
- 作者: 呉智英
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2012/12/07
- メディア: 単行本
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吉本というひとは知識人の放つ特有の臭気に異様に敏感だったひとで、そういう嫌らしいひと偉そうなひと鼻持ちならないひとを見ると喧嘩をふっかけずにはいられなかった。吉本のいう「大衆」というのは、そういう嫌らしさを持たない人々のことを指したのだと思う。現実にいる大衆は嫌らしかったり、偉そうだったり、鼻持ちならなかったりするに決まっている。だから「大衆の原像」である。60年安保当時、社会党や共産党などの動きは多くの若者たちの目には、とても嫌らしいものと映った。だから反=代々木の人たちは吉本を教祖とした。しかし、その反=代々木の人たちも既成政党のもつ嫌らしさとは別の知識人の嫌らしさは濃厚にもっていたわけで、だから吉本は全共闘運動にはえらく冷たかった。
しかし吉本だって大思想家ではないかもしれないが、まぎれもない知識人ではあったわけで、そういう嫌らしさを持たない知識人でいようとする努力の継続というのが氏の一生だったのだろうと思う。「「反核」異論」だって、書いてあることは滅茶苦茶かもしれないが、「核戦争の危機を訴える文学者の声明」なんてものにサインするような奴はろくでもない奴だぜ、という氏の根源的な確信から発しているのであるから、その内容の細部などはどうでもいいのである。「貴様らいったい自分を何様だと思っているのだ!」という怒りがあればいいのである。
わたくしに不思議なのは、呉智英氏は、草食系というか「俺が俺が意識」にいたって乏しい、「ドーダ」(@鹿島茂)の精神に欠ける、知識人のもついやらしさがいたって少ない例外的な知識人であると思うのだが、その氏が吉本隆明にこれほど反発しているという点である。なんだか同士討ちのような気がしないでもない。敵はもっとほかの方面にいるのではないかと思うのだが。