石牟礼道子さん
石牟礼道子さんが亡くなったらしい。
多くの方がそうなのではないかと思うが、わたくしも石牟礼氏の名前を初めて知ったのは「苦海浄土」の作者としてである。「苦海浄土」は水俣病被害を告発する反=公害の文学というような触れ込みであったから、わたくしがもっとも苦手とする方向の作品であると思い、手にしようなどとはまったく思わなかった。
石牟礼氏はどうもそういう方向の人ではないらしいぞ、ということに気づいたのは渡辺京二氏の著作をいくつか読むようになってで、「そうか、石牟礼さんというかたはD.H.ロレンスの系譜の人なのだ」と思うようになった。
わたくしが最初にいかれた思想家が福田恆存で、その福田氏がかつぐ神輿がロレンスであったわけであるが、ロレンスも苦手で「チャタレー夫人」しか読んでいない。ロレンスは本来小説などを書くはずがない、知的な作業などということには軽蔑しか感じない人間だったわけであるが、そのロレンスが知的な作業を要求する小説を書いたという矛盾こそがロレンスをロレンスたらしめたものであった。石牟礼氏もまた、本来は小説など書くはずのないひとであった。多くの小説家は万巻の小説を読み読むだけではあきたらなくなって、やがて自分で書くという方向にいくのではないかと思うが、石牟礼氏はあまり他人の小説など読んではいないひとなのではないかと思う。世の中には、頭でではなく、身体全体でものごとを感じとれる才を持つという人間が稀に存在するもので、ロレンスもそして石牟礼氏もそういう稀有な才能を持ったひとであったのであろう。あるいは、身体全体でものごとを感じ取れる人間というのは少なからずいるのかもしれないが、そういうひとは文章など書かないのである。渡辺京二氏や池澤夏樹氏のような石牟礼氏の賛美者がみな万巻の書を読んでもなお飽き足らないような読書人で書物に淫したひとであるというのは偶然ではないと思う。
わたくしは、これからも「苦海浄土」を読むことはないのだろうと思う。そして渡辺京二氏の本などを読んで何となく石牟礼氏のこともわかったような気になっていくのだろうと思う。
ある人との対談で、渡辺氏は、「(石牟礼さんは)文学少女ではまるでない。宮沢賢治の童話を少し読んだくらいで、日本文学も世界文学も読んでいない。にもかかわらず、あれだけの表現が出てくるということが、私には不思議でたまらんのです」といっている。文学少年から文学青年になり、ついには文学老年にいたっているのであろう渡辺氏としては本当にそう感じるのであろう。
その渡辺氏にしても「逝きし世の面影」は後に残るかもしれないが、氏の一番の業績は編集者として石牟礼氏の作を世に送り出したことということになるのかもしれない。そして「逝きし世の面影」にしても石牟礼氏が持っていたであろうすべての生きるもの、生命への共感、あるいは不知火の海といった自然への共感といったものと、渡辺氏と石牟礼氏との交流・交歓ということを知ることなしには十分な理解には達しえない本であるのかもしれないとも思う。
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