第11章は「自由意思」を論じる。現代脳科学は自由意思の存在を否定する、という話である。著者自身が実験台になって「経頭蓋磁気刺激法」という外部からの操作によって、自分の右手の人差し指が動いたり、中指や薬指が勝手に動いたという経験が書いてある。
人差し指や中指が動くのは脳のある部位の活動によってである。そこが刺激されれば指が動くというのはいたって当たり前の話である。しかし「経頭蓋磁気刺激法」によってではなく、日常の生活において、われわれの指が動くのはなぜかということである。脳の特定の部位を刺激しているものはなにか? わたくしが動かそうと思うから? では「思い」がどのようにして脳の特定の部位を刺激できるのかということである。ここでの問題は「思い」というのが物理学的な実体ではないように思えるということである。物理学的な実体ではない何かが物理化学的な因果を開始させることができるとすると、物理化学法則の普遍性が壊れてしまうことになる。とすると今はまだうまく説明できないけれども、われわれが思うということもなんらかの物理化学的に脳内におきている事象の結果なのであるとすべきである、そうでなければ宇宙の中でそこにだけ物理化学の因果を離れたものが残ってしまうから、大半の現代の脳科学者はそう考えていて、それを補強する証拠が着々と集まってきているということが、ここで説かれている。
こころ、意識、意思どのような呼び方をしてもいいのだが、とにかくそのようなものが存在しているとわれわれは感じている。そしてそれが脳の活動と関係しているであろうことも承知している(こころの座は心臓ではない)。脳がこわれるとこころのありようも変わる(有名なゲージの症例)。ある種の病気では脳の異常な活動により不随運動が生じる(癲癇など)。その動きは自由意思にはよらない。しかしブルックスというひとが「13の謎」という本を書き、わたくしが今ここでそれについての感想のようなものを書いているというのが不随意運動の結果とは思えない。それはブルックスというひとやわたくしの能動的な行動であると感じられる。それでは能動的というのはどういうことなのか? 単純な刺激‐反応系によるものではないということである。あるいはサルがでたらめにタイプライターをたたいた結果、偶然「ハムレット」という戯曲ができあがるようなことはないということである。
ここで自由意思の問題として検討されている問題は、本当は心身問題なのであり、自由意思はその一つの系に過ぎないのではないかと思う。N・ハンフリーは「喪失と獲得」に収載された「心身問題の解き方」で、進化とともに「刺激への体表に近い部分での局所的な反応」から「入力感覚神経」を介する反応をするようになり、やがて「脳という部位での私物化(刺激に反応がおこらず、ただ刺激があったということが知られる状態)」への進んでいくという筋道を示している。最初は単なる外界刺激への反射的な反応である。やがて入力感覚神経ができることにより、自分が今どういう状態にあるのかということに反応するようになり、やがて脳が発達すると外界がどのようであるのかを知るようになるという展開である。感覚から知覚へ。あるいは主観から客観へ。(もっともハンフリーは感覚の能動性ということを強調するだが。) ここで、感覚と知覚が同時に生じることが、問題を混乱させているのだと。
ハンフリーは、現代の脳科学の知見は脳と心が相関しているという帰納的な知見を提供しているだけであり、なぜ脳の活動から「心」が生じるのかを示しているわけではないことを指摘する。つまり脳科学は統計的な事実を提供しているだけであって、因果関係や論理的な原理を示すという演繹的な説明はできていないということである。この脳の状態がこの精神状態を生み出す理由は提示されていない。
それでハンフリーがとにかくもその探求に踏み出すために必要であるとしてのは、脳を記述する言葉と心を記述する言葉をなんとか通訳していくことである(ハンフリーの言葉では「次元の一致」)。こころというものを体の表面で感じられた状態への生き物の反応と連続しているものととらえること。わたくしもまたハンフリーの行き方しかないだろうと思う。
いきなり自由意思などという言葉を持ち出すのがいけないのではないだろうか? 「自由意思」というのは人間に特有なものを指すように思える言葉である。本書でもカントなどがいきなりでてきて、「神と魂の不滅と自由意思の問題だけが人間の知性を超えている」などということがいわれている。いたずらに神秘的になってもらっては困る。そういう議論を脳科学の場に持ち出すのは混乱を助長するだけではないかと思う。本章で主として論じられるのは有名なリベットの実験である。自分がある行動をしようと意思する前にすでに脳では活動がはじまっていることを示したものである。しかしウマがある動きをするときにその動きの前に脳の事前の活動があるはずである。では、ウマは動こうという自由意思のもとで行動しているのであろうか?
ユキスキュルは「生物から見た世界」で「イヌが歩くときは、この動物が足を動かすが、ウニが歩くときは、その足がこの動物を動かす」といっている。イヌは自由意思によって歩いているのだろうか? 自由意思などという言葉を持ち出す必要はないので、要するにウニは中枢神経系をもたず、イヌもウマも中枢神経系をもっているというだけのことである。
リベット自身は自分の実験から自由意思の否定のような論がでてくることを警戒し、「意識をともなう精神場」などという奇妙な提示しているらしい。精神などという用語がでてくるのが困る。
山本貴光氏らの「心脳問題」ではソクラテスが牢獄に入ったのは「アテナイ人が彼を有罪とし、それを彼がうけいれたから」という説明と、「ソクラテスの身体の骨と腱と筋肉の運動によって」という説明の二つを並置し、この骨と腱を脳内の分子の運動におきかえても問題は少しも解決しないというようなことを述べている。しかしなぜソクラテスが牢獄にはいったかを脳科学で説明せよというのは、無茶な議論であるように思える。
吉田武氏の奇書「虚数の情緒」に梅沢博臣という人の「量子脳力学」というのが紹介されている。最近ではクリックらの論であろうか? それらを議論を理解する能力をわたくしはまったく欠いているが、そのようなものによっても具体的な個々の生き物がなぜそのような行動をしているのかを理解することはできないであろう。
われわれは地球が太陽のまわりをまわっていることを知識としては知っていても、実際には陽が上り、陽が沈むという実感を否定することができない。われわれが自由意思であると思っているものが実際には脳のある活動の結果なのであるということになっても(事実そうなのであろうが)、自分が自分の意思で行動していると感じることを打ち消すことはできないであろう。われわれの脳はそのように感じるように作られているのであり、そのように感じることが利点であったからこそわれわれは生き延びてこられたわけである。
「心脳問題」では「日々の日常的な経験」と「脳科学が提出する知見」とのあいだに生じる対立ということがいわれている。これをライルは「ジレンマ」と呼んだ、と。ライルがいう「カテゴリー・ミステイク」というのと、ハンフリーがいう「次元」というのはどこかで関連しているように思う。あるいは養老孟子氏は、「(生物学者も)自分は機械だとは本当のところ思っていないし、あの女に惚れたのはホルモンの故だ、とは思っていない」といっている。ニューロンの中の電気信号の動きがそれをさせているのであろうが、ニューロンの配線がどうなっているのかは、それまでのその人の生きてきた結果すべてによって決定されている。もちろん、ニュ―ロンの結合は物理化学的な法則によっておこなわれるのではあるが。
機械の中に幽霊を探すのは滑稽なのであろうが、生物という機械は中枢神経系を作り出すことによって自分の生きてきた過去の総体を自分の内にとどめることをできるようになった。その総体が幽霊のようにもみえるということなのではないだろうか?

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