熊代亨「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて」

 書店で偶然に見つけた本である。著者の名前も知らなかったが、ブロガーでもあるとあったので検索してみたら、氏の「シロクマの葛籠」というブログはいままで何回か目にしたことがあった。

 本書を読んで第一に感じたのが、世代の違いということである。
 著者は1975年生まれの精神科医であるから、現在45歳前後。一方、わたくしは昭和22年生まれで現在73歳である。30歳近い年齢差というはやはり大きい。わたくしが自分なりに実際に生きて経験してきた昭和後半、戦後の20年代から63年までの日本を、熊代氏はほとんど書物による知識としてしか知らないわけである。
 熊代氏が本書で述べている見解は、氏の世代においては少数派なのであろうが(むしろ必要以上にマイナー意識を持ちすぎているのが問題であるように思ったが)、それでもわたくしの世代とはまったく肌合いの異なる人である、一言でいえばとても大人しいし、必要以上にあちこちの見解に気を配りすぎている。もっと胸をはって堂々と自分の見解を述べればいいのにという印象を、読んでいて感じるところが多かった。
 一例として・・・、「はじめに」の書き出しが「年配の人々の思い出話によれば、一九六〇~七〇年代は希望に彩られた一時代だったという」である。
 しかし、わたくしの同世代の人間で、自分が過ごしてきた日々を「希望に彩られた」などと感じていたひとはまずいないのではないかと思う。後から見れば、1960年から70年は高度成長期となったわけであるが、それは後知恵で、その時代を暗黒の時代と感じて、ひたすらそれを転覆して「革命」を起こすことを夢見ていた人も少なからずいたわけである。
 中国の文化大革命の運動がはじまったのが昭和41年、日本ではその翌年に美濃部亮吉東京都知事になっている(氏の肩書はマルクス経済学者であった)。スターリンソ連を見て絶望していた人たちの一部は、文化大革命を見て、いよいよ地上に天国が出現すると感涙にむせんでいた(反帝反スタ)。そうではなく未来永劫、地上に天国が出現することはないが、だからこそ永久に革命運動を継続することが必要なのであると息巻いているひともいた。
 美濃部氏の後には大阪とか京都とかいった大きな自治体の首長に次々と革新系の人物が当選していった。そのころの日本共産党は将来、国政においても、社会党との連立政権ができ、それを内部から牛耳っていくことで、国政においても権力を掌握していくことを現実的な未来として思い描いていたのではないかと思う。
 そしてまた、熊代氏には信じられないことかもしれないが、60年から70年頃には、今であれば誰も一顧もしないであろう「人生論」などというタイトルの本が書店にあふれてもいた。「戦争と平和」や「アンナ・カレーニナ」や「復活」は今でも読まれているであろうが、同じトルストイの「人生論」を今読む人はまずいないであろうと思う。そしてまた、白樺派とか「新しき村」にもまだかすかに後光がさしていた。青臭く、かつまた赤い時代でもあったわけである。
 わたくしも自分の60年~70年代(つまりわたくしの中学から大学を卒業して臨床をはじめるくらいまで)を顧みて、それが希望に彩られた時代であると感じたことは一度もなかったように思う。
 ふりかえれば、まず1960年は、わたくしだけにではなく、おそらく誰にとっても60年安保の年ということになるのだろうと思う。安保騒動の後、岸首相が退陣し、後を襲った池田隼人首相は所得倍増計画などというのをぶち上げた。しかし、その言を信じているひとなどまずいなくて、多くは大衆の目を政治から引き離すはための目くらまし策くらいにみていたのではないかと思う。これが結果としては政治の時代から経済の時代への転換になったのであるが。熊代氏の世代から見れば、この頃の政治は後に何も残さなかったのであるから、結果としては60年から70年にかけての高度成長という事実だけが残り、成長のさなかに生きた人間にとっては、その時代が希望にみちた時代であったということになるのではないだろうか?
 しかし、その当時に生きた私から見ると、高度成長どころか、その当時、西側陣営はいずれ行き詰まり、大恐慌に直面して崩壊すると確信しているひとがたくさんいて、何かあるごとに、これこそ大恐慌の前触れだ、今度こそ、西側は崩壊すると太鼓を叩いていた。
東京オリンピックのときにはわたくしは高校3年で受験勉強中だったわけだが、その当時のマッチョな雰囲気がいやで仕方がなかった(大松博文、ニチボー貝塚、根性・・・)。
 大学にはいったら今度は大学闘争(紛争)。この大学紛争にもマルクス主義の影が色濃くさしていたことはいうまでもない。それは、本当はマスクスの思想とは何の関係もないものであったのだろうが、現状を否定するという心情がその象徴としてマスクスという旗印を求めたのであろう。
1968年にはパリが燃え、同時にチェコ事件がおきている。また1964年ごろから75年までベトナム戦争が続いている。パリが燃え、東欧が燃え、東南アジアが燃えていた。その余波は日本にもおしよせていた。
 だが、世界最大の軍事大国であったアメリカがベトナムホーチミンサンダルを履いた農民兵に敗れるという驚天動地のことがおき(ということに当時はなっていた。そして不思議なことにその後のベトナムの状況はほとんど報道されなくなった)と思っているうちに、中共軍がベトナムに侵攻し、ベトナムからは大量のボートピープルが祖国から脱出しようとしていた。
 そのような混乱の中で、東南アジアはドミノ倒しで共産化していくなどといわれてからわずか15年ほどで、今度は東側が崩壊してしまった。1989年にはベルリンの壁が崩壊したと思ったら、1991年にはソ連が崩壊してしまい、東側というもの自体が無くなってしまった。
 東西の対立という状況自体が消失すると、多くの人に憑いていた狐が落ちて、「社会主義? 共産主義? マルクス主義? 何だか昔はそんなものもあったようですな」とでもいった感じで、あっというまにそれは過去のものになっていった。しかし、その崩壊の時まで、資本主義経済体制より計画経済体制のほうを採用すべきという学者は多くいて(何しろ東大経済学部の教授のほとんどがマスクス経済学派の人で、それと対抗する少数派は「近代経済学派」などと分類され、数字ばかりをいじっている理想も思想も持たない権力の走狗であると低くみられていた)、その中間に「マスクス経済学」と「近代経済学」の折衷?の混合経済体制派もあり、さらにはテイク・オフまでは計画経済、離陸したら市場経済などという派もあった。
 マルクス命で一生を終えた向坂逸郎氏は1985年に亡くなっている。東側崩壊まで存命しなかったのは幸いだったのだろうと思う。氏が個人的に蒐集したマルクス関係の文献は東側の公的な施設のものを凌駕するほどの充実したものであったのだそうである。
熊代氏が先輩の世代の言として引用する「一九六〇~七〇年代は希望に彩られた一時代だった」というのは、東側陣営が崩壊し、経済運営のやりかたとしてはもはや市場経済体制しかないことがコンセンサスになった時点から回顧された後知恵の言葉であるのだと思う。
 実際に、昭和初年からわたくしの人生前半においては、マルクス主義はきわめて強力な重苦しい力を持った運動であった。何しろそれで運営されていると標榜する国家がいくつかあったわけである。当時の北朝鮮(とは絶対にいってはいけないことになっていて、つねに朝鮮民主主義人民共和国と呼ばれていた)では「千里馬運動」などというのが行われていて、そこでのマスゲームなどを見て、ひたすら自己の利益しか考えない金銭亡者であるわれわれ資本主義陣営の人間とは異なり、常に「人民」全体のことを考えている人たちによる美しい運動であるとして賛嘆し感涙にむせんでいるひとがたくさんいた。
 林達夫氏が「共産主義的人間」でいう、「私は政治について人から宣伝されることも人に宣伝することも好まない。どぎつい政治的宣伝は、たといその中に幾分の正しさを含んでいる際にも私にとってはやりきれない心理的攻撃であって、ことに共産主義者のそれは私を決して中立的にじっとさせておいてくれない点で身にこたえる。このわかり切った「真実」を自分で考えてみるなどは持っての外だといわんばかりにぐんぐん肉薄してきて、有無を言わさず「イエス」を言わせようとするのである。」 というような「空気」を、熊代氏は実感としてはほとんど感じることはなく生きてきたのではないかと思う。
 本書で何回もくりかえされるフレーズである「資本主義、個人主義、社会契約の三位一体」というのが、熊代氏にとっては、動かすことのできない世界についての自明の前提とされているようであるが、それが少しも自明ではなかった時代を知っているわたくしには、それは随分と軽い言葉に感じられる。
だが、わたくしにとっては軽く感じられる「資本主義、個人主義、社会契約の三位一体」というフレーズは、氏にはとても重くせまってくるようなのであり、それが「自分で考えてみるなどは持っての外だといわんばかりにぐんぐん肉薄」してきていると氏は感じていて、それが重苦しくてたまらず、その三位一体がもたらす「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会」に言いようのない窮屈さを感じて、それで、このような本が書かれることになったのだと思われる。
 現在の新型コロナウイルス感染の流行下で、様々なところで「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会」への運動の呼びかけがなされている。同時にそれへの反発もまた様々なところから表明されているが、本書はそのような新型コロナウイルス感染流行の便乗本ではない。もっと深く著者の根っこに存在するのであろう「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会」への生理的な違和感に発している本である。
 もう一つ、第一章の出だしで、安倍首相の「美しい国」論を「秩序の行き届いた景観」といった面でのみとらえているのにも違和を感じた。安倍首相がいっている「美しい国」というのは倫理的に美しい国とか人間同士の相互信頼がある国とかいうことであるはずで、「夫婦相和し、子は親を大事にし」といった方向を意識したものであるはずである。一言でいえば、大君の元でみなが和気あいあいとしている争いのない調和の世界である(爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦󠄁相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博󠄁愛衆ニ及󠄁ホシ學ヲ修メ業ヲ習󠄁ヒ・・・)。
 わたくしは熊代氏とは異なり、今の東京は美しい町であるとは少しも思わない。東京の景観はかくあるべしという共通の美意識がわれわれに共有されているというようなことはまったくないだから、いくら清掃が行き届いていても、それだけでは美しく街、美しい国にはならない。
わたくしが海外にはじめていったのは、30歳過ぎに小さな国際学会に参加するためにいったドイツのマールブルグである(恥ずかしながら、その時はこの大学町にハイデガーアーレントが暮らしたことがあることなどまったく知らなかった)。着いた時、映画のロケか何かのためにつくられたセットではないかと思った。百年・二百年前の街並みを残そうという強烈な意思がそこに住んでいるひとになければ、あのような景観ができあがるはずがない。それに対して、街並みはかくあるべしという共通の思いはわれわれ都民には一切ないのだから、東京はてんでんばらばらのただただ乱雑な街になるほかはない。
 そして、本書の一番の問題は、熊代氏個人がそのように現在の日本社会を重苦しく窮屈に感じているからといって、あらゆる人が「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会」に不自由を感じて当然だと氏はしていない点である。「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会」にわれわれの社会がなったことそれ自体はよいことではあるが、それでもそれにはこういう負の側面もあるといったように議論が屈折して進んでいく。
 たとえば、第3章の「健康という“普遍的価値”」は、「かつては喫煙に寛容だった日本社会」のことから論がはじまっている。それに対して昭和時代の日本は喫煙にはるかに寛容な社会であったことがいわれる。
 私が医者になりたてのころは禁煙については平山雄氏が孤軍奮闘している感じで、学会で氏が講演したりしていると周囲は「あっ、またあいつか!」というような反応で、変人・奇人あつかいであったような記憶がある。氏はおそらく世界ではじめて受動喫煙の害を主張したひとなのではないかと思うが、氏の論文には杜撰な点も多くあることも指摘されているようである。しかし、タバコが無害であるとか有益であるというような論旨の論文は現在では医学雑誌には絶対に採用されないそうであるから、この点については今後も検証されないままでいくのだろうと思う。
 明治・大正から昭和の戦前までは成人男子のほとんどは帽子を冠っていたそうである。実際、その頃の写真をみるとそうである。タバコも同じようなものではないだろうか? 単なる風俗? そしてまた、戦前昭和までの日本が軍事国家であったということが喫煙にも深くかかわっていたのではないだろうか(例:恩賜の煙草)。戦場ではタバコはほぼ必需のものであったようである。宮崎駿氏の「風立ちぬ」に喫煙場面が多すぎるという無粋な抗議を日本禁煙学会がしていた。わたくしはその映画を見ていないが、ゼロ戦開発者を主人公にしたアニメらしいから、喫煙場面が多いのは当然である。映画「カサブランカ」から喫煙画面を削除したらもうほとんど何も残らないのはないだろうか?
 今年の六月から喫煙に関しては日本でも規制が強化されたが、それでも世界のなかではまだまだずっと寛容なのではないかと思う。現在の嫌煙志向のたかまりを熊代氏は今われわれのまわりにある健康志向の典型例として提示するのであるが、氏はそれがでてくる背景として統計学と生理学の発展があることを指摘する。1970年代から生活習慣病のリスク因子が特定されていったことが、現在人の健康志向を形成したというのである。
 しかし、以下に書くように、1970年代の日本人はまだまだ短命で、頑張って禁煙しても長寿など期待できなかったわけである。タバコが戦場の戦士にとってのほぼ必需品であったように、高度成長期の企業戦士たちの多くにとってもまたそうであったということなのではないだろうか? クラインという臍曲がりのフランス文学者は「もし煙草がほんとうに健康によいのであれば、それを吸うひとなどごくわずかになる。」「もしも煙草が健康によいものであれば、それは崇高ではなくなる」、と「煙草は崇高である」で言っている。
 現在の禁煙運動を主導しているのはWHOであると思うが、その本当の目標はタバコではなくアルコールなのだそうである。つまり世界からアルコールをなくしたいらしい。禁酒の方向である。禁酒法は背景にピューリタン的(特にメソジスト派?)志向をもっているが、わたくしは禁煙運動も単なる健康志向の運動ではなく、一種宗教的な清潔志向のモラルの運動から発していると思っている。それで、とにかくピューリタン的なものが嫌いなわたくしとしては、禁煙運動も嫌いということになるし、禁煙運動に熱心なひとというのはエクセントリックでバランス感覚を欠いたひとが多いという偏見を持っている。
そういうわたくしにとっては、当然「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会」はとても居心地が悪い社会である。だから「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会」はもう原理的に不自由な世界であることはわたくしにとっては一切証明不要の自明なことなのであるが、熊代氏にとってはどうもそうではないらしく、ある程度までは正しいが行き過ぎると問題がおきるのだという方向に議論が屈折して進む。だから微温的で歯切れが悪い。
 「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会」というのはとてものっぺりとした世界で、だからそこからはクラインもいうように偉大とか崇高という言葉が消えてしまう。そこには「悪」というものもなくなってしまうのであるから、タバコも必要とされなくなる。
 というように見てくれば、「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会」の住人というのはニーチェが「ツァラツゥストラ」でいう末人なのである。「われわれは幸福を発明した 「末人」はそう言ってまばたきをする。彼らは生きるのに厄介な土地を見捨てる。温暖が必要だからである。彼らはやはり隣人を愛している。隣人にからだをこすりつける。ぬくもりが必要だからである。病気になることと不信の念を抱くことは、かれらにとっては罪と考えられる。かれらは用心深くゆっくりと歩く。石につまずく者、人間につまずき摩擦を起こすものは馬鹿者である!(「ツァラツゥストラはこう言った」)」。
 本書での熊代氏はきわめて微温的なツァラツゥストラなのだけれども、健康を志向する「末人」たちは、すでにニーチェの時代に大量に発生していたわけである。だから、医療統計学と生理学の知見が現在の健康志向を生み出したとする氏の主張には納得しがたいところがある。ニーチェにいわせれば「キリスト教邪教です」ということになるのだから、それはほとんど西欧世界のある部分が必然的に招来させるものなのである。
 昭和20年頃の日本人の平均寿命はおそらく50歳台のはずで、当時の主な死因は結核であった。そして、それが次第に克服されてくると今度は脳卒中が主な死因となり、それが減るとその後増加するはずの心臓血管障害がなぜか日本ではあまり増えず、そのため悪性腫瘍が現在の主たる死因であるが、いずれ老衰が主たる死因となるだろうといわれている。
 結核をふくむ感染症死は低開発国での低栄養に起因する病気であり、脳血管障害は中程度開発国のやや栄養状態が改善した状況での一番多い死因である。それが克服されると今度は栄養過多による心臓血管疾患が増えてくるはずであるが、なぜかそれがないことが日本を長寿国にしているといわれる。
 その経過をふりかえるなら、戦後のきわめて貧しい時代から現在の飽食の時代まで日本が豊かになるにつて、国民の栄養状態が着々と改善してきたことが、長寿化の最大の寄与要因であることがわかる。(飽食の時代で増えるはずの心臓血管疾患がなぜかわが国では少ないのかは、日本人が魚を多く食べるためなのだそうである。) とすれば、別に医療の進歩が日本人に長寿にしたわけではない。
 結核死が死因のトップであるような短命が普通の時代に、タバコは健康に悪いなどという寝言のようなことを言っても相手にされるわけがない。われわれが健康に気をくばるようになったのは、われわれが長寿を当たり前と思うような時代になったからで、そもそも統計学の研究ではじめて認識される生活習慣病のリスクファクターなどというものは個々の患者をみることが前提の臨床の場では感得されえないものである。
 とすれば、メタボリック・シンドロームの健康指導などというのは医療者にとって、まことに手ごたえのないもので、そういうことが話題になること自体、臨床の場ではもうあまりやることがなくなってきているということを示しているのだと思う。
 熊代氏が専門とする精神医学の分野でも、発達障害のような従来は疾患とも認識されていなかったものが疾患とされてきていることに氏は両価的な立ち位置であることを表明しているが、末人たちが理想とした「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会」はわれわれが豊かになったことの代償として得られたものである以上、氏はそれを完全に否定することはできず、そうかといって豊かになったことの代償として得られたものがあまりに平板で手ごたえのないものであることに氏はいらだっているのだろうと思う。
 司馬遼太郎氏は「人間の集団について」で、ある友人(元曹長憂国の士のかたむきがある人)が電車の中で笑いさざめいている若者を見て、その目にまったく力がなかったことを慨嘆したというエピソードを紹介して、以下のように書いている。「日本は弥生式農耕が入ってきて以来、さまざまな時代を経、昭和30年代の終りごろになってやっと飯が食える時代になった。日本人の最初の歴史的経験でありその驚嘆すべき時代に成人して飢餓への恐怖をお伽噺としか思えない世代がやっと育ったのである。いま国家的緊張はなく、社会が要求する倫理は厳格さを欠き、キリスト教国でないために神からの緊張もない。こういう泰平の民が、二千年目にやっとできあがったのである。目に力を失うというのはそういうことであり、人類が崇高な理想としている泰平というのはそういうものであり、泰平のありがたさとは、いわばそういう若者を社会が持つということかとも思われる。」
 司馬氏は三島事件の時、それを強く批判したが、氏にとっては戦後の日本が悪戦苦闘の上にようやく勝ち取った「目に力を失って」も生きていけるという幸福を三島氏がいとも簡単に否定しようとしたことが許せなかったのであろう。しかし炉端の幸福などというものにはただ嫌悪しか感じなかっただろう晩年の三島氏には、そんな批判がとどくはずもなかったであろうが。
 飢えの恐怖から解放されれば、若者はたとえば「自分探し」とかにむかうことになり、その一部はこじらせて熊代氏の外来に患者として表れるかもしれない。また一部の高齢者はすべての目標を喪失して、ただひたすら長寿を目指すことになるのかもしれない。
喜多愛郎氏が「近代医学の史的基盤」の最後に「人の生命のまことに重いことは言うまでもないけれど、それとても何にもまして貴いものではない。そうみなければ、しばしば人が病をおしても没頭する事業なり天職なりの意味を了解することができないだろうし、さらにはまた、さまざまな状況において、生命を冒して当為に、あるいは信仰に殉じる英雄的な人の行為は、むだな所業でしかないだろう」と書いたのは1977年(昭和52年)である。まさに著者が生まれたころである。しかし今では「しばしば人が病をおしても没頭する事業なり天職」などと言われても、多くのひとには何のことやら、であろう。こういう見方こそが戦前、多くの若者を戦地においやったというひともいて、こういう見方に嫌悪感を示すかもしれない。
 前にもどこかで引用した養老孟司さんの本にある中国人の留学生やドイツの学生やスリランカの僧侶が異口同音にいったという「日本人は生きられませんから」という言葉。世間で生きることはできるが個人で生きることができない日本という国の問題にも本書はつながっていると思う。
 明治期に日本が西欧に見たものは「国家」と「個人」である。そのうちの国家については何とか西欧なみの国家に成り上がろうと悪戦苦闘して、大東亜戦争で自滅した。そしてこれからはもう日本は西洋渡りの国家であろうとすることは永久に望むことはしないということを宣言して、そこで考えることをやめて眠りについた。
 個人については、要するに「自分の頭で考える」ひとは世間と同調できず、世間から排除された。それはある時期には「飢え」に直結することさえあったかもしれないが、昭和30年代の終わりには日本はついに「飢え」の問題を克服した。そうであるなら、もっと伸び伸びと「自分の頭で考えればいい」だけのはずである。
 西洋最大の発明は「個人」であり、西欧がわれわれにもたらした最良の部分が啓蒙思想である。それはまことにひ弱なものであって、わずかの力で簡単に蹂躙されてしまう。しかし、それにもかかわらず、ナチスの時代のドイツでも、毛沢東の中国でも生き残ったし、現在の習近平の中国でもおそらく生き残るであろう。そしてトランプ大統領下のアメリカにおいても。
 書かれてしまった書物、表明されてしまった考えというのは現在ではもはやなかったことにすることはできなくなっている。
 熊代氏のこの本を読んでいると、一昔前に流行したポスト・モダン思想にどこか通じるようなテイストを感じる。しかしきわめて微温的で腰のひけたポストモダニズムであるが。
 ポスト・モダン思想は近代の「明るさ」への反抗であったのだと思う。人間なんて暗くてもっとどろどろしたのもなのなのだぞ、と。「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会」というのはわれわれの社会にいよいよ顕在化してきているモダンの側面である。
 そこに敏感に反応するひとはたくさんいる。「明るさは滅びの姿であろうか、人も家も、暗いうちはまだ滅亡せぬ。」(太宰治「右大臣実朝」)
 熊代氏のいう「資本主義、個人主義、社会契約」のうち、資本主義というのは積極的な主義主張ではなく、市場経済体制という経済の運営の仕方であり制度の問題であり、それ自体には価値判断はふくんでいないように思う。
個人主義というのがリバタリアニズムの方向を指すのかが本書を読む限りではよくわからない。コミュニタリアニズムの誘惑を否定できていないように感じるからである。
社会契約という言葉が本書でどういうことを指すのかも見えなかった。ミルの功利主義を念頭においているようであるが、そこからリバタリアニズムにむかうわけではない。ここ に言及されていないのが孤独という問題であると思った。
 「我々は結局は、皆孤独なのである。そしてこの孤独という我々の基本的状態は、我々がいやだからと言ってどうすることもできるものではない。(リンドバーグ夫人「海からの贈物」)」のであり、個人というのはまことに弱いものである。だから、「偉大な創造的行為やまっとうな人間関係は、すべて力が正面に出てこられない休止期間中に生まれるのである。私はこういう休止期間がなるべく頻繁に訪れてしかも長くつづくのを願いながら、それを「文明」と呼ぶ。(フォースター「私の信条」)」ということになるのだが、しかし、いまは「力が正面にはでてきていない」時代である。そうはいっても、そこには「無言の圧力」があるではないか。それが鬱陶しいと、と熊代氏はいうわけである。
 現在程度の「無言の圧力」で苦しくて仕方がないのであれば、「力が正面にでてくる時代」になったらひとたまりもないのではないかと思う。言論の自由とは何も言っても保護されるという意味ではなく、言論を暴力で封じるような行動は犯罪として処罰されるというだけのことである。それは現在のわれわれには保障されているが、現下の中華人民共和国ではそうではない。つまり今のわれわれが空気の存在と同じように当たりまえと思っていることは長い苦闘の産物としてはじめてわれわれの間で存在してわけで、すこしも自明のものではない。
 わたくしは高校のころ、当時のマッチョな雰囲気が嫌でたまらず、組織の中の人間になることから逃げて、独立事業主の一つとしての医者になることを選んだ人間である。そういうヘタレであるから、他人のことをとうやかくいえる人間ではない。
 医者になる人間のかなりは別に医療に崇高な使命を感じたわけではなく、ひとの顔色をうかがうのが苦手で、他人に頭を下げるのも業腹というようなひとであるように思う。特に医療のメインストリームからは外れている精神科医にはそういうひとが多いのではないだろうか? 熊代氏のようなひとが「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会」に不自由を感じるのは当然のことなのだと思う。しかし一方では「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会」に何の違和も感じず伸び伸びと生きているひともまたいるはずである。そういうひとに「お前は鈍い。この社会で生きて違和を感じない人間は鈍感なのだ!」などというはまったくの余計なお世話である。
 文章を書くというのは、自分の中にいるもう一人の自分と対話してそれによって自分の態度を決めていくことである。熊代氏がどのようなことを書こうと、それによって世の中が寸分たりとも変わる気遣いはまったくないのだから、熊代氏は安心してもっとラディカルなことを書けばいいのにと思う。
 本書の主張に何か弱いものがあるように感じるのは、時に氏が自分にではなく、他人にむかって語り出す(それも説教したいのを無理に抑えて、客観性の装いのもとで述べる)ためではないかと思う。
 本書を読んでまず感じたのが日本は平和だな、ということである。赤紙一枚で戦場に引っ張られていくようなこともないし、思想を監視しているものがいて、ある日問答無用で引っ張られるというようなこともない。
 西欧が我々に手渡してくれた最大の財産が啓蒙主義とその産物である「個人」であるが、その個人は「鍵のかかる部屋」を必要とする。昼間の明るさのなかでは処理できない暗い部分を「個人」は持つからである。おそらく現在の習近平政権が国民からとりあげようとしているのがそういう「鍵のかかる部屋」である。
 クンデラは「小説の技法」のなかで以下のように述べている。「つい最近まで、近代主義は紋切り型の考えやキッチュに対する非順応的な反抗を意味していました。現在では、近代性はマスコミなどの途方もない活力と混同されて、現代的であるとは時流に遅れないための、もっとも順応的なものたちよりもさらに順応的になるための狂おしい努力を意味します。私たちは、個人が尊重される世界(小説の想像世界とヨーロッパの現実の世界)が脆弱で滅びやすいことを知って」いるが、「個人の尊重、独創的な考えの侵しがたい権利の尊重、ヨーロッパ精神のこの貴重な本質」は小説の知恵の内にこそ一番よく感得されているのだ、と。鍵のかかる部屋の中で自分の暗い部分を育てていかないと、ヨーロッパ啓蒙思想がわれわれに残してくれた最良の遺産である脆弱な「個人」は簡単に消え去ってしまうわけである。
 「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会」が不自由なのは何よりもそこに笑いがないからである。そしてこの熊代氏の本の最大の欠点も、そこに笑いの要素が乏しいことにあるのではないか感じた。笑いがないと「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会」にいつの間にかとりこまれていってしまうのではないだろうか?

共産主義的人間 (中公文庫 M 97)

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  • 作者:林 達夫
  • 発売日: 1973/12/10
  • メディア: 文庫
近代医学の史的基盤 上

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運のつき 死からはじめる逆向き人生論

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フォースター評論集 (岩波文庫)

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