今日入手した本

  

渋沢栄一〈1〉算盤篇

渋沢栄一〈1〉算盤篇

渋沢栄一〈2〉論語篇

渋沢栄一〈2〉論語篇

 以前、佐野真一氏の「渋沢家三代」を読んで面白かったので。鹿島氏のことだから大いに女性関係を論じているのかと思ったら、いたってまっとうな伝記のようである。
 
第二次世界大戦の起源 (講談社学術文庫)

第二次世界大戦の起源 (講談社学術文庫)

 いろいろなところで本書の名前を目にすることがあるので買い求めた。この細かい活字の500ページ近い本をこれから精読することがあるのかはわからないけれど、訳者解説によれば、ヒトラー大戦争を計画的に準備したというような体系家ではなく、ドイツの栄光をまもるためにその時々の相手の弱点をつくことをもっぱらにしたオポチュニストにすぎないという主張の本らしい。現在ではファシズムという言葉はほぼ絶対的な悪を指すものになっていて、相手をファッショであるということでそこで議論が終わってしまうことが多い。しかし、ともかくもヒトラーという人間が政権をとることができたのだから、そこにはドイツ国民の支持があり、周囲の国々の対応のまずさもありといったさまざまな因子が複雑にからみあっているはずで、単にヒトラーが悪の天才でしたといったことで終わってしまってはいけないのだろうと思う。
  日々医療をおこなっていて、日本の医療はこれからどうなってしまうのだろうと思う。どうにもならないのだろうと思う。結局、社会保障という制度は経済が右肩上がりでないとなりたたないもので、現在のような経済状態であれば、どのような工夫をしても明るい方向がみえてくるということはないのだろうと思う。
 あちこちで水漏れがおきてくるだろうが、なんとかそれを少しでも少なくし、それが大きな決壊に至らないようにだましだましいくしかないのではないかと思う。当然そうなれば現場にしわがよってくる。しかし日本の経済の不調はいたるところに問題を生じさせているはずで、社会のあらゆるところで人々が疲労困憊している。医療崩壊とか看護崩壊もその大きな崩壊の局所の雪崩の一つとしておきているのだから、医療や看護というせまい範囲での対策でどうにかできる問題ではないのではないだろうか?
 かろうじてまだ事態が完全な破局にいたっていないとすれば、それは現場にいる人間になんとか「志」がわずかでも残っているからであろう。内田樹氏がいう雪かき仕事をする人間がまだいなくなってはいないのである。そしてどのような世の中になっても、雪かき仕事をする人間はゼロにはならないだろうと思う。そういうひとがシジフォスとして、転がりおちてきた石をまた押し上げる仕事を黙々と続けていくのであろう。それが崩壊をなんとか少しでも遅らせることにかすかな希望を抱くしかないのではないかと思う。