今日入手した本

 山田風太郎司馬遼太郎坂口安吾などの明治をあつかった小説などを論じた文を収めたもの。山田風太郎に肯定的、司馬遼太郎に否定的。山田風太郎の評価については共感。司馬遼太郎の評価についてはそもそもその小説をほとんど読んでいないからなんともいえない。いずれにしても、山田風太郎の見る明治と司馬遼太郎の見る明治は正反対であろうから、読んだら渡辺氏に与することになるのかもしれない。
 山田風太郎の明治ものを読んでいると、江戸と地続きの明治というのがリアルに描かれていて、そうだったのだろうなあと思う。司馬氏は明治期に新たな出発をした日本というのが史観の根本であろうから、吉田健一という文明開化のひとを師匠とあおぐわたくしとしては司馬派にならなくてはいけないのかもしれないが、山田風太郎の明治ものはとにかく面白く共感をさそうのである。山田風太郎のものは暗い明治、司馬遼太郎のものは明るい明治。暗いほうをわたくしは好むのだろうか?
 司馬遼太郎はほとんど読んでいないけれども、司馬、山田両氏ともに凛とした人間を好んだという点では共通したものがあったのではないかという気がする。「表には冷笑的で皮肉な態度を保ちつつも、この人の胸底には人間のもつ真率で純粋な熱誠に感動する熱い心が匿されていて、折りにふれて露頭せずにいない。・・この人間の尊い熱誠が歴史という怪物によって踏み躙られるとき、彼の最高の作家的情熱に火がつく」(p64)というのが渡辺氏の山田風太郎賛美なのだが、山田氏は敗北の側のひとに共感し(変革期の混沌を名も無き者の立場から直視しようとする史観(p7))、敗者の意地のようなものを書くときに一番冴え渡るひとだった。司馬氏は基本的に明るいひと、建設の側のひとだったのだろうと思うが、それでも晩年は日本人の劣化に絶望していたらしい。
 最近のいろいろな報道を見ていると「人間のもつ真率で純粋な熱誠」といったものがこの国から失われようとしているのではないかと感じることが多い。何だか大袈裟な表現だが、なに、「武士に二言はない」(p41)といった「古い倫理、愚直な一途さ(同)」といったものが片鱗でも残っているかといった程度のことなのである。どうもそれが非常にあやしくなってきているように思う。
 
哲学入門 (ちくま新書)

哲学入門 (ちくま新書)

 こういうタイトルだが、科学哲学についての本である。かなり大部な本であるが、チューリング・テストから、人工無脳マシン、サールの「中国語の部屋」あたりだけで30頁も使うのだから、そうなってしまうのも仕方がない。議論はかなりくどい。著者が自分が語っていることを面白くて仕方がないと思っていることだけはよく伝わってくるのだが、まったく予備知識がないひとがここでの議論についてこられるかというと疑問のように思う。こういう問題に関心を持つごく一部のひと以外には、いくら噛み砕いて書いてあるといっても、それでも業界仲間の身内の議論のように思えてしまうのではないかと思う。ジャーゴンはいくら平易な言葉に変えてもはやはりジャーゴンなのである。そうであるなら、デネットなどの原著にあたったほうがずっと理解が進むのではないかと思う。
 印象としては大分以前に読んだ山本&吉川の「心脳問題」という本に近いものを感じるが、「心脳問題」のほうが唯心論のほうにまで目配りをしていたのに対し、本書は唯物論が正しいという前提からスタートしているので、本当は唯物論という過激な見方を決して採用してはいないであろう大部分の読者は、読んでいて途方にくれてしまうのではないだろうか?