山田風太郎「昭和前期の青春」

    ちくま文庫 2016年1月
 
 2007年に筑摩書房から刊行された「山田風太郎エッセイ集成」の一冊を文庫化したのもの。
 中に「気の遠くなる日本人の一流意識」という文がある。そこで山田氏は、日本人の目標は何なのかと問い、明治以来の日本人が示した、よくいえばヴァイタリティ、悪く言えば蛮性は、「日本人が二流の地位に安住し切れない民族」ということから来たのだと書いている。
 どこの民族にもある感情かもしれないが、「自分が一流でないことを自覚し、それゆえに一流への願望の熾烈なこと」において、日本人は類を見ないような気がすると山田氏はいう。
 その「自覚の哀れ」と「願望の烈しさ」が明治以来の(特に)男を作ってきたのであり、だから「大人の風格」「満ち足りたおだやかさ」が日本人にはほとんど見られないのだ、と。そこから「文化」の問題がでてくる。貧しければ文化どころではない。しかし、富んだからといって自然に「文化」ができてくるわけでもない。
 明治から昭和前期までの「強兵」、昭和後期の「富国」、そのどちらからも「文化」は生まれてこなかった。「強兵」のための《進め一億火の玉だ》は「富国」の時代になっても変わっていない。
 山田氏は、昭和前期の「貧しさ」と「あの大軍備」ということをいう。「まるで、きちがい沙汰である」と。昭和前期の日本人には、すでに憑き物がとりついていた、と山田氏はいう。これはしかし昭和にはじまったことではなく、黒船のショックから日本にとりついたのだ、と。
 ここが司馬遼太郎史観と山田風太郎史観がわかれるところで、司馬氏は明治はよかったが昭和でだめになったというのに対して、山田氏は明治から昭和前期は一貫しているし、昭和後期もまた一見しては正反対になったように見えるけれども、それでも変わっていないとするわけである。「まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている」といった可憐な小国けなげな国日本という見方はとらないわけである。開化をむかえようとしたのではなく、無理やり開化させられたのである。
 黒船ショックで日本人は恐怖と賛嘆の二つの気持ちを同時に持った。植民地化するアジアを見て、「あれをやられたらたまらない」だからこそ「あれをやれる立場になりたい」。それで「富国強兵」がとりついた。福沢諭吉も鷗外も漱石もその点では変わらなかった。ほとんど日本人の総意であった。しかし富国も強兵ものどちらもは無理。それでもっぱら強兵に走った。貧乏だけど強兵。だから戦争が常態化していても、その当時はみな当然のことと思っていた。
 敗けてはじめて狐憑きが落ちた。黒船以来の百年の総勘定があの大敗戦なのだった。太平洋戦争は明治以来日本が走り続けてきた道の総決算だったのではないか? アメリカ・中国・ソ連(つまり当時の世界列強の大半)を相手に戦うという無謀と奇怪をとにかくもしたのである。真珠湾攻撃の報をきいてイギリスのチャーチル周辺では「日本は気でも狂ったのか」という声があがった。
 敗戦直後から、日本人からひとしく「負けてよかった。勝っていたら大変だった」というつぶやきがおこった。「強兵」のために肥大した軍部に武装解除させることは自らの手にはあまるとみな感じていたのである。
 満州事変以来の十五年戦争だけを非難してもだめである、と山田氏はいう。それならば、日清日露の戦役からさらには明治維新までをも否定しなければならない、と。
 さて敗戦で今度は富国一辺倒になった。つまりまだ明治以来の憑き物は落ちていない。相変わらず、何かで一流でなければいられないのである。「世界列強ニ伍ス」という気持ちはまだそのままで残っている。
 さてそれなら日本が戦争前に屈服していたら? ハル・ノートを受諾していたら? 山田氏はいう。「戦わずして屈するのは、戦って敗れるよりまだ悪い」という永野修身軍令部総長の言葉には一片の真理もないだろうか? そもそも明治期に日本が植民地になっていたら?
 
 日本は太平洋戦争をするしかなく、しかしそれは負けたほうがいい戦争だった、ということになるのだろうか? 真珠湾攻撃があまりにうまくいきすぎたために、引き時を失してしまったのだろうか?
 吉田健一が一部で人気があるのは、そこに「大人の風格」「満ち足りたおだやかさ」があるように見えるからなのであろう。黒船ショック以来の日本人の病気を癒す何かへのヒントがそこにあるかもしれない、と。明治期の日本が遭遇した西欧は「異常な西欧」「野蛮な西欧」であったとすることで、明治期以来の日本の病を当時の西欧もまた病んでいたとすることで乗り越えようとする、綱渡りのような曲芸がそこで行われているのかもしれない。
 巻末にある「ドキュメント・1945年5月」も面白い。面白いなどといってはいけない悲惨がそこには描かれているのだが、沖縄・ベルリン・東京(宮中での論争?)・ビルマ硫黄島テニアン・山口・九州そしてアメリカ・・。ヒトラーが自殺し、破壊されつくしたベルリンがソ連に降伏する。アメリカでは、原爆投下への準備が進む。そして東京大空襲・・。
 今からわずか70年前に、わたくしが生まれるわずか2年たらず前にどういうことがあったのか、それをもう一度確認できただけでも本書を読んだ意味はあったと思う。
 

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