坪内祐三 福田和也「無礼講」

  扶桑社 2009年 6月
  
 両氏が、安い食べ物屋や飲み屋で飲みながらしゃべりあったことを記録したという本である。最近の出版不況を反映した本というような気もする。
 坪内氏はなんだか今一つ胆力がないというような感じのひとで、昔、福田恆存にいかれたひとにしては迫力がいささか足りないような気がする。今の文筆家は仕入れてからそれが発酵するのをまってじっくりと本を書くというようなことが許されないようで、読んだそばからすぐに文章にすることを強いられているらしい。前に「考える人」という本を読んだときに、ゆっくりと考えて書いている時間がとれないのだろうなあというような印象をもった。それにくらべると福田氏はずっと腹が据わっているひとのように思う。何しろ「奇妙な廃墟」というとんでもない本でデビューしたひとである。福田氏はこの一作を書いたことによってすでに許されるひととなっているのではないかと思う。それにくらべると坪内氏はまだ代表作といえるようなものは書いていないように思う(数冊しか読んでなくて、そのような感想を述べることは失礼なのであるが・・)。
 酔ってしゃべっていることであるから、論理的につめた議論がされているわけではない。それでいくつかの発言の断片をとりあげて感想を書いてみたい。

坪内:いろんなことが起きたけど、結局、社会ってそんなに変わらないね。
福田:うん。“空気”が変わるだけで、今は不況とか節約とか騒いでるけど、こんな空気も、ちょっと景気が上向けばコロッと変わるから。

 これから景気が上向くことがあるのだろうか?
 

 福田:プロテスタントは、善と悪をパッとはっきり分けちゃうんだよね。(中略)だけどカソリックは、人間の中に悪魔と神が両方いる ― というのが基本的なコンセプトだから。

 村上春樹カソリックだったんだ。
 

坪内:この20年の中で、キチッと時代に対して作家活動をしたのは、村上春樹だけなんじゃないかという感じがするね。他の作家たちが、ちゃんと頑張っていたら、村上春樹はもっとマイナーにやってこれたんじゃないかと思うんだよ。
福田:いつの間にか、時代の中心、ど真ん中に来ちゃったんだよね。
坪内:あの人が、時代の片隅のマイナーっぽい所にいてくれたら、オレの好きな作品をどんどん書いてくれたはずなのに、狙ったわけじゃなく時代の中心に来ちゃったから、本人もそこで、よし、じゃあ、他の人がやらないんだったらオレがやる・・で、今の春樹なんじゃないかなあ。やっぱり春樹は頑張ってますよね。
福田:うん。戦ってますよ。ただ一人で戦っている。

 村上春樹の美質は「神の子どもたちはみな踊る」や「東京奇譚集」のような作品に一番よくでているのではないだろうか? 長編にはどこか無理をしているような痛々しさが残るように思う。
 

福田:福田恆存には、「横町の蕎麦屋を守るのが保守だ」っていう大名言があるからね。

 いい言葉。
 

坪内:吉本隆明も、やっぱり相手を批判するときの言葉づかいが汚いんだよ。オレが吉本隆明を駄目なのはそこなのね。言っていることは、ある時期から納得がいくんだけど。

 呉智英氏は「吉本隆明は何故強いのか」(「バカにつける薬」)で、吉本隆明は、信者でないにもかかわらず神学者たちを相手に論争してきたから」だという。神学者を相手にするときには、汚い言葉のほうがより効果的ということはありそうに思う。
 

福田:ソ連崩壊がなんで起こったかというと、原油価格が下がったから。

 福田氏によれば、アラブ諸国がアフガンを支援しようとして、原油の増産をして原油価格が下がったことが、産油国であるソ連の経済を直撃して、それでソ連が崩壊したのだそうである。イデオロギーではなく経済がソ連を滅ぼしたのだ、と。ソ連産油国でなければ、ソ連はとっくの昔に崩壊していたのだろうか?
 

福田:クリステヴァもたぶんそう(スパイ)なんだけれど、自分では認めていない。当時のブルガリアの優秀な学生がフランスに渡るなんてのは、だいたいある程度の「義務」を背負って行ってるわけですよ。

 そんなこと考えたこともなかった。
 

福田:(市民という言葉は)国家とか体制から独立しているって言いたいわけでしょ。本来の「市民」はキツいよ。国家をアテにしない、自治体もアテにしない、自分の努力でやっていくという、アメリカでいう「セルフメイドマン」でしょ。でも日本の自称「市民」って。セルフメイドじゃない人が、だいたいだけど。

 日本語が通じないところでは生きていけないひと、亡命などという選択肢がありえないひとは「セルフメイドマン」には金輪際なれないだろうと思う。
 

坪内:井上(ひさし)さんと大江(健三郎)さんと・・あと鶴見俊輔さんがいなくなっちゃつたら、あっち側(左翼系)を代表する言論人は、もう誰もいなくなっちゃうよ。
福田:左の教養人って、本当にもう、浅田彰ぐらいでしょう。(中略)柄谷行人にしても、文章巧けど、基本的には教養がまったくない人だからね。
坪内:柄谷さんの『日本近代文学の起源』だって、メチャクチャな本ですよ。無教養だから書けるわけ。無知だから書けるわけ。あれが一つの古典になっている現状が、恐怖なんだけど。

 柄谷氏が無教養だとは知らなかった。『日本近代文学の起源』を読んで感心していたわたくしは馬鹿なのだろうか? 相当はったりをかました本だとは思っていたが。
 

福田:やっぱり不況のときには、人生を楽しむ技術を磨くチャンスだよ。なんだかんだ言つて、人生を楽しんだヤツが勝ちなんだから。

 そうなんだろうなと思う。しかし、それができるなら苦労はしないという気もする。楽しむためにはまず金が必要というという考えをほとんどのひとが信じるようになってしまった。金がなくても人生楽しめるぞという手本として、本書で両氏は安くても旨い店の食べ歩きを実践していわけである。「死ぬほど食べて、1人4700円也」などということがいろいろと書かれているのだが、それもまた贅沢というひとも多いだろうと思う。
 

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