渡辺京二さん
渡辺京二さんが去年末に亡くなられていたらしい。今日の朝日の夕刊で知った。去年12月25日だったということであるが、そのころわたくしは入院中で三日後の28日に退院したので、新聞はみていなかった。しかしネットの記事はみていたが、そこには出ていなかったような気がする。あるいは見落としたのかも知れない。
晩年の渡辺氏は「逝きし日の面影」の著者として、あるいは石牟礼道子氏の伴走者(あるいは援助介助者)としてそれなりに知られていたと思う。
「逝きし日・・」を読んだ人は渡辺氏を穏やかな人、あるいはほとんど保守の人と見るかも知れないが、若い頃の氏は激烈な論争家、まぎれもなく左の側のひとであった。
わたくしが氏の名前を知ったのは大分以前、新聞の文化欄のようなところに、どなたかが在野にも優れた思想家がいるという記事を書いていて、そこに数名の名前が挙げられていたなかの一人に氏の名前があったのを見たときであったと思う。他の人の名前は知っていたが渡辺氏のみ知らなかったので、どんな人かなと思い本を買ってみた。何を読んだかもう覚えていないが、葦書房から出ていた「渡辺京二評論集成Ⅱ」の「小さきものの死」の序詞の「小さきものの死」という4ページほどの文は今も鮮明に覚えている。氏もそこで療養していた田舎の結核療養所での母とその娘の死の話である。
江戸から明治への日本を見る見方としては司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」のような明るい史観が現在、主流であると思うが、それに対するものとして山田風太郎史観?もある。
渡辺氏に「幻影の明治」(平凡社2014 文庫2018)という著があり、その冒頭に「山田風太郎の明治」というかなり長い山田風太郎論がある。これまたお勧め。
もしも渡辺氏をまだ読んだことがない方があれば、「小さきものの死」あるいは「幻影の明治」の山田風太郎論などを最初に手にするといいのではないだろうか?
そしてさらに余計なお世話を言えば、山田風太郎の明治物なども併せてぜひ。ともに絶対に損はしないと思うのだが・・。