アゴタ・クリストフ「悪童日記」

 
 数日前の新聞にアゴタ・クリストフの死が報じられていた。クリストフの「悪童日記」が日本で翻訳出版されたのは1991年らしい。出版されてかた評判になるまでは少しかかったらしいが、翌年くらいにはその評判がわたくしの耳にもはいっていた。だが、東欧の動乱を冷たく生き延びるふたごの兄弟の話というようなこときいて、戦乱で虚無的になった青年がエゴティストとして生きるという例の話かと思い敬遠して読まなかった。三島由紀夫の亜流みたいな小説なのではないかと勝手に決めつけてしまったわけである。それでもしばらくして読んでみることにしたきっかけはもう覚えていないが、読んで衝撃を受けたことはよく覚えている。誰でもそうなのであろうが、あの文体である(もちろん翻訳で読んでであるが)。「長い間、ぼくらは歩く。おばあちゃんの家は、駅から遠い。〈小さな町〉の、駅と反対側の端にあるのだ。この町には、路面電車も、バスも、自動車もない。道を行き交っているのは、いく台かの軍用トラックだけだ。」
 こういう文体になった一つの理由は、著者が亡命者であり、フランス語がネイティブではないということにあるのであろうが、歴史も文化もすべて失われてしまった荒廃した世界を描く文体を著者は発見したわけである。

ぼくらが記述するのは、あるがままの事実、ぼくらが見たこと、ぼくらが聞いたこと、ぼくらが実行したこと、でなければならない。
たとえば、「おばあちゃんは魔女に似ている」と書くことは禁じられている。しかし、「人びとはおばあちゃんを<魔女>と呼ぶ」と書くことは許されている。

 「そもそも事実とは何か」「事実といったものはあるのか」といった腑抜けたポストモダン的な議論は、ここでは端から相手にされていない。そういう議論がでてくる前提である爛熟した世界とはまったく別の世界をあつかっているわけである。これが面白かったので、「ふたりの証拠」「第三の嘘」「昨日」「怪物」などというのも読んでいった記憶があるが、やはり圧倒的なのは「悪童日記」であった。その後の小説は自己模倣に陥ってしまっているように思う。この「悪童日記」の手法は一発勝負の発明であって、日本でいえば「楢山節考」のようなものかもしれない。「楢山節考」は文明をからかう土着であり、「悪童日記」とは位置がまったく違っているが、食べる排泄する眠るという根源的な生活だけを即物的に描くことで「悪童日記」は文明世界の飽和の中で行き詰っていた小説への爆薬のような役割を果たすことになったのであろう。しかしアンチというのはそれが対応するものの存在を前提にしているのであるから、どうしても一発勝負になり、それ以降は自己模倣にならざるを得なくなるのであろう。
 「悪童日記」の現題は「Le Grand Cahier」である。「大きな手帳」「大きな日記帳」といった意味であろう。当時まったく無名であった作家の小説の題名が「大判のノート」などというのでは誰も買ってくれないだろうから「悪童日記」という題名になったのはやむをえなかったのであろうが、この小説の主人公である双子の兄弟はどう考えても、日本語の悪童というイメージからは遠い。せめて「双子の日記」とでもしたほうがまだよいように思うが、それもやはりひとを惹きつける題名ではないないのであろう。
 

悪童日記 (ハヤカワepi文庫)

悪童日記 (ハヤカワepi文庫)