩の上に乗った子供」からのものであるとする。たしかフーコーだったかが(英訳された?)吉本氏の何かの論を読み、「こいつは本当にヘーゲル(だっかか?)をドイツ語で読んでいるのか?」といったという話をどこかで読んだ気がする。吉本氏の論が学問的な手続きを踏んだものではないことは確かで、学界に論文として提出したら査読で却下されることは間違いがなく、恣意的で隙だらけであることは事実だと思う。また吉本氏も少なくとも、その出発の時点ではマルクスレーニンの肩の上に乗っていたことも確かだと思う。
 もう一つは、ポスト・モダン論者がいう、《冷戦体制の崩壊》後になってもスターリニズムが諸悪の根源と言いつづける吉本は時代遅れという論である。これに対しては鹿島氏は、スターリニズムの悪はいまだに健在であり、人間が集団でなにかをなそうとするときには、いつでも顔をだしてくるものだという。
 後者のほうが大事であるといい、そこから吉本氏の小林多喜二の「党生活者」論が展開される。この「党生活者」を高く評価する側(宮本顕治中野重治)と、批判する側(平野謙荒正人)の双方をともにトンチンカンでナンセンスと一刀両断切り捨てる吉本氏の論が紹介される。両者ともに、この小説の主人公がしている党活動がわれわれの日常の生活とは次元を異にする重要で価値あるものと思いこんでいる愚が指摘され、その目隠しをとって読んでみれば、この小説の登場人物たちのしていることは未熟でなさけないものであることは一目瞭然であるとする。落語の長屋のクマ公やハチ公なら「おらあ、党ってものがどういうもんだか知らねえが、この『私』というのは、とにかくひでえ能無し野郎だ」というだろう、というのが鹿島氏の見解である。こうしたクマ公たちの「健全なる社会常識」はのちの吉本氏の論では「大衆の原像」という言葉となっていく。今では当たり前かもしれないこういう見方は昭和30年代にはきわめて珍しかった、と鹿島氏はいう。
 さらに鹿島氏がいうのが、「技術主義」「利用主義」の問題である。一番大事なものが政治活動であるとすれば、あとの生活は技術(ノーハウ)の問題に還元されてしまうということである。人間を大義のために利用する道具として見るのが「技術主義」であり「利用主義」である。吉本氏はこういう人間観をマルクスは「疎外」と呼んだのだと、する。
 しかし、このあたりを読んでいると、カントが《自分や他人を手段としてあつかってはならず、つねに目的自体としてあつかえ》といった話とどう違うのかなという気もしてくるし、カントなど知らないクマさんだって、「そんなことをするやつは、とんでもない人でなしだ」というのではないだろうか?
 鹿島氏は、こういう「技術主義」や「利用主義」に通じる人間観こそが、スターリニズムを生んだのだという。しかし、政治があるところ、すなわち、《人間が集団でなにかをなそうとする》ところには、かならず「技術主義」や「利用主義」は生じてくるのではないだろうか? 68年当時、日本共産党系の組織である「民青」がはなはだ評判が悪かったのは、その「技術主義」や「利用主義」があまりに露骨に見えたからであろう。このころの「反帝反スタ」というのは、反アメリカ帝国主義(とそれに盲従している日本の権力者たち)&反ソヴィエト共産党(とそれに盲従している日本共産党)だったのだと思う。だから反スタとは直接は反日共産党であり、民青嫌いが多かったのは、民青の諸氏はいうことが金太郎飴のようであり、日本共産党の見解=自分の意見であるようにみえたからである。一方、それに反対する諸氏は十人十色、百人百様なのだから、てんでんばらばら一人一党のようなもので、政治などできるはずがない。そうすると反スタというのは「政治」は嫌いだ、「政治」は汚く「政治」は人格を毀損する、ということだけではないかという気もしてくる。
 もう一つスターリニズムもっといえば左翼運動そのものの論理のまやかしと吉本氏が指摘したとするのが、「引きずり下ろし民主主義」と鹿島氏が名づけるものである。「抜け駆けは許さない」という「相互監視システム」、「低次元での平等ユートピア」である。
 ある不幸な境遇のひとがいた場合、そのひとを救済しようとするのではなく、あなたよりもっと不幸な人々がいる。その人々を救済するためにともに連帯しよう、という論理で、そのひとの不幸は抛っておいて、政治運動に引きいれるための手段として利用するというものである。救われるべきとされるのは「額に汗して働きながら、永遠に報われることのない労働者」(という実はどこにも存在しない架空のイメージ)であり、最近であれば「ワーキング・プア」がそれにあたるという。かれらは「清廉潔白」「謹厳実直」「無欲恬淡」といったイメージをあたえられる。鹿島氏は「マルクスレーニンの倫理主義、禁欲主義の呪縛」ということをいう。
 吉本氏は、「個々のプロレタリアートは「自分だけ」がつらさから逃げる環境をもったとき、一人でも多くそこを逃れならければならない」といったのだそうである。しかし、そんなことを許したらプロレタリアートの連帯が壊れないだろうか? マルクスは「失いべきものは鉄鎖しかない万国のプロレタリアート」に団結を呼びかけたのではないだろうか? おそらく「聖なる労働者」というイメージをつくりあげたのはマルクスなのだと思う。そこでは、被害者は「善」であり、加害者は「悪」となる。あるいは被支配者は「善」で、支配者は「悪」なのである。反権力という姿勢が一部のひとをいつまでもひきつけるのは、反権力=《「善」の側》という図式によるのであろう。これはニーチェの問題に結びつくはずであるし、D・H・ロレンスの「憎悪の宗教」としてのキリスト教とも結びつくはずである。
 吉本氏は「労働者や大衆はオーガナイズされることを待っている何ものかではなく、具体的に生活している何かである」としたのだそうである。マルクス主義を信じるならば、資本主義社会の下においては労働者の生には意味がなく、それが団結して支配階級を打倒し、自分たちが権力を握ってはじめて生に意味があることになるのだろうか? 少なくとも吉本氏はそうではないとしたわけである。今の生に意味がある、とした。「来世」での幸福ではなく、「現世」にも幸福はあるとした。吉本氏の思想があたえた最大のインパクトはそこにあったのではないだろうか? 今、自分が生きていることは恥ずかしいことでも、後ろめたいことでも、単なる仮の姿なのでもなく、それ自体として肯定されるべきものであり、未来というのはその延長の上に構想されるのなければ意味がないとした。とすれば、これは「革命」の否定である。
 それでわからないのが、吉本氏が60年安保のころに「革命」を志向するひととして登場してきているようにみえることである。本書では何カ所か「この時代には、吉本隆明でさえレーニン的な左翼概念にある程度縛られていましたので」といった記述がでてくる。しかし、「ある程度」ではないと思う。氏は就職した会社で次々に労働争議にかかわり、そのため職場を追われている(さぞ優秀なアジテーターだったろうと思う)。安保闘争のときは全学連主流派「ブント派」の主要メンバーであったはずである。そうであれば、そこで吉本氏がめざそうとしていたものは何だったのだろうか。あるいは1968年当時、大学生になったばかりの鹿島氏があっという間に左翼運動(学生運動)に参加していくようになった時、氏が運動の目的として意識したものが何であったのだろうか、ということである。大衆が解放される、ということはどのようにイメージされていたのだろうか? 資本主義体制の廃絶だったのだろうか? 労働者は窮乏しており、それは体制の打倒によってしか変革しえないないということだったのであろうか?
 ソ連体制が崩壊したことによりマルクス主義の問題は事実の問題として決着がついてしまったようなあつかわれ方である。しかしソ連の崩壊は偶然におきたことなのかもない。その事実がマルクス主義の無効を、即、示すとはいえないであろう。労働者の窮乏は生産力の増強によってしか解決しえず、その方策として市場経済体制のほうが計画経済体制よりも数等まさるという、ただそれだけのことなのだろうか?
 日本に高度成長がおきたのは別に吉本氏の言説によるのではないと思う。「個々のプロレタリアートは「自分だけ」がつらさから逃げる環境をもったとき、一人でも多くそこを逃れならければならない」ということを実際に可能にしたのは、どこかの思想家の言説ではなく、高度経済成長であったのかもしれない。
 吉本氏がモノを書き出した昭和20年代の終わりには「日本は東洋の貧しい、遅れた国だ」という認識がすべての日本人に共有されていて、それを克服するためには社会主義によるしかないと考えたひとがたくさんいたのだという。ところが、その日本が経済成長をとげ、気がついたら世界の先進国の仲間入りをしていた。その結果左翼の大前提が消失し、左翼の影響力は衰えた、と鹿島氏はいう。そうではあるが、吉本氏が批判した左翼的思考法というのは、「片方に前近代的な要素」が残り「もう片方に近代西欧的なもの」が存在する社会でそれを「近代的なものに改めよう」とするとかならず生じる思考パターンなのだという。だから吉本氏の批判は現在でも少しも価値を減じていない、と鹿島氏はいう。それで今度はそれを検討するために「転向」の問題がとりえげられる。それは近代日本の直面するあらゆる問題とつながっていると鹿島氏はいうが、その問題はまた稿をあらたて検討することにする。まだ60ページあたりである。前途多難。
 

新書459吉本隆明1968 (平凡社新書)

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