今日入手した本

 
戸田山和久科学的実在論を擁護する」

科学的実在論を擁護する

科学的実在論を擁護する

 戸田山氏の「哲学入門」はわたくしにはまったく取りつく島がないような本であった。その一番の理由はその本がどのような問題意識のもとに何を考えることを目指しているのかということが一切提示されないまま、「哲学」が存在するということがアプリオリ?に前提され、どんどんと議論が進んでいくという構成にあった。著者にとってわかっていることを、まだわかっていない読者に教えを垂れるという姿勢で、そうであれば、そこでは考えるということがなされていない。
 本書は題名に目的が明示されているし、本文第一行から問題意識がすぐに提示される。本書で論じられることが意味があることであるのかはわからないが、おそらく科学をおこなう人間にとっては無縁の話で、哲学界内部でのみ有意味な論が展開されている可能性が高いような気がする。(まだ読んでいないので、あくまで事前の偏見)
 わたくしにとってこの分野で唯一関心があるポパーも論じられているのかなと思って、巻末の索引をみてみたが、出ていなかった。現代の哲学の世界ではポパーはまったく相手にされていないのかもしれない。理科系のひとには信者が多いのだが。
 文体は簡潔で姿勢は謙虚。おちゃらけた文体で偉そうであった「哲学入門」とは大違いである。学会内部での書き方と一般読者向けの本での書き方は異なるということなのだろうか?
 
D・C・デネット「思考の技法」
思考の技法 -直観ポンプと77の思考術-

思考の技法 -直観ポンプと77の思考術-

 デネットの本はだいたい買うようにしている。(読んだのは半分くらいかもしれない。) 進化論を背景に議論が進む本が多いのでわたくしにもとっつきやすいということがあるのだと思う。デネットの他の本と同じように大部である。議論が冗長でもう少し簡潔に書いてほしいと思うことが多いが、この本もちらっと覗いた限りでは相変わらずの印象。「はじめに」の最後に「いつもながら、わが妻スーザンに感謝と愛を捧げる。私たちは五〇年に渡るチームであり、私たちが共に行ってきたことは、私が行ってきただけではなく、彼女が行ってきたことでもある。」とある。こういうのが苦手。アメリカの学者世界ではこういうのが「サイエンティフィカリイ・コレクト」な書き方なのだろうか?