P・バーク「ルネサンス」

   岩波書店
 
 われわれが(わたくしがだけかもしれないが)常識的に抱いているルネサンス観は主として、19世紀半ばのブルクハルの「イタリア・ルネサンスの文化」に由来するものらしい。

 中世においては、人間の意識は、一つの共通のヴェールの包まれて、夢をみているか、半覚醒のままであった。人類は種族・民族・党派・家族・同業組合の構成員としてのみ ― ある一般的なカテゴリーを通してのみ ― 自己を意識していたのである。(しかし、ルネサンスのイタリアにおいて)このヴェールが最初に溶けてしまった。人は精神をもった個人になり、自己を自分自身として認識した。

 本書は現在の研究がこういうルネサンス観をもはや支持しないことを示すものである。著者もいうように、西洋文化ギリシャ・ローマ・ルネサンス大航海時代・科学革命・啓蒙主義・・という発展の歴史とみるような肯定的見方は現在では否定される。西洋のエリートの優越意識とされてしまう。ブルクハルトの見方は、ポスト・モダンの論者たちがこぞって克服しようとした「モダン」の典型的なものであるように思える。
 現在の研究者は、ルネサンス人は中世と隔絶していたのではなく、むしろ連続していたこと、ルネサンスは一回限りイタリアでおきたものではなく、中世において何回こころみられていたものであることを明らかにしている。
 いうまでもなくルネサンスとは古代の再発見であり、復興である。その点、イタリアは有利であった。古典ローマの遺物がたくさん残されていたから。
 吉田健一氏は「ヨオロッパの世紀末」で、17世紀末に古代と現代の優劣についての論争が解決した、といっている。ギリシャ・ローマの文明とその後のヨーロッパの文明のどちらがすぐれているかということで、ラシイヌやモリエールギリシャ・ローマの文学とくらべて遜色はないという自信をヨーロッパがもったということである。
 「篠沢フランス文学講義 1」で篠沢秀夫氏は、ギリシャ・ローマの作家たちにくらべれば、自分たちのものは全くおよびもつかないものであるという見方をルネッサンスの知識人たちは根強く持っていたとしている。「ギリシャ・ローマの時代に、すでにすべてのことは言われ、すべての美は実現されていて」、それにくらべれば今は全くの末世であるとしたのだと。篠沢氏はこれを『猿の惑星』であるといっている。「よく調べてみると、昔今より優れた文化が、この同じ土地にあったということ」がどれほどの驚きであったかと。さらに氏は、日本にもルネサンスがあったとする。それは幕末から明治の初めにかけての西洋の受容で、鎖国しているあいだに別世界では非常に文明が進んでしまっているのだという発見の驚きがそれなのであるという。
 本書で強調されるのは、ルネサンス人文主義者が(わずかな例外をのぞいて)キリスト教徒であったということである。ギリシャ・ローマに帰ろうとしたといっても異教の世界に帰ろうとしたのではない。(ブルクハルトは異教徒として描きがちであった。)かれらの望みは、近代キリスト教徒であることをやめずに、古代ローマ人になることであった、と。古代の復興とは決してキリスト教に取ってかわるものとして意図されたものではなかった。とすれば、中世と断絶したルネサンスという像はあやしくなる。
 ルネサンス期の都市の支配集団は、自分たちを古典ローマ時代の「コンスル」や「貴族」とみなすようになり、町の議会を「元老院」と見、たとえばフェレンツェという都市を新しいローマと見なすようになった。
 ルネサンスはイタリアだけでおこったわけではない。油彩の技術はネーデルランドで発達し、音楽もネーデルランドのほうが卓越していた。散文フィクション(著者は小説という言葉を避ける)の世界でもイタリアの外で発展がみられた。
 古代への熱狂をさますのに力があったものは「17世紀科学革命」であった。そこではもやは古代に学ぶものはなかったから。「近代人」はしだいに「古代人」への優越を感じるようになったのである。
 
 わたくしがルネサンスという言葉から思いうかべるのは、ダヴィンチであり、そのイメージはヴェレリーの「レオナルド・ダ・ヴィンチの方法叙説」によっているのだから、ブルクハルトのものに著しく近いのは仕方がないことなのかもしれない。そういう歪みを修正するために本書はいたって有用なものであった。
 「大聖堂」や「治療文化論」を読んで、思い出して「ヨーロッパ史入門」の一冊の「魔女狩り」をとりだしてきたのだが、記載が細かすぎていやになってしまった。それで同じシリーズでよまないままになっていた本書をとろだしてきたら、今度は数時間で読めてしまった。このシリーズはそれぞれはコンパクトなものであるが、内容的にはすぐれたものが多い。
 

ルネサンス (ヨーロッパ史入門)

ルネサンス (ヨーロッパ史入門)

ヨオロッパの世紀末 (岩波文庫)

ヨオロッパの世紀末 (岩波文庫)

篠沢フランス文学講義 (1)

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