与那覇潤「中国化する日本」(7)


第7章 近世の衝突−中国に負けた帝国日本
 近代日本がおこなった対外戦争や植民地支配は『「江戸時代」を東アジアに輸出する試み』であった(押し売りとして)。はなはだ評判の悪い創氏改名にしても、日本人への同化政策というよりも、父系血縁のネットワークであるがゆえに「夫婦別姓」である中国や朝鮮を、「イエ」単位で統治する近世日本以来の体制にしようとする試みであった側面のほうが強い(秀吉の朝鮮出兵においても同じ試みがされている)。しかしすでに「中国化」していた中国や朝鮮ではそれは通用するはずはなかった。
 このように過去の行きかたをひきずるのは何も日本に限ったことではなく、シュンペーターによれば、欧米列強の植民地獲得競争も、ローマ帝国のような旧時代の行動様式の隔世遺伝にすぎない。領土の拡大が国益に直結するのは、主要産業が農業である場合のみである。商工業が中心の場合にはそれは決して自明ではない。「植民地を保有する以上は宗主国はかならず儲けている」というのは西洋資本主義国家でいつまでも革命がおきないことを説明するためにレーニンが苦し紛れにこじつけに作った話であって、根拠のあるものではない。言えるのは、植民地主義とは大きな政府の政策であるということだけである。石橋湛山の「小日本主義」も「朝鮮を独立させて日本の道徳的名声を高めたほうが、世界市場での日本の国際競争力を高めることができる」という政策的判断であって、必ずしもヒューマニズムに基づくものではない。
 しかし日本は満蒙地域を中心としたブロック経済の確立に固執し、当該地域に「江戸時代」を輸出することにのめりこんでいった。
 当時のワシントン体制とは、大清国解体による中国の分裂、ロシア帝国崩壊とソ連建設の混乱、ドイツ帝国の終焉と弱体化によって、東アジアで覇権を競うことができるのは、事実上は日米英しかない状態だった。そこからは容易に親英米路線が導かれる。しかし中国における国民党による統一、ソ連の重化学工業の達成による強大化、ヒットラー政権によるドイツの軍事大国化などにより情勢が変化してくると、どこと組んだらいいかがわからなくなる。日本政府内部でも、英米派、アジア派、ファッショ派、宥ソ派などが対立して大混乱になる。そのあげく東アジアに何らの地歩ももたないドイツ・イタリアと組み、中国とアメリカ(+ソ連)を敵にまわすという最悪の選択をしてしまう。
 問題は当時の満州である。それが当時の中国のなかでは例外的に江戸時代に近い経済社会構造をもっていたことが短期的には日本を利し、長期的には日本に決定的なダメージをもたらすことになった。満州でうまくいったことを中国全土に拡大できると思い込んでしまったのである。当時の満州は主要な都市をおさえれば支配できる構造になっていた。しかし首都をおとせば大丈夫とか、傀儡政権をつくればこっちのものという話が中国全土に通用することはありえない話だったのである。
 
 ここで少し話しに割り込む。
 岡田英弘氏によれば、中国の権力というのはもともと主要都市を押さえているだけの存在である。都市を中心とする商業ネットワークを押さえそこからの上がりを吸い上げる。とすれば、この当時、中国において「皇帝」に相当する絶対権力が不在であったことが問題なのであり、そのため満州は中国の中でも誰の支配が及ぶのかが確定して地域であったので「江戸」型の統治による拠点支配でもうまくいったということなのかもしれない。しかしそうではあっても、中国は父系血縁ネットワークであることには変わりはない。トッドによれば社会形態を決める最深層は家族構造である。そうであるならば、それとはまったく家族構造の異なる日本の社会運営体制を中国に押しつけることは絶対に成功することなどありえないことになる。満州だって父系血縁ネットワークなのではないだろうか? どうして、ある程度は日本の満州運営がうまくいったのかの説明が恣意的すぎる気がする。
 また与那覇氏の論に戻る。
 
 日中戦争こそ、日本と中国のあいだの「文明の衝突」だった。西洋近代にはあるが中国近世にはなかったものは、まず厳格な徴兵制に基づく国民戦争の経験。なので、当時の中国は徴兵のがれなどは当たり前、戦争など逃げるほうが利巧、まじめに戦争にいく奴など馬鹿という世界であった。こんな軍隊が弱いのは当たり前で、まともに戦闘すれば日本が勝つ。しかし当の中国人でさえ掌握できていない現地社会(徴兵さえ金で逃れるのが当然の世界)をよそものの日本人が管理できるわけがない。日本のようなムラ単位での支配などありえない。そうであるなら旧来からの中国のいきかた、大義名分、普遍道徳に訴えるしかない。しかし、それをとったのは中国側なのである。「儒教の本家たる中国に、儒教の分家たる日本が買えるはずがない」(蒋介石)。こういう大義名分をついに日本は持てなかった。
 「あの戦争」は《日本と中国のふたつの近世社会が文字通り命がけで雌雄を競った戦い》だったのであり、《日本はアメリカに負ける前に中国に負けていた》。アメリカとも戦わないと中国との戦争を続けられなくなった時点ですでに負けている。日本はあの戦争を《アメリカに負けた》と思い込んでいる。それがすでに大きな間違い。「あの戦争」は《日中戦争とそのオマケ》なのである。《対米開戦以降の太平洋戦争自体が、それまでの日中戦争敗戦処理》なのである。
 『日本はまずなによりもまず中国に負けた』というのが《本当の歴史の教訓》であるにもかかわらず、右も左もそこから目を背けている。日本人は対中敗戦の事実を心情的に処理できていない。それが現在日本の大きな危機なのである。
 いまの日本人は忘れてしまっているが(あるいは忘れようとしている?が)、それでも当時の日本人は戦っている相手が誰であるのかにはうすうす気がついていた。だからこそ「東亜共同体」とか「大東亜共栄圏」といった本来なら中国人が口にしそうな大義名分が語られはじめる。そして最後は「近代の超克」である。日米開戦も「大東亜解放」のための正戦ととらえられたからこそ、みなの表情から曇りがとれた。
 
 この日中「文明の衝突」論が本書の白眉である。本書の「普遍=グローバル中国」対「特殊=江戸日本」という構図はかなり強引であちこちで綻びをみせていると思うが、そのような無理をしてでも、その対立を強調してきた理由がここで明らかになる。そしてわたくしもまたそのような視点をほとんど欠いていたため、この部分を読んで非常に考えさせられた。
 日本は「今次の大戦」をアメリカに負けたと思っている。あんなに大きな国と戦ったのだから、負けて当然である、そう思ってみずからを納得させている。
 本当は、中国に負けたと自認するのは悔しいので、絶対に勝てるはずのない国と無理に戦争をはじめて、予想通り負けて、小国なりによく大国と戦ったとみずからを慰めることで、見たくない事実から目をそらしているのだろうか? わたくしもこの半年くらい、片山杜秀氏の「未完のファシズム」をかわきりに、日本がなぜ、あの無謀な戦争に突入していったのかにかんする本を少し読んできている。しかし、与那覇氏の本の論旨にそえば、無謀であるからこそ、勝ち目のない戦いであるからこそアメリカとの開戦に踏み切ったことになる。「先の見通しなど少しもないが、一暴れならしてみせる」という山本五十六だかの言葉は、文字通りのもので、誰だってそれ以上のものはもっていなかったし、持とうとも思わなかったのかもしれない。これをも「気分は陽明学」という方面から説明できるのかもしれないが、陽明学というのは「正しいものが勝つ」という根拠のない思い込みが前提にあると思う。あるいは負けることを予想していても、その負けることが未来の勝ちに通じるという思い込みがあると思う。しかしアメリカとの開戦は、陽明学ではなく、せめて一太刀なりをあびせてから斬られたいという江戸時代以来の武士の作法、切腹の美学のほうに通じるのかもしれない。あるいは中国は意識の上では雑兵で、雑兵の手にかかって死んでは末代までの名折れ、せめて敵の大将と一騎打ちして、それで敗れるならば本望といったことだろうか? (帝国海軍の行動など、船団護衛などという華のないことを忌避し、敵連合艦隊との決戦にこだわったことなど多分のそういう要素がありそうな気がする。そもそも船団護衛などは点数が低く、敵戦艦の撃沈などにくらべればほとんど武勲にならず、出世の足しにならなかったらしい。)
 こういう擬似精神分析的理解というのは非常に危険で、なんだか一切がきれいにわかった気になってしまう。それで、それ以上考えなくなってしまう。そういうことがないように、大いに自戒しなくてはいけなのだが、それでもしばらくこの見方は頭から離れそうもない。日米開戦の報をきいて、空気が清浄になったように感じ、周囲の霧が晴れたような気持ちになった当時の国民の気持ちというのも、ゲリラ兵との戦いに疲れ、ようやくこれで大敵と本当の戦争をできるようになった、これで本望というようなことだったのかもしれない。
 それにしても最近の風潮をみていると、《中国に負けたことを認めたくない日本人》というのは切実な問題であると思う。
 
 「近代の超克」というのはわたくしの大いに関心のある論点で、いままでも論じたことがあるような気がする。
 「近代の超克」という場合の「近代」とは「西欧近代」であり、西欧の中にも脈々と反=西欧思想というのはある。たとえば最近のポストモダン思想というのも「近代の超克」の一変奏なのではないかと思う。わたくしが最初にやられた思想家は福田恆存で、福田は反=西欧を「スラブ」という名前で呼んでいた。ドストエフスキーであり、チェホフである(あとから考えるとニーチェであるが)。今わたくしが信奉しているのは思想家ではないかもしれないが吉田健一で、吉田の反=西欧は「ヨオロツパ18世紀」である(ポストモダンの思想家は18世紀西欧が好きなひとが多いようである)。わたくしからみると「大東亜共栄圏」などというのも、明治維新以来西洋とつきあってきたが、生き馬の目を抜く西洋の流儀にほとほと疲れはてた。決して西洋のほうにこれから手を出すことはしませんから、アジアのなかでこれから生きていくことにしたいと思いますので、そこのところよろしく、というものなのではなかったかと思う。何を考えているかわからない「毛唐」とはもうつきあいたくない。気心のしれたアジアのひとたちとわたくしたちは生きていきます、という宣言だったのではないだろうか?
 だが、気心なんか全然知れていなかったし、そもそも中国人は日本人がつきあいに疲れた西洋人の同類なのだというのが与那覇氏のいうことろである。
 さて、それでわからないのが与那覇氏のいう「中国≒グローバル西洋」という図式での西洋が、ポストモダン思想家が反発する「近代」、吉田健一がいう「19世紀ヨオロツパ」なのだろうかということである。さらに宋朝以降の中国においても「反=中国」思想というものがあったのだろうかということである(明朝?)。
 やはり一枚板というのは危ういし怖いから、カウンター・カルチャーというのはあったほうがいいわけで、そう考えれば「江戸」だってまったく使い道がないというものでもないかもしれないということだってあるように思う。
 

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