平川克美「経済成長という病 退化に生きる、我ら」

   講談社現代新書 2009年4月」
   
 平川氏はかつて内田樹氏と翻訳会社を設立、今はシリコンバレーと日本でヴェンチャー的な会社を経営しているひとである。
 リーマン・ショック以来の世界状況をふまえて、経済成長が本当にわれわれが今後もめざすべき道なのだろうかということを問うている。主張をみれば橋本治氏と似ているが、橋本氏が作家であるのにたいして、平川氏は経済活動の中心にいるひとという違いがある。
 平川氏によれば、20世紀が政治の時代であったとすれば、21世紀は経済の時代である。経済の時代とは、金持ちがただ金持ちであるという理由だけで威張っていられる時代をいう。時代は「イデオロギー」から「経済」に変化したが、それは同時に、言葉(思想)よりも財力、観念(イデオロギー)よりは実質、質よりは量が重視されるようになることを意味する。思想的、文化的威信は地に堕ちて、経済的優位性のみが尊敬されることになった。
 今、書店では、かってのグローバリズム賛歌の本、リバレッジ経済指南書が消え、グローバリズム批判、リバレッジ金融批判の本があふれている。ひどい場合には、同じ著者が以前とは正反対のことを書いている。
 平川氏はこの十数年は「バカ野郎が威張って」いられる時代だったというが、そのようなことは、まあ、誰でもいいである。氏は、本当は一部の「バカ野郎」だけではなく、誰もが時代を肯定していたのだと、自分も経済活動の渦中の中にいた人間の一人として反省する。
 人間の欲望は誰も否定できないし、生存の必須条件である。しかし「欲望」について語るとき、人間はもっと「控えめ」であるべきあったのではないか、という。問題はバランスなのだという。バランスを欠いたときには人間はとても傲慢になり、社会の秩序は維持できなくなる。(このあたりの議論は「1Q84」でリーダーがする「重要なのは、動き回る善と悪のバランスを維持しておくことだ。どちらかに傾き過ぎると、現実のモラルを維持することがむずしくなる。そう、均衡そのものが善なのだ」という議論とそっくりである。) 平川氏は経済成長至上主義には影の部分があるが、光と影は、対立するものではなく、私たちの立ち位置によって変化し反転する、ひとつのものの両面である、という。これまたリーダーが同じようなことを言っていた。
 アメリカの投資銀行はお金をあちこちに動かすことで利益をえていた。そこで動くお金、えられる収益(あるいは損失)は、われわれが日々あくせくと働いて手にしている小さなお金とは、まったく桁が違っている。
 われわれはこの何年か、経済成長への信憑のもとで生きてきた。それは正しかったのか? 経済成長はすべての病を癒すといわれた。新自由主義の名のもとにおこなわれてきたことは正しかったのか? われわれは何かを獲得したかわりに、また何かを失ったのではないか? 
 2008年8月15日、リーマン・ブラザーズ民事再生法の適用を申請した。(それからまだ1年もたっていないことに驚く) アメリカという国には「基底」がない、と平川氏はいう。ひとが生きていくための温床のようなもの、それがない。生態系の保存機能のようなもの、それがない。しかし、われわれはそのような「基底」あるいは「温床」をうっとうしいもの、そこから脱出したいものと思ってきたのも事実である。
 一方、アメリカは、ひとは金によって幸福になれるという信憑によって生きてきた。金がパワーであり、ひとが生きていくにはパワーが必要であることは、平川氏もみとめる。が、同時に、お金が行使できるパワーはきわめて限定的なものなので、それを万能であると思うと、そこから得られるものよりも、失うものが大きいかもしれないということをわれわれは考えなければいけないのだともいう。
 平川氏は投資銀行がしていることは博打であるという。ものやサービスという商品を介さないで手銭を増やしたり減らしたりする行為はすべて博打なのである、と。本来なら玄人がおこなうべき博打場に素人が参入してきた。同時に玄人と思われていたひとたちが素人と同じような泣き言をいうようになった。博打に手をだして、お金をすったといって泣く玄人などというものがあるだろうか?
 いま必要なのは玄人が素人の価値観をとりもどすことである。すなわち、金よりも大切なことはいくらでもあり、同時に人は金で躓くものだという常識をいま一度もつことである。
 素人であるということは、数千億の金が右から左に動く世界で生きる玄人の価値観が自分たちの生活での考え方と等価であることをよく知っていることなのである、そう平川氏はいい、吉本隆明氏の「カール・マルクス」の一節を引く。そこでは知識の世界での千年に一度の巨匠と市井の片隅の無名の大衆とがまったく等価であるとされる(あるいは大衆のほうがすぐれていることもあるとされる)。その吉本氏の説に共感しながらも、平川氏は吉本氏が信じた「大衆」はいつの間にかいなくなってしまったのではないかという、なかなか重大そうな指摘をしている。
 この本で平川氏がいっていることは、「大衆」が本来の「大衆」に戻ること、そのことにしか現在の壊れた社会を再建していく方途はないだろうということである。大衆が地に足がついた、地道な、うわつかない、薄っぺらでない生活を取り戻していくこと、それだけだという。
 リーマン・ショックにおいてなぜ専門家でさえまったく予測ができなかったのか? それは専門家は、自分たちがつくった枠組みの価値観の中のみで判断しているからだ、と平川氏はいう。統計学的な情報が有効に働くのは、統計学的な条件の内側だけであるのだ、と。このあたりは「まぐれ」や「ブラック・スワン」のタレブに通じる。それに対するものとして、「帝国以後」でアメリカ・システムの崩壊を予言したトッドが引き合いにだされる(トッドはべつにリーマン・ショックを予言したわけではないけれども)。
 平川氏はわれわれが経済成長という神話から自由になれないのは、われわれは文明化、都市化、民主主義化という歴史を生きており、それの衰退局面を一度も経験していないからであるとする。われわれは未知の事象にかんしてはうまくイメージできないのだ、と。
 トッドによれば、地域ごとの民主化識字率の上昇は女性の社会進出をもたらし、それは出生率の低下もまたもたらす。したがって社会の発展は人口の減少をもたらすのだから、経済の右肩上がりが続くという保証はどこにもないわけである。トッドは世界が民主化の方向に動いていると信じている。トッドは経済指標やイデオロギーではないやりかたで世界を説明しうることを示した。
 平川氏は経済成長至上主義による効率主義や合理主義が人々にもたらした心理的影響を問題にする。おそらく(吉本隆明氏もどこかでいっていたように)週休二日制が普及したときから何かが変った。人々の関心は労働から消費へと移った。ひとびとは漢詩や旧仮名遣いの文学作品を読めないことは何の痛痒も感じなくなっている一方、英語(英会話)のできないことを恥じるようになっている。ここで水村美苗氏の「日本語が亡びるとき」からの引用が示され、多様性の擁護が主張される。経済成長至上主義をかかげているうちに人々から陰翳が失われ、のっぺりとした影のない人間になってしまった。影のない人間などは信用できないと平川氏はいう。
 平川氏は株式会社というシステムそのものが問題であるとする。それは会社は存続しなくてはならないという動機を内部にもたない。現在の利益が将来の信用喪失につながるという計算をくみ込む余地がない。信用とか信頼は時間によって獲得されるものであるが、それが計算されないということは、株式会社というシステムが無時間的なものであるということである。時間がない世界は平板で影がない。
 必ず儲かる商売というものがあれば、そこではビジネスの楽しみというものは無くなってしまう。最近のビジネスは絶対に損をしないギャンブルはないだろうかという問題の追求になってしまっている。
 消費資本主義というものは限界にきていると平川氏はいう。人口減少の局面にはいった経済としては当然ではないか、と。
 
 梅棹忠夫氏は「わたしの生きがい論」で「なぜ人間は科学をやるのか、人間にとって、科学とは何か。これは、わたくしはやっぱり「業」だとおもっております。人間はのろわれた存在で、科学も人間の「業」みたいなものだから、やるなといっても、やらないわけにはいかない。(中略)真実をあきらかにし、論理的にかんがえ、知識を蓄積するというのは、人間の業なんです」といっている。
 経済成長への志向もまた人間の「業」なのだろうか? 以前、クルーグマンの「世界大不況への警告」という本を読んでいて、その中の「「アジアの奇跡」の正体をさぐる」というところで、本当の経済成長とは労働者一人当たりの生産性が向上することであって、投下された資本あるいは投入された労働者数が多くなったことにだけよるものであれば、それは本当の経済成長ではないという説明を読んで、なるほどと思ったことがある。
 そこでのクルーグマンの要約によれば、経済成長とは近代の産物であり、歴史の夜明けから18世紀までずっと、世界はマルサス的で、技術の進歩と資本投資の増加は人口の増加によって相殺されていた。ルイ14世治下のフランス国民の栄養摂取量は古代エジプトの小作農よりも少なかっただろう、という。ロストウのいう「持続的な成長への離陸」がはじまったのは18世紀であり、まずイギリスから、ついで他の西洋諸国が続き、19世紀後半に日本が加わった。ジェーン・オースティンの世界からディッケンズの世界へと移行した。18世紀までは、ほとんどの人間が食べるだけで精一杯であった。
 司馬遼太郎氏は「人間の集団について」でいう。(いまの日本の若者にはまったく目に力のないものが多いという批判に対して)「日本は弥生式農耕が入ってきて以来、さまざまな時代を経、昭和30年代の終わりごろになってやっと飯が食える時代になった。日本人の最初の歴史的経験であり、その驚歎すべき時代に成人して飢餓への恐怖をお伽話としか思えない世代がやっと育ったのである。いま国家的緊張はなく、社会が要求する倫理は厳格さを欠き、キリスト教国でないために神からの緊張もない。こういう泰平の民が、二千年目にやっとできあがったのである。目に力をうしなうというのはそういうものであり、泰平のありがたさとは、いわばそういう若者を社会がもつということかとも思われる。(中略)餌は自分で拾わねば飢えるという緊張 ―痩我慢― が人類の精神の歴史であったといえるが、餌はいつでもどこでもあるという社会になれば、人間を人間たらしめている文化性は変らざるをえない。」
 経済成長の目的はいってみれば飢餓の恐怖から解放された世界をつくることにつきるのかもしれないが、ひとはそれを脱しても自動運動のようにさらなる成長を求め続けるものなのだろうか?
 司馬氏はさらにいう、「いまの日本の企業社会で、同種企業と気が狂ったように競争しているサラリーマンたちの70パーセント以上は祖父の代まで、太陽の下でスゲ笠をかぶりながら畑の草をとっていた。たった二代で大変化をおこしたこの社会で、(中略)心のどこかで、かつての人間らしい社会へ回帰したいという思いがたえずあるらしい。」
 ここでの平川氏の議論もたぶんに「かつての人間らしい社会への回帰」という要因があるように思う。なにしろ「退化に生きる、我ら」である。橋本治氏も手工業時代に戻れ!であるし、養老孟司氏も参勤交代を!である。持続的な経済成長という強迫観念がわれわれの宿痾であるとすれば、18世紀の「持続的経済成長の離陸」以前に戻るしかないことになる。しかし、それは飢餓の危機に直面する社会でもある。経済は成長して泰平時代にはなったが、みんな呆けた顔でテレビをみたりゲームに興じたりするようになっただけである。そんな社会をつくるためにわれわれは営々として頑張ってきたのかという空しさがあったところに、今度はリーマン・ショックがおきた。ワーキング・プアであり、就職氷河期である。泰平な時代どころではなくなってきた。そういう二重の喪失感がわれわれにはあるのであろう。
 その昔、たしか開高健氏のものだったと思うが「人間らしくやりたいな」とかいうサントリーウイスキーのコマーシャルがあった。平川氏には多分のこのコマーシャルが流れていた時代へのノスタルジーがあるように思う。
 そういうのを見るといつも思い出すのが村上龍氏の「寂しい国の殺人」という短い文章である。「昔は別にいい時代ではなかった。(中略)その時代にあったのは、近代化という国家的な大目標、それだけだ。(中略)現代を被う寂しさは、過去のどの時代にも存在しなかった。近代化以前には、近代化達成による喪失感などというものがあるわけがない(中略)。今の子どもたちが抱いているような寂しさを持って生きた日本人はこれまで有史以来存在しない。」
 ここで村上氏がいっている近代化とはほとんど飢えの克服と同義である。かつて飢えないためにはみんなで一緒にいることが必須であった。飢えが克服されると集団でいることが息苦しくなってくる。そして再び飢えとまでいかなくても貧しさと直面する時代になっったが、さりとて集団で生きることもしたくない。それが現代なのであろう。
 週休二日があたりまえなどというのはどこかおかしいのであろうか? 最近読んだ新聞でGMの労働者は週35時間労働なのだと書いてあった。
 

経済成長という病 (講談社現代新書)

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1Q84 BOOK 1

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帝国以後 〔アメリカ・システムの崩壊〕

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日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

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世界大不況への警告

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人間の集団について―ベトナムから考える (中公文庫)

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寂しい国の殺人

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